第62話:野中の氏神さんに祈る

 


【特記:ブログ第62話は

岳南朝日新聞2022211日付、

《特別寄稿「野中の氏神さんに祈る」》

に掲載されたものに筆者のじゅっぺ教授により文章・写真の一部を加筆したものです。】






令和3年12月吉日

野中神社神事のみ開催についてお知らせ

宗教法人野中神社 代表塩川昭男 役員一同

 

野中の区民の皆さまにお知らせします。新型コロナウィル感染症の終焉が近くなったと思われましたが、オミクロン株がアメリカ、イギリス、世界中に広がりを見せ、お隣韓国では今までで一番多くの感染者が発生、富士宮・富士市の小学校では学級閉鎖しているところもあり、幼い子どもの感染も増えているこのようなときに春祭りを実施できるか責任役員で検討した結果、除夜・初詣・春祭りは中止とさせていただくことになりましたのでよろしくお願い致します。

 

なお、長い年月の中には嵐も地震もそして戦争で苦しい時もじっと耐えしのぎ野中の氏神を守り続けてくださったご先祖の思いと伝統を守り神事のみを行います。

 

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(写真1)野中神社の本殿

 

 

(写真2)野中の氏神さまの御神木

 

 

 

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令和4年1月16日

 

野中神社 神事開催御礼申し上げます

宗教法人野中神社 代表塩川昭男 役員一同

 

 

春祭りを新型コロナウィルス感染症・オミクロン株の感染拡大防止のため神社代表・総代・役員の皆様が主体で神事のみ開催しましたところ多数のご参加を頂き、誠にありがとうございました。

 

祭事には、富士山本宮浅間大社神官により、皆様方の家内安全、無病息災等を祈願していただきました。

 

なお、12日講の皆さまには、本殿においてお題目を唱えていただきました。神社とお題目の関係は古来から続いており、今後とも野中神社(神仏習合)を守り神として敬い、拠り所としてご理解ご協力のほどお願い申し上げます。

 

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(写真3)富士山本宮浅間大社神官による祭事

 

(写真4)境内正面に『奉納正八幡大神』の幟が見える

 

 

 

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感染症の終焉を心から祈りました   

 

 

私は神官の厳かなお祓いをいただき。また、私が幼い頃からの懐かしい12日講のご婦人方の祈りの『うちわ太鼓』と共に流れる『南無妙法蓮華経』の読経に癒されながら、私もまた真摯に合掌し、心の底から新型コロナウィルス感染症・オキクロン株の終焉を心から祈りました。

 

テレビニュースによると、新型コロナウィルスの国内感染者は2月2日、 9万4,930人が確認されたと報告されています。初めて9万人を超え、過去最多を更新しました。

 

2月3日の岳南朝日新聞には「コロナ第6波の対応」で、富士宮市健康増進飯島課長の『感染拡大防止へワクチン3回接種することで再び効果を上げることができます』との、感染予防関係各位の懸命の努力が続けられています。

 

私、現在83歳も3回目の接種2月15日の予約が決まりました。

 

一市民として進んで予防接種を受けたいと思います。

 

 

 

先祖が祈り、守り続けた氏神さま

 

 

長い歴史の節々で困難な度に心の支えとなり、野中区民の心の拠り所となってくれる氏神さまについて考えてみる良い機会となりました。約1200年も昔から続く時代の節々に野中の先祖たちがそれぞれに祭り・祈り・感謝し・祀った氏神とは何か。

 

1968年10月吉日に『野中氏神社考』が郷土の歴史学者下岡昭一さんや、 2012年2月吉日に森井敏男さんたち長老たちによって調べられた『野中神社の由来』によると。

 

歴史的なはじまりは大和政権の摂政聖徳太子(574−622)が篤く敬い広めた仏教興隆(法隆寺や四天王寺の建立等)と、それまでの日本古来の神道との神仏習合が進み、天応元年(781年)に朝廷は神仏習合の神として『正八幡大菩薩』の神号を全国の寺院に贈られました。

 

そして平安時代以降は本地垂迹思想【注1】が広がり、僧侶の形で表現され『僧形八幡神』が広まり、野中神社の厨子に収められているご本尊は、元禄4年(1691年)に代金3両2分で京都より購入されたもので、まさに神仏習合の日蓮大菩薩=正八幡大神です。今日でも12日講のご婦人方が南無妙法蓮華経のお題目を上げておられます。

 

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(写真5)野中神社の神仏習合の本地である日蓮大菩薩

 

(写真6)日蓮大菩薩が収められている本殿内の逗子

 

 

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神話の時代にさかのぼれば野中神社の起源は和銅5年(712年)に手力雄神【注2】(惣国風土記)を祀っています。

 

明治維新後は皇国史観による明治新政府の天皇神に統一され、

 

明治元年(1868年)に『神仏分離令』が出され、天皇神を唯一とする歴史もありました。

 

 野中神社においても、その時その時の権力者の正しさがあり、またいろいろな時代の氏神の祈りがありました。

 

 

 

新しい氏神様のあり方を模索

現在、私たちは野中神社塩川昭男代表の令和2(2020)年1月19日のお礼『(野中で暮らす人々の氏神として)今後共、地域の守り神として、また皆様の拠り所として、ご理解とご協力を心からお願いいたします』のまとめの言葉を大切にしております。

 

過去がどうであれ、ICT(情報通信技術の時代)や、AI(人工知能の時代)の今を生活している野中区民の新しい氏神さまの在り方を創造していかなければなりません。

 

新型コロナウィルス感染症が終焉し、子どもたちのワッショイ、ワッショイの元気な掛け声とお神輿が帰ってきて。

 

当番の屋台村による富士宮ヤキソバや、こんにゃくおでんがふるまわれ。大勢の親子連れが行列を作り、『一番楽しみにしているハズレなしのくじ引き』の歓声に包まれる日のおとずれと。

 

平穏な『厳かな神事』と、『12日講の南無妙法蓮華経の読経』の流れる日に1日も早く戻ることを祈願してむすびといたします。


 

【解説】

 

【注1 】本地垂迹(ホンチスイジャク)とは、インドを本地とする諸仏が神に姿を変えて各地に現れる事。つまり、仏の権現(化身)が神であるという考え方で、仏が主で神が従というもの。野中神社の場合、仏である日蓮大菩薩は本地であり、八幡神はその化身です。元禄4年(1691年)から明治初年まで八幡大菩薩として神仏一体でした。

 

 

 

【注2】手力雄神(タジカラオノカミ)とは、天照大御神が天岩戸に隠れると、まざまな災いが起こった。力の神である手力雄神が天岩戸の扉を開いた。世界に光が戻り、災いが去ったのです。

 

 

 

【 氏子による野中神社の濡れ縁ペンキ塗り奉納

 

(2021年4月11日)】

 

(写真7)・・・野中神社の鳥居の見える正面のペンキ塗り。

 

 

 

(写真8)・・・じゅっぺ教授も一生懸命ペンキ塗りしました。

 

 

 

7293(写真9)&7289(写真10)・・・氏子の皆さんで力を合わ  

 

せて勤労奉仕。野中神社のメンテナンス作業。

 

 

 

 

濡れ縁はすっかりきれいになりました。