【特記】

このブログは、2021813日の富士山新報(静岡県の地方紙)のじゅっぺ教授の寄稿文の再掲です。

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44話:コロナ禍中だからこそお盆を大切に!


 2年続いて孫が来ないお盆


私は孫にメールしました。『去年はコロナで来れなかったから、今年のお盆にはジイジもバアバもご先祖様も待ってるよ』と。孫からのメール『待っててね。今年は行くよ』と。約束してたのに「あっけなく」今年もコロナ感染症の大流行で、2年続いて孫が来れないお盆になってしまいました。

 

私は4人の娘に恵まれましたが、館山市・名古屋市・知多市・秋田市へ4人ともパラパラとお嫁に行ってしまったので、とても寂しい思いをしていたのですが、孫が11人も生まれて、毎年、お盆と正月は《我が家は民宿状態!》となって賑やかで幸せでした。

ところが新型コロナ感染症がやってきて2年間も会えません。全然ダメです。



心を込めてご先祖様のお迎え


 【写真1】をご覧ください。




お盆前に早々と、寂しいけど夫婦二人で気を取り直して塩川家本家先祖代々400年続くお墓の草取りをしました。孫たちと ワイ ワイ ガヤ ガヤとお掃除した日々。

楽しかった思い出をたどりながら、すっかりきれいになったお墓の一つ一つに手を合わせて、『ご先祖様! コロナ禍中で遠く離れた4姉妹の娘たちと孫たちは来れませんが、みんな元気に暮らしております。ありがとうございました』と感謝しました。


【写真2】をご覧ください。




仏壇も綺麗にお掃除しました。私が『 2年も続いて寂しいお盆になりました』と手を合わせると、【写真3】



(仏壇上:故人)の父塩川寿介さんと母豊子さんと、祖父塩川信太郎ジイジと、祖母あきバアさまたちご先祖様はみなさん笑顔で見守ってくれていました。


一息ついて静かな時間の中で、『私が今こうしてここにいるのも』『4人の娘が生まれたのも』『11人の孫たちが大学生になったり、高校生になったり、中学生、小学生と次々と元気に育っているのも』ご先祖様とのつながりがあってこそとつくづく不思議な思いにふけります。


改めて、お盆を迎えるたびにご先祖様一人ひとりの苦労と努力の一生涯が継続して、私たちが生まれているのだなぁと感動しますそして、その偉大な継続に畏敬を感じて思わず『ご先祖様ありがとう』と、合掌している私です。


【写真4・5】をご覧ください。







先祖代々伝わる曼荼羅ご本尊です。 50本ほどあるので、私が毎年こうして仏間にも居間にも玄関にも家中に飾ります。


塩川本家の菩提寺は県立富士宮東高(小泉)の隣の日蓮宗妙円寺です。私の父塩川寿介は1級電気技師で満鉄の電化計画のために昭和12年(1937年)に満州に渡り、翌年昭和135月に母豊子は長男53ヶ月と長女210ヶ月とおなかの私6ヶ月の合計2.5人の子を連れて満州へ。それから在満州10年間。


敗戦の昭和20815日から満州難民となって、母方の祖母と満州で生まれた3女の二人を亡くして、翌年昭和21727日に祖父塩川信太郎の待つ富士宮市野中に引揚げてきました。以来、お盆には曼荼羅を飾ります。


私が小学生だった頃の昭和20年代はずっと野中の家から妙円寺まで片道5キロの道を歩いてお参りしました。道中は右も左も前も後も、見渡す限り田んぼだった風景を懐かしく思い出しています。


【写真6】をご覧ください。 




4姉妹と11人の孫たちは 2年続けてご先祖様のお墓参りは出来ませんので、せめてもと4姉妹の家族写真を仏間の障子に飾りました。コロナ禍のこの工夫《写真での里帰りと、お盆のお参りをお許しください》。このユーモアをきっとご先祖様は喜んでくれていると思います。


孫たちにはメールで『遠く離れていても、そちらでもお迎え火を焚いてください。ご先祖様が彼岸の国から遠回りですが、そちらにも寄ってくれますよ。』と知らせしました。


【写真7】をご覧ください。 






813日の夕方にはお迎え火を炊きます。そのお迎え火を目印にご先祖様が帰ってきます。その時の乗り物・・・きゅうりの馬・なすの牛・ゴーヤやピーマンや四角豆の独創的なかわり馬。


いつもの年には孫たちがご先祖様たちが乗りたくなるような「可愛い馬」をたくさん作ってくれるのですが、今年は、私がひとりで作りました。きっとご先祖様もコロナの流行を理解してくださって、この「かわり馬」に喜んで乗って帰ってきてくれることでしょう。


【結びのことば:なぜお盆は大切なのでしょうか】


家族のみなさん!日本全国津々浦々で受け継がれてきた民族の文化『お盆』を大事

にしましょう。私は大学で「日本の福祉」を学んだ時、「世界の福祉」にない日本の

福祉の素晴らしさを学びました。

『イギリスはゆりかごから墓場までだが、日本は死後の家族福祉がある。お盆には火を焚いて、ご先祖様をお迎えして共に暮らし、ご供養するのですよ』と。


驚きました。私の家族がしていたことを教授は話されました。死者が蘇り、家族と交流する家族団欒(らん)の福祉です。私には国家的イベントであるお盆の楽しい思い出が沢山あります。残念ながら今年はコロナ禍中で遠く離れての「テレワークお盆」や「テレビ電話お盆」になってしまいますが、ワクチンも復旧してくるのでもう少しの我慢です。


今はそれぞれの地で家庭を持ち、立派な母となった4姉妹の娘たちよ!


子どもたちに伝えてください。いつもじゅっぺジイジがお話していることを各家庭でお話してください。死者とのつながりを伝えましょう。孤独はなくなります。ひとりで生(う)まれて、ひとりで生(い)きてきたのではありません。『累々と家族と言う死者がつながっていて、その先にお前たちがいるのだよ』と、ファミリーヒストリーを伝えましょう。おじいちゃんのお父さんは満鉄社員だったこと。おじいちゃん(私の事)は、78ヶ月まで満州生まれの満州育ちの『生きて日本に帰ってきた引揚児』だったこと。塩川ファミリーのルーツは満州難民だったこと。おじいちゃんの妹寿美子は引揚船の中で死んだこと、等々を伝えてください。おじいちゃんが満州で死んでいたら、 4姉妹も11人の孫たちも生まれていないことを伝えてください。

 

【結論!!! お盆とは。〝 死者が蘇り知る確かな自分の存在 ”


自分には父と母がいて、その先の先祖代々の死者が蘇り『つながっているDNA』に気付き。『地球上でただ1人のかけがえのない自分』、そして『他人と比べられない自分』を知る宇宙的広がりの感動から自己肯定感情は育つのです。