第57話:野中保育園創立70周年 初心に還って (創立1953~2022)
—(その1)『私の大地保育』塩川豊子著(大地教育研究所1988年発行)—
プロローグ
我が家のルーツは富士郡大宮町誌(現在の静岡県富士宮市・昭和5年大宮町出版
・著者土屋勝太郎)によると、江戸時代に庄屋として「名字帯刀許サル」をもって、
この地を治める奉行・八郎右衛門より拝命。
塩川本家 初代当主 塩川甚七郎は(明暦3年・1657年没)。
塩川一族の中で唯一「大居士」の戒名をいただいています。
先祖代々約400年
初代当主 甚七郎の没後、今年で366年になりますが、
それ以前からこの地に暮らしていましたから約400年前から
静岡県富士宮市野中で我が先祖は代々生活しておりました。
現在の社会福祉法人柿ノ木会
野中保育園(現:幼保連型携認定こども園「野中こども園」)
大中里保育園(現:幼保連携型認定こども園「大中里こども園」)
地域子育て支援センター「のなか」
就労継続B型・日中一時支援事業「ふじさん」
の所在地が塩川本家の屋敷・田んぼ・畑・果樹園(柿の木)だったところです。
じゅっぺ教授のおじいちゃん
じゅっぺ教授の祖父 第12代当主 塩川信太郎(1874~1948)は
明治34年1901から大宮町議会議員に6回当選。
大正8年1919には富士郡郡会議員に当選し同参事会議員となる。
また大正12年1923から12年間富士郡大宮町青年団長を務め表彰を受けました。
その間、明治神宮100年の森の物語「100さいの森(講談社2020出版
・監修伊藤弥寿彦)」に記録されているように
『大正4年1915植樹開始。明治神宮に木を献上したい日本中の人から約10万本。
279種類の木が集まり。木を植える作業に参加したいと全国から青年団が結集し
その数延べ11万人』
その中にじゅっぺ教授のおじいちゃんもいました。
(図1:祖父塩川信太郎。
じゅっぺ教授のおじいさんの塩川信太郎は明治7年(1874)生まれ。
徴兵検査の日、明治27年5月21日は20歳でした。
それから2ヶ月後、日清戦争が始まりました。
日清戦争は明治27年(1894)7月25日〜翌年4月17日の日本と
清国との戦争です。)
(図2:祖父塩川信太郎の徴兵検査の文書)
お父さん と お母さん
じゅっぺ教授の父第13代当主 塩川寿介(初代園長・富士宮市市議会議員1903~1961)と、
母塩川豊子(2代園長・初代理事長・大地保育の創始者・勲六等瑞宝章受章1915~1999)は、
日本一の富士山を仰ぐ塩川本家の先祖代々の家屋敷・田んぼ・畑・果樹園(柿の木)の約1万平方メートルを無償提供して、
戦後の平和日本の子どもたちが のび のび と育つ理想郷
《子どもの花園=幼児教育の始祖フレーベルのキンダーガルテンのような=
愛に満ち満ちた大地保育》の夢と希望を抱いて、
昭和28年1953野中保育園(現:野中こども園)を創設しました。
それから今年で70年の年月が経過しました。多くの人々の献身的な努力で、
いまや野中保育園は大きく育ち《大地保育の社会福祉法人柿ノ木会》となり、
・幼保連携型認定こども園「野中こども園」
・幼保連携型認定こども園「大中里こども園」
・地域子育て支援センター「のなか」
・就労継続B型=日中一時支援事業「ふじさん」となりました。
長兄塩川寿一さんが財産を寄付
じゅっぺ教授の長兄第14当主 塩川寿一(3代園長・ 2代理事長・県知事表彰)は、
約400年続く先祖代々の塩川本家の屋敷・田んぼ・畑・果樹園(柿の木)の土地を
《大地保育の社会福祉法人柿ノ木会》に寄付しました。
まさに法人にとって塩川寿一さんは神様のような人ですのでご承知ください。
この大地の恵みこそ『大地保育の命であり、大地保育環境論の源泉』です。
大地保育の創設者塩川豊子の著書「私の大地保育」も、
塩川寿平の著書「大地保育環境論(こども環境学会論文賞)」も、
「どろんこ保育」・「名のない遊び」・「コーナーのないコーナーの保育」等々も、
この大地で繰り広げられた保育実践の70年の歴史物語です。
もしも14代当主 塩川寿一さんの塩川本家の大地と財産の寄付がなかったら、
今日の《大地保育の社会福祉法人柿ノ木会》はないわけですから。
じゅっぺ教授の《大地保育命》の教育歴
昭和13年1938 11月26日生まれ。現在83歳のじゅっぺ教授の
50年余にわたる保育幼児教育の研究者・教育歴の紹介です。
専任:大学・短大・専門学校
*小田原女子短期大学専任講師
*静岡県立保育専門学院教育主査
*静岡県立厚生保育専門学院教育主査
*淑徳大学助教授
*共栄学園短期大学(現在の共栄大学)教授
*静岡県立大学教授
*東横学園女子短期大学(現在の東京都市大学)特任教授等を歴任。
兼任:大学・短大・専門学院・高等学校保育科
・静岡大学・千葉大学・岡山大学・大妻女子大学・常葉学園大学・浜松大学
・秋草保育専門学院・和泉短期大学・富士見高等学校・静岡女子高等学校を歴任。
また、
社会福祉法人柿ノ木会の前理事・前評議員を長く務め、
大地教育研究所所長として母塩川豊子の創始した
『大地保育=汲みつくすことのできない宝庫である大自然に挑む中で、
子どもたちが育てられていく保育(塩川豊子1915~1999)』
の理論化を生涯の使命として日本保育学会会員となり半世紀にわたり、
「保育環境論①~㊿」を50年間継続して発表。第27回日本保育学会で《倉橋賞受賞》
【追記:PC&スマホで大地保育命のHP塩川寿平と入力して見ていただければ幸いです】
塩川寿平著の大地保育5部作
単著「名のない遊び(電子書籍も有り)フレーベル館」
単著「どろんこ保育(電子書籍も有り)フレーベル館」
単著「大地保育環境論(こども環境学会論文賞受賞)」
共著「コーナーのないコーナーの保育(電子書籍も有り)フレーベル館」
森上史朗・塩川寿平編著「子どもを伸ばす保育環境」(第一法規出版)、
を世に発表し、幼稚園・保育所・こども園の保育環境の大切さを啓発して参りました。
また、私の娘4名は野中保育園の卒園児で、保護者としても長年にわたり野中保育園に貢献してまいりました。4人の娘は結婚し母親となり私は11人の孫の祖父・じゅっぺじいじになりました。その11人の孫の内、3人の孫は野中保育園の卒園児です。
野中保育園の歴史は
創立1953年~2022年= 今年は70周年記念を迎えます
初心に還って
『大地保育』の創始者塩川豊子の保育哲学を紹介します
野中保育園(現:野中こども園)の保育を『大地保育』と呼びます
太陽と水と土に代表される大自然を
十分に取り入れる保育の総称で
大地保育の創始者塩川豊子(1915~1999年)
初代社会福祉法人柿ノ木会理事長の保育哲学
『大地保育とは、汲みつくすことのできない宝庫である大自然に挑む中で
子どもたちが育てられる保育です。
次回からの予告 《塩川豊子著「私の大地保育」》 の哲学・理論・実践を紹介してまいります。
大地保育命のじゅっぺ教授
塩川豊子著「私の大地保育」大地教育研究所出版
約400年前からの先祖代々のお墓を前に、
14代当主塩川寿一さん(右側)・客人(中央)・塩川寿平(左側)
菩提寺 妙円寺の「大地院」の母塩川豊子の戒名と、父塩川寿介の戒
名。
桜満開の野中こども園と大地教育研究所の正門とじゅっぺ教授夫妻
じゅっぺ教授の三女愛子さんが中学2年生の時に作ってくれた塩川本
家の家紋
明治41年3月18日。第11代当主 塩川和吉夫妻(中央の2人)の
77歳を祝う一族の集合写真
*わが父寿介5歳(前列和吉の左側)
*わが祖父信太郎34歳(後列左から4人目)
我が父塩川寿介
我が母塩川豊子
わが母豊子の少女時代
「 100さいの森 」講談社 2020年出版
本の表紙
私のおじいちゃんたち明治時代の青年団が植えました