帰省前に決めていたことがあった。

 

生んでくれてありがとう

育ててくれてありがとう

今までありがとう

感謝しています

 

たった四つの言葉、口に出して伝えよう。

心に決めていた。

 

 

 

自宅を出る時にザーザーと降っていた雨は、新幹線走行中の流れる景色の中で雨足が緩んできて、東京に近づく頃には白い空が見えていた。

 

 

今日の一日はほぼ移動で終わる、故郷到着は夕方、長旅だ。

でも苦には感じない、新幹線や飛行機に乗る、日常と違う行動は気持ちが高揚するばかりで、前日から当日にかけてはもうピークだった。

一日一日が待ち遠しかった。

 

 

いよいよだー。

 

 

道中や滞在中のトラブルは終わってみれば全て旅の醍醐味となる。

日常では気がつかない味わいが、そこには存在するのだ。

 

 

 

始りは少々波乱を含んでいた。

 

 

最寄り駅から在来線に乗って新幹線乗り場へと向かうと、駅構内で聞こえたアナウンスに驚いた。

新幹線が 春の嵐 の影響で停電・運航見合わせ・復旧の見込みが立たない状況となっていたのだ。

 

 

運航再開の待ち人となってしまった。

 

 

幸いにもたっぷりと時間に余裕のある旅程だったので、午後の飛行機の出発時刻には間に合うと高を括った、大丈夫。

前の晩に作った卵焼きとから揚げ、今朝作った炊き込みご飯のおにぎりを家族に配り、待合室で食べた。

 

 

ものすごく久しぶりの味付けご飯、炊き込みご飯の素って、こんなに美味しかった?

 

 

空腹が満たされた頃、運航再開のアナウンスが流れ新幹線に乗り込むことができた。

いよいよ出発だ、故郷沖縄に向けて3泊4日の帰省旅、let's go!

 

 

東京駅が見えてきた、、、っと、ええっ⁈

車窓から恐ろしいほどの人の数が見えた、人・人・人・・

ホームに降り立つと、更に人の多さに圧倒された。

 

 

今日は平日だよね?

平日とか関係ないのかな?

春休みだから?

春の嵐の影響だったようだ。

 

 

前に進めない、この人の流れのままだと時間が掛かる、隙間を潜り抜けていくしかないのか。

子供を抱っこした長女はどんどん歩いて行く、次女と義理息子君は後ろを歩いている、2人を確認しながら長女を追いかける。

 

 

義理息子君は、大きなキャリーバックを二つ引いている。

最小限の物しか持ちたくない私はいつも思う。

子供の物がいろいろあるんだろうけど、そんなに荷物を持っていかなくてもいいんじゃない?

 

 

口にすると面倒だから口にしない。

持つのは私じゃないしね。

 

 

人込みを掻き分け掻き分けようやく駅構内に降りると、ここもものすごい人・人・人・人、、、溢れかえった人でごった返ししている。

バケツをひっくり返したような騒ぎだ。

駅員さんも対応に追われている。

うわっ、駅員さんの前は行列が。

 

 

ひゃーー

 

 

駅員さんは並んでいる方たち全員と話をするの?

DJポリス、登場してーー。

軽快な口調で状況を説明してーー。

 

 

と言いたいところ、それどころではないわよね。

目的地に行きたい、皆さんそれよね。

 

 

何とか迷子にならずに空港行きの電車に乗り込んだ、やれやれ。

ところが空港に到着すると、ここでも飛行機の遅延で出発が遅れていた。

この調子だと、沖縄到着は夜だなあ。

 

 

でも、飛ばないということではない、遅れても飛ぶのだから大丈夫だ。

昼食を摂りお土産を購入するうちに搭乗時刻が訪れ、2時間35分のフライトが始まった。

 

 

東京は暑かった、沖縄はもっと暑いだろう。

 

 

機内では機内誌を読んでまったりと過ごす。

紙の機内誌が嬉しい。

 

 

自宅を出てから12時間過ぎ、沖縄に到着、兄の迎えの車に乗って実家へと向かった。

今回の帰省は、単に里帰りではない。

昨年の12月に母が胃がんと診断されたので、元気な間に会っておくために、皆で帰ることにしたのだ。

 

 

久しぶりに会う母は痩せてはいたが、大きな体調不良もなく変わらず口が達者でやかましかった。

こんなやかましい母を前にすると、心に決めた例の四つの言葉は出てこんわ。

いやいや、待て待て、諦めるな、最後の日に言おう。

とにかく言えばいいんだ、言えば、言う事が大事だ、半ば投げやり。

 

 

センチメンタルも何もないものだ、いいけどね~。

 

 

兄嫁の用意してくれた美味しい夕飯とオリオンビール、これだけでも来たかいがあるってもんだ。

 

 

1日目は移動で終わり、2日目は親戚に会ったり、お墓参りをした。

3日目は時折スコールのような雨が降る中、親友の運転でドライブをした。

オシャレなリゾート地・瀬永島(せながじま)と沖縄天ぷらの島・奥武島(おうじま)を巡り、いろんな話をして楽しかった。

 

 

そんな楽しく過ごした3日目の夜、母と2人きりの時間があった。

母はここぞとばかり愚痴を言い始め、自分の人生を嘆く言葉を延々と話し始めた。

 

 

相変わらずだなあ、昔から私にはこうだったから慣れてはいるけれど、少しは変わっているのではと、期待をしていただけにがっかりした。

 

 

時々の電話でも確かに愚痴ばかりだった。

仕方がない、黙って聞くしかないと思いつつ、段々むかっ腹が立ってきたが頑張ってこらえた。

 

 

貝のように口を閉ざして無になろうと必死、それが逆に母の逆鱗に触れたようだったが、そんなこと構っていられない。

いつまで続くか分からない愚痴の嵐に早く寝てくれーと念じるばかりだった。

母の気持ちを推し量るとか、んなのどうでもいい。

 

 

そんなだからとうとう、四つの言葉を伝えることはできず、最後の日の去り際に

「ありがとう、元気でね」と言うに終わった。

 

 

 

1か月後、母は急変し亡くなった。

まだまだ大丈夫と思っていただけに早すぎて驚いた。

死に際には間に合わなかった。

 

 

兄嫁が綺麗にお化粧をしてくれていて、眠っているようだった。

生きている間にはどうしても言えなかった、言いたくなかった言葉をようやく伝えることができた。

 

 

生んでくれてありがとう

育ててくれてありがとう

今までありがとう

感謝しています

 

 

親を選んで生まれてくると言うから、私が母を選んだのだ。

自分で選んだ父と母の元で修行をしたのだ。

それを考えると、感謝を伝えるべきだったのだけれどできなかった。

 

 

でも不思議と悔いはなくて、私は頑張ったと思えた。

母も苦しみが終わって解放されたのではないかと思えた。

ホッとする自分がいた。

 

 

生まれ変わるのも悪くはないと、最近考えが変わってきたから、人生の修行も楽しいものだと捉えられるようになってきていた。

 

 

母が亡くなってすぐに、初七日までに物だらけの家をスッキリさせようと、実家の整理を始めた。

きれい好きではあったのだが、何しろ物が捨てれない、何でも取っておく性分。

埃だらけのお菓子の空き箱はいくつも重なっていた。

ほぼ全てを処分するつもりで兄夫婦と取り組んだ。

 

 

使われていなかったベットの下から数十年のホコリを被った段ボールが出てきた。

中を開けると、写真やかつての私の勉強ノートなどが入っていた。

 

 

そして、一冊の国語の教科書が。

 

 

ああーっ、と叫んだ。

 

 

これ、私の中学の国語の教科書

捨てたと思っていたけど、ここにあったんだ

取っていてくれたんだ

 

 

私は自分で捨てたと思っていた。

 

 

おぼろげなあやふやな記憶が蘇った。

そうだ、母に頼んだのだった。

 

 

この教科書、捨てないで、って。

 

 

中学一年の国語の教科書、羽仁進さんの『きみたちの夢 きみたちの未来』を読んで、とても感動をした。

旅人になりたいと夢を描いた、大切な大切な教科書だった。

 

 

母は頼まれたことを覚えていたのか、それとも忘れたけれど、物を捨てれない性分だから娘の思い出のつもりで取っていたのか。

分かる術がない。

分かっているのは、2度の引っ越しにも捨てずに残していてくれたことだ。

 

 

中学一年の国語の教科書は、再び私のもとに戻ってきた。

初七日が終わって自宅に戻る日、バックの中にはこの教科書が入っていた。

空港で機内で新幹線でこれを読んだ。

 

 

胸元には母の遺品のネックレスが下がっていた。

 

 

 

 

『きみたちの夢 きみたちの未来』

 

ぼくの子供のころの夢は、探検家になることだった。

アフリカのジャングルの奥にあるといわれる像の墓場、

だれにも知られずに巨像たちが集まるという秘密の沼。

サイとカバが決闘するという湖のほとり。

数千、数万のフラミンゴが、空を紅に染めて飛ぶという朝。

ぼくは、くり返しくり返し、夢に見た。

 

数年前やっとその夢がほんものになって、ぼくは、撮影隊といっしょに、東アフリ

カの奥地へはいって行った。

フラミンゴは、ほんとうに青空をピンクに染めて飛んだし、巨像は、隊を組んで山 

を降りて、湖に集まって来た。

 

ぼくは、興奮しながら、はるかに地平まで続く草原を、シマウマの大群が移動して

行くのを見た。

ライオンが狩りを始めるころ、満月が、雪をいただくキリマンジャロの峰の真後ろ

からのぼるのも見た。

そんな大自然の中で、ぼくは何人かのアフリカの少年たち少女たちに出会った。

 

ある少年は、まっぱだかの上に、ゴロレと呼ぶ一枚の布を巻きつけただけの姿で、弓

矢を持って、ヒヒの群れのすむ森を歩いていた。

ある少女は、ヒョウの鳴き声の聞こえる小学校で、ブルーのスカーフを風になびか

せながらフットボールに興じていた。

 

そして、かつて、アフリカの探検記が日本のひとりの子どもの心をかきたてたように、東洋の見知らぬ国からやって来たぼくたちが、今度はアフリカの子どもの心に、見知らぬ異国への興味をひきおこしているのを知った。

 

北ノルウェーで、北極から吹いてくる風の中を走り回っていた子どもたち。

ギリシアで、大神殿の遺跡の間をロバを引いていた子どもたち。

 

こっちから見れば、とても遠い国に見える。

行ってみると、その国の子どもは、はるかな異郷として日本に思いを寄せているのだ。

 

地球は丸い。

ふたりの人間が歩き始めれば、必ずどこかで会えるのだろうか。

昔、よくそんなことを考えた。

まだ地球は、ほんとうに丸くはない。

国境があり、いろいろな差別がある。

 

おとなたちは、今まで知恵をしぼってやってきた。

そして、文明をつくりあげた。

文明は人間にいろいろなものを与えた。

それでも、差別をなくし、境界をなくすことは、今までのおとなにはできなかった。

 

月に降り立った人間は、やがて宇宙に新しい世界をつくりあげるだろう。

きみたちがおとなになるころには、地球ではなくて、太陽系が、活躍の場所だと考えられるかもしれない。

しかし、今の文明にかけているものが、そのままなら、人間はけっして幸福になれない。

 

今までできなかったことを、きみたちはどうやって成功させるか。

 

きみたちの未来は、広い。

今までだれも経験しなかったほど広い。

しかし、きみたちの未来は、むずかしい。

広くて、そしてむずかしい未来に向かって、今きみたちは、新たな一歩をふみ出そうとしているのだ。

 

          羽仁 進

 

 

 

 

 

 

 

ありがとうございます