【特記】この文章は2021年12月19日(日曜版)の

    岳南朝日新聞に寄稿文として掲載されました。

 

第56話:おめでとう真鍋淑郎さん(90)

 

-ノーベル物理学賞のメダルを受け取る-

 

 

 

ノーベル賞物理学賞に選ばれた米プリンストン大の

 

真鍋淑郎さん(90)が12月6日、

 

ワシントンの全米科学アカデミー(NSA)の式典で、

 

スウェーデンの駐米大使からメダルを受け取りました。

 

例年ならばスウェーデンで行われますが、

 

新型コロナウィルスの感染症を拡大のため受賞者の住む国で式典が開かれました。


 

テレビから流れたこのニュースを見て瞬間に3つのことを考えました。

 

 

 

第1に、90歳と言う年齢に目が釘付けになりました。

 

一緒にテレビを見ていた妻に思わず語りかけました。 

 

2008年7月、 66歳で亡くなった戸塚洋二君のことが脳裏をかすめて

 

『 90歳まで生きていればノーベル賞だったのに!』と。

 

 

 

今でも私は戸塚君を忘れられない。

 

私が富士高3年生で剣道部副将をしていた時、 

 

1年生の新入部員の中に戸塚君がいて一緒に稽古し、

 

一緒に撮った写真は宝物で、

 

今でも折あるごとに娘や孫に自慢しています。

 

戸塚君は武道が好きだったようで東京大学では空手部主将6段でした。

 

 

 

戸塚君は東京大学教授時代に、

 

実験装置「スーパーカミオカンデ(岐阜県飛騨市)」を用いた

 

ニュートリノ観測を牽引しました。

 

後に、戸塚君のもとで1981年から研究を共にした東大教授梶田隆章さんが

 

「ニュートリノ振動の初観測」により、

 

2015年ノーベル物理学賞を受賞しました。

 

もしも90歳まで生きていればと私は戸塚君の顔を思い浮かべながら、

 

《郷土からノーベル賞受賞者の誕生!》だったのにと。

 

やはり残念でなりません。

 

 

 

第2に、 90歳の真鍋淑郎さんの話に感動しました

 

 

 

真鍋さんは、まず初めに

 

『ハッピーです。夢にも思っていなかったのでびっくりです』と。

 

そして『気候の研究はとても面白い。ぜひ、たくさんの若い人に

 

この分野の研究をして欲しい』と話しました。

 

 

 

真鍋さんはコンピューターで地球温暖化予測の基礎を築きました。

 

そしてその日のシンポジウムでは

 

『気候変動は今や大きな問題だが、私は気候変動を心配したから

 

研究したわけではなく、研究そのものを楽しんでいた。

 

若い人たちは楽しめるものを見つけ、良い時間を過ごしてほしい』

 

と語りかけました。

 

90歳の慈愛に満ちた眼差しのお話に感動しました。

 

 

 

第3に、83歳の私も健康年齢を維持して保育研究を楽しみます

 

 

 

私も真鍋さんの真摯(しんし)な研究生活に学び、

 

『子どもの遊びの研究』にこれからも取り組んでいきたいと思います。

 

今、私は若者ではありませんが、

 

若者の時から『子どもの目線で!』『子どもから学ぶ!』を信条に、

 

自然環境に子ども自ら挑戦し、個性と能力を育んでいく

 

大地保育研究を続けてきました。

 

子どもの遊びの研究はとてもおもしろいので、

 

なぜ私が長く続けられたか真鍋さんのお話に合点がいきました。

 

 

 

むすびになりますが、

 

90歳とは思えないよどみないスムースな語りと身のこなしにも驚き、

 

真鍋さんの健康年齢の保ち方にも感動しました。

 

 

 

実は私も今、健康年齢を保つ生活に取り組んでいます。

 

一日7,000歩の散歩すること。

 

ラジオ体操第一、第二をすること。

 

お肉は控えめに、お魚を多めに、

 

そして野菜の多いい朝・昼・晩の3食をきちんと取る事。

 

少しずつでも毎日読書をすること。

 

 

 

その結果《自身で自立して生活できる健康年齢》を維持して、

 

真鍋淑郎博士のように一生を楽しく生きたいと思っています。

 

 

 

(大地教育研究所所長、大中里こども園名誉園長、

 

元静岡県立大学教授・静岡県富士宮市野中東町在住) 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

富士高正面玄関の右側にある戸塚洋二博士と

スーパーカミオカンデの電球のモニュメントとじゅっぺ教授



 

〇戸塚洋二さんの記念碑の言葉

 

『大宇宙は数限りないニュートリノを住まわせるが大宇宙の中で

 

ニュートリノが果たしている役割はその片鱗さえわかっていない。』



 

〇ノーベル物理学賞受賞者 梶田隆章さんの記念碑の言葉

 

『戸塚先生のおかげで世界に誇るスーパーカミオカンデを使って研究ができ、

 

成果を上げることができました。

 

戸塚先生とともに共同受賞したかったと思います。』


 

 

 

〇富士高同窓会 富友会会長 小室直義の挨拶

 

『先輩に続け! 戸塚先生の偉業に学べ! 

 

戸塚博士・梶田博士の二つの言葉は、母校富士高に新たな歴史を

 

刻みそして未来を開くものと受け止めています。』


 

 

 

 

 

創立:大正12(1923)年創立の

 

静岡県立富士高等学校正門前の校章と校名

 

 

 

昭和32( 1957)年富士高剣道部の集合写真。

 

上段の左側から2番目に1年生の戸塚洋二君(のちに東京大学教授

 

・工学博士・ノーベル賞候補者・スーパーカミオカンデ研究者)

 

下段の左側から3番目に3年生の剣道部副将・塩川寿平(じゅっぺ教授)