第80話:満州から生きて帰れた私
〜 二度と戦争をしてはいけない 〜
【特記】添付の岳南朝日新聞_特集 戦争への思い_より転載
(2022年8月16日掲載に筆者1部補足)
◇ 私は生きて帰れた
私は7歳8ヶ月まで満州生まれの満州育ちです。父親は満鉄勤務でした。
私は満州国奉天市高千穂通8番地で1938年(昭和13年)11月26日に生まれました。
私は生かされて現在83歳です。
1946年(昭和21年)7月27日に祖父塩川信太郎おじいさんが守ってくれていた富士宮市野中東町300番地。
父の実家で現在の「野中こども園」に引き揚げてきました。
◇ 祖母と妹は亡くなりました
1945年(昭和20年) 8月16日(敗戦の翌日)、母方の[祖母 林つう]は満州国通化市にて亡くなりました。
在留日本人を守ってくれるはずの日本軍(関東軍)はシベリアへ抑留。
それから約1年間。国民党軍(蒋介石)と八路軍(毛沢東)の中国内戦に巻き込まれ満州難民となりました。
1946年(昭和2 1年)7月24日に妹(三女)寿美子はようやく乗船の許された引揚船[米軍提供リバティ型穀物輸送船]の中で船室高温状態で『脳膜炎』を起こし亡くなりました。
◇ 生かされた私の使命
二度と戦争をしてはいけない。
平和の尊さを唱え続けるのが生かされた私の使命だと思っています。
今年、退任特別最終講義を富士市立看護専門学校を最後に52年間の現役教師生活を終わりましたが、これからもボランティアとして私はエッセンシャルワーカー(人々の生活にとって必要不可欠な労働者)の保育・幼児教育養成と看護師養成に生涯尽くしていきたいと考えています。
83歳と言う年齢になりなりましたが経験と知識を活かして、
『① いのちの誕生の喜び』と、
『② 保育・幼児教育の大切さ』と、
『③ 看護の必要と尊さ』を知り尽くしている私は、
それとは真逆の
『① 戦争で人を殺すな!』
『② せっかく育てた子らを戦場に送るな!』
『③ ナイチンゲール精神で命を助け! 戦争をやめろ!!』
と言う市民運動を多くの仲間と続けます。
◇ プーチンさん!止めてください
◎ 2020年6月現在。長崎大学核兵器廃絶研究センター(RECNA)による。
【核弾頭数=アメリカ5800発。ロシア6370発。中国320発】
◎ 2020年版・防衛白書より核弾頭の運搬手段について。
【ICBM(大陸間弾道)
=アメリカ400基。ロシア340基。中国88基】
【SLBM(潜水艦発射弾道)
=アメリカ280基。ロシア160基。中国48基】
【弾道ミサイル搭載原子力潜水艦
=アメリカ14艦。ロシア10艦。中国4艦】
【航空機=アメリカ66機。ロシア76機。中国104機】
プーチンさんは大量の核兵器があることを一番知っていますよね。
あなたが核兵器を使えば、相手も核兵器で反撃します。
その結果 “地球は滅びます”。自分の国もなくなってしまうのです。
私はテレビと新聞であなたの戦争を毎日見ています。
ウクライナ侵略はあなたが始めた戦争です。
あなたが止めれば終わります。
あなたが始めた戦争ですから止めてください。
◇ むすびに:わが郷土の誇り
富士宮市には人類を核戦争から守る誓いがあります。
1984年制定=「核兵器廃絶平和都市宣言」です。
今年8月に10基目の標柱が元城町の新設富士宮市立児童館に立てられます。
核兵器廃絶平和都市宣言
『平和の象徴である富士山を持つ富士宮市は、
核軍拡競争の悪循環が核戦争の危機を増大させていることを憂い、
人類の生存と恒久平和のために、すべての核保有国に対し、
核兵器の廃絶と軍縮を求め、
わが国の非核三原則が完全に実施されることを願い、
国際社会の連帯と民主主義の原点に立って、
核兵器廃絶の世論を喚起するため、
ここに「核兵器廃絶平和都市」となることを宣言する。
昭和59年10月2日 富士宮市 』
は、わが郷土の誇りです。