鳥居の向こう側 -2ページ目

鳥居の向こう側

埼玉県・東京都・千葉県・神奈川県の神社を中心に巡り、ブログを書いています♪

2023年10月19日参拝。


北口本宮冨士浅間神社神社

のつづきですおねがい



ご本殿の裏にある、

富士登山道吉田口


鳥居

奥に小さなお社が見えます。

祖霊社

【御祭神】
藤原角行霊神 ふじわらかくぎょう
村上光清霊神 むらかみこうせい
伊藤身禄霊神 いとうみろく
長谷川角行って「藤原」だったんだびっくり
食行身禄も「伊藤」なのですね。


祖霊社の裏の森は、とても清々しい雰囲気照れキラキラキラキラ


ここから250mほど先に「大塚丘」があるようです。


空気がとても気持ち良いです乙女のトキメキ乙女のトキメキ乙女のトキメキ


拝殿から徒歩5分くらいで到着。

史跡富士山構成要素・ 
大塚丘(おつかやま)

「北口本宮冨士浅間神社」発祥の地ですキラキラキラキラキラキラ

一の鳥居

ゆるやかにカーブする石段を上って行きます。

二の鳥居

前回記事にも書きましたが、
「北口本宮冨士浅間神社」の社記によると、第12代・景行天皇40年(110年)、日本武尊が東征の帰り、足柄坂本(相模国)より甲斐国へ入り、酒折宮に向かう途中、この丘に登り、富士山富士山を遥拝されて、
「北方に美しく広がる裾野をもつ富士は、この地より拝すべし。」
との詔を発せられたと伝わっています。

これに従い、里の人々は丘上に鳥居を建て、後の景行天皇50年(120年)に祠を建てて、浅間大神と日本武尊をお祀りしました。
その後の延暦7年(788年)に、「北口本宮冨士浅間神社」の現在の地に社殿を建立し、浅間大神を遷座したため、現在「大塚丘」には日本武尊だけが祀られています。


小さな覆屋の中に、とても小さな石の祠。

【御祭神】
日本武尊 やまとたけるのみこと



【御朱印】

「北口本宮冨士浅間神社」の授与所で拝受できます。
一緒にこちらもいただきました。


埼玉県の方が描かれた絵です。
なんか嬉しい爆笑


境内へ戻ります。


社殿の右手にたくさんの末社が並んでいます。
奥(向かって左)から順に…

日之御子社

【御祭神】
日之御子大神 ひのみこおおかみ

御神体の神像は、元は富士山八合目に祀られていましたが、明治元年に現在地に遷され、昭和27年(1952年)に境内社として創建とのこと。

非公開の御神体です。
※「北口本宮冨士浅間神社のすべて」より。


池鯉鮒社(ちりゅうしゃ)

【御祭神】
少彦名命 すくなひこなのみこと


倭四柱社(やまとよはしらしゃ)

【御祭神】
荷田東麿大人 かだのひがしまろうし
賀茂真淵大人 かものまぶちうし
本居宣長大人 もとおりのりながうし
平田篤胤大人 ひらたあつたねうし

いわゆる『国学の四大人』ですねウインク
通常は、荷田春満(かだのあずままろ)ですけどね。
一応パンフレットに従います。

ここからは朱く塗られた末社群。



日枝社

【御祭神】
大山咋神 おおやまくいのかみ


日隆社(ひたかしゃ)

【御祭神】
高皇産霊神 たかみむすびのかみ


愛宕社

【御祭神】
火結神 ほむすびのかみ


天津神社(あまつじんじゃ)

【御祭神】
天津神 あまつかみ


国津神社(くにつじんじゃ)

【御祭神】
国津神 くにつかみ


天満社

【御祭神】
菅原道真公 すがわらのみちざね


奥に見えるのが、登山道吉田口の鳥居です。


神馬舎馬

木造に塗装された神馬は、甲斐の武田信玄公奉納の白馬を原形として模造されたと伝わります。



ここから90度向きを変え、

三殿社

秋葉社
【御祭神】
火之迦具土神 ひのかぐつちのかみ
厳島社
【御祭神】
市杵島姫命 いちきしまひめのみこと
疱瘡社
【御祭神】
大名持命 おおなもちのみこと
少彦名命 すくなひこなのみこと


三神社

八坂社
【御祭神】
速須佐之男命 すさのおのみこと
春日社
【御祭神】
天児屋根命 あめのこやねのみこと
東照宮
【御祭神】
徳川家康公 とくがわいえやす


風神社

【御祭神】
級長津彦命 しなつひこのみこと
級長津姫命 しなつひめのみこと
社殿はなく、木の根元の自然石に祀られています。


摂社・諏訪神社

一対の立派な御神木


拝殿キラキラキラキラキラキラ

ご本殿乙女のトキメキ乙女のトキメキ乙女のトキメキ

【御祭神】
建御名方神 たけみなかたのかみ
八坂刀売神 やさかとめのかみ


勧請年代は不詳ですが、古くから当地一帯の森を「諏訪の森」と呼ぶことや、『甲斐國志』の「諏方明神」の記述から、相当の古社であることがうかがえます。
元々は上吉田地域の産土神でしたが、明治以降、「北口本宮冨士浅間神社」の摂社となりました。


右手に回ります。
赤い瑞垣に囲まれています。


「諏訪の森」は、「北口本宮冨士浅間神社」の南西に広がる境内林ですが、江戸時代の『甲斐国 社記・寺記』によれば、ここは「諏訪神社」の境内林です。
現代ではそのほとんどが国有地となっていますが、17世紀にこの地域を治める谷村藩の2代藩主・秋元富朝が、富士山の雪解けに伴う土石流災害「雪代」から上吉田・新屋・松山を守るために赤松を植林したものと伝わります。



毎年8月26、27日に行われる「北口本宮冨士浅間神社」の例祭『鎮火祭(吉田の火祭り)』は、日本三奇祭の1つに数えられ、国の重要無形民俗文化財に指定されていますが、明治時代になるまでは「諏訪神社」の祭礼でした。
富士山富士山を信仰する人が増えて「浅間神社」が大きくなったため、「諏訪神社」は「浅間神社」と一緒に火祭りをするようになりました。
勇壮な神輿の渡御や、高さ3mの大松明90本以上のお焚き上げなどが行われ、毎年大勢の参詣者で賑わいますおねがい

【『吉田の火祭り』について】
炎を燃やすお祭りをするのは、
①諏訪神社の御祭神である建御名方神を、地元の人々が手に松明(たいまつ)を持って迎えたことから、という説。
②富士山の神様・木花開耶姫が火の燃え盛る産屋の中で無事に3人の御子を産んだから、という説。
があります。

※富士山北口鎮火大祭図「北口本宮冨士浅間神社のすべて」より。

【宵祭】8月26日
①本殿祭
②御動座祭
浅間神社と諏訪神社の神様が神輿に遷御。
③発輿祭
高天原と呼ばれる広場で斎行されます。

高天原

神社を出発した2台の神輿は、
諏訪の神輿=「明神(みょうじん)神輿」が先頭で、
富士山の神輿=「御山(おやま)神輿」が後に続きます。

明神神輿

御山神輿

「御山神輿」は「明神神輿」を追い抜いてはいけない決まりがあります。
元々のこの土地の神=諏訪の神に敬意を表してのことです。

※「北口本宮冨士浅間神社のすべて」より。

④御旅所奉安祭
神輿が御旅所に着くと、大きな松明に火を灯します炎
続いて、通りにある全ての松明を立てて火を点けて、南北に伸びる1本の火の帯が現れます炎炎炎
人々は、松明が焼け落ちて残っている「消し炭」を火事除けや安産にご利益があるお守りとして持ち帰ります。

【本祭】8月27日
⑤御旅所発輿祭
ここでも最初に「明神神輿」が出発し、「御山神輿」が後に続きます。

⑥金鳥居祭

一の鳥居である「金鳥居」前で行われ、これより神輿は還御の途につきます。

⑦御鞍石祭
⑧あげ松の神事
⑨すすき祭
 境内の高天原で行われ、女性が参加します。
⑩高天原祭
⑪還幸祭

【御朱印】

こちらの御朱印も「北口本宮冨士浅間神社」の授与所で拝受できます。

「鎮火祭」の冊子などもいただきました。


諏訪神社の手前に、さらに末社が続きます。

覆屋の中に2つのお社が並んでいます。


向かって左が、
下諏訪社

【御祭神】
事代主神 ことしろぬしのかみ

向かって右が、
子安社

【御祭神】
伊弉諾尊 いざなぎのみこと
伊弉冉尊 いざなみのみこと

通常、「子安社」と言うと木花開耶姫が御祭神のことが多いですが、ここは本宮が木花開耶姫ですからね照れ



大鳥居と隨神門の間、左手に、
福地八幡社

【御祭神】
誉田別命 ほんだわけのみこと



大鳥居の右手に、
冨士守稲荷社🐺

【御祭神】
宇賀魂神 うかのみたまのかみ



参道右手の奥に、
青麻社(あおそしゃ)

【御祭神】
天太玉命 あめのふとだまのみこと

「青麻社」とはなんと美しい名称キラキラ
祭祀を担った氏族・忌部氏にふさわしい名称です。
能登の「氣多大社」でもそうでしたが、天太玉命は、境内の少し奥、他の境内社とは離れた場所にひっそりと祀られていることが多いように思いますキョロキョロ


最後になりましたが、
境内案内図を載せておきます。


我が田子山富士富士山と関わりの深い「北口本宮冨士浅間神社」、やっと参拝が叶いました爆笑
初参拝でしたが、昨年の田子山富士の「山仕舞い」の時に、「北口本宮冨士浅間神社」のことをたくさん調べたので、初めて訪れる気がしませんでした。

田子山富士富士山の「山仕舞い」の行事も、こちらの『吉田の火祭り』に倣っています。


元々の産土神である摂社・諏訪神社へはお参りしない方も多いようで、諏訪神社前はひっそりとしていました。
諏訪神社は頭の中で思い描いていた通りの雰囲気で、とても好きな神社になりました照れ乙女のトキメキ乙女のトキメキ乙女のトキメキ

「北口本宮冨士浅間神社」また訪れたいです。『吉田の火祭り炎』もいつか見てみたいおねがい


最後までお読みいただき、ありがとうございました爆笑ルンルンルンルンルンルン
富士吉田シリーズは、あと3回つづきますウインク