拙著「僕が帰りたかった本当の理由」

まだまだ好評発売中!

 


三回忌

 

 

 

颯太郎)  「  ただいま~ 

 

 

 

なんだか元気が無さそうに帰って来た

我が家の三男坊、颯太郎(そうたろう)。

 

 

いつもとは様子が違う

 

 

最近は

新高校生活にも慣れて機嫌が良かったのだが、

その日は

肩に重りが乗った様表情が暗い

 

 

 

『何か学校で有ったのかな?』

 

 

 

そう思っていると、

肩から重たそうなジャケットを脱ぎ降ろしながら

颯太郎が言う。

 

 

 

颯太郎) 「バス停に引かれている黄色い線って何?」

 

 

 

私) 「目が不自由な人の為の点字ブロックじゃない?」

 

 

 

颯太郎) 「なるほど...、そうなんだぁ... 」

 

 

 

少し納得したのか、

表情を和らげた颯太郎は、

事の顛末を説明し始めた。

 

 

今朝、

いつものバス停

スマホをいじりながら、

通学バスを待っていた颯太郎。

 

 

すると突然、

知らないおばあさんが近づいて来て、

いきなり大声で颯太郎を怒鳴った

 

 

いったい何のこと

自分が怒鳴られているのか分からず、

颯太郎はフリーズ。

 

 

暫く怒鳴られていると、

どうやら

"黄色い線"の上に立っていることを

指摘されたのだと気がつき、

慌てて線の上から移動したというのだ。

 

 

どれ程に厳しい𠮟り方をされたのか、

颯太郎は詳細を語らないので分からないが、

本人の落ち込み度合いから推察すると

かなりの剣幕

怒鳴られたことは明らかだ。

 

 

おばあさんとしては、

障害者(盲ろう者)の為に設置されている

点字ブロックの上に、

無知そうな若者が突っ立っている事に、

厳しくダメ出しをしてくれたのだろう。

 

 

この令和の時代に、

見ず知らずの若者を叱咤出来る大人

存在して居ることに

感心する様な話である。

 

 

でも、

そんな常識派のおばあさん

まさか颯太郎が

点字ブロックの意味を知らない

帰国子女だということを、

想像も出来なかっただろう。

 

 

もし

想像していたら

もう少し柔らかい口調での指摘だったはずだ。

 

 

そして

颯太郎に心の傷を負わせてしまった事を、

この正義感の強いおばあさんは

永遠に、

想像することすら出来ないのだ。

 

 

人は誰しも、

他人の秘めた事情までは知る事が出来ないので、

知らずに他人を傷付けてしまう事がある。

 

 

このバス停おばあさんの場合もそうだ。

 

 

でも、

この御時世に若者を叱咤できる大人

としては貴重だし、

社会としてはありがたい存在である。

 

 

ちょっと颯太郎にはかわいそうな経験だが

良い社会勉強にもなっただろう。

 

 

 

 

 

 

親としてそんな事を考えていると、

今度は逆に、

自分がありがたくないおばあさん

出遭ったことを思い出した。

 

 

我が家が渡米を決心するきっかけにもなった

昔の話だ。

 

 

それは、

自閉症児だった我が家の長男坊、諒(りょう)が

未だ5歳くらいの頃の事

 

 

諒を連れて近くのトイザらス(おもちゃ屋)へ

出掛けることになった。

 

 

そこで孫らしき子供を連れたおばあさんと出遭う。

 

 

諒は、

その同じくらいの歳の子の事が気になったらしく、

ちょっとだけその子の身体に触れてしまう。

 

 

それは、何の悪気も無く、

すれ違いざまに手を軽く触れた

程度の事だった。

 

 

ところが、

その様子を見ていたおばあさんは、

慌てて御孫さんの手を引き寄せながら、

 

 

 

 

『あ~、怖ろしや怖ろしや』

 

 

 

 

 

と言って凄い形相で諒と私を睨みつけたのである。

 

 

 

まさかのドラマの世界

と思うくらいのシーン。

 

 

おばあさんとしては、

危害を加えるかもしれない障害児から

孫を守ろうとしての当然の行動だったのだろう。

 

 

そして

そんな危険な自閉症児を

公共の場に連れて来る様な親に対する

不服と苦情の思い

『あ~、怖ろしや怖ろしや』

という台詞に込められている

 

 

でも、

このおばあさんの行動が、

どれだけ障害児の親の心を傷付けたのかを、

そのおばあさんは

永遠に知る由も無いのだ。

 


 

 

 

 

以上が

ありがたくないおばあさんに出遭ったという話。

 

 

では、なぜ

こんなおばあさんが日本に存在して居るのだろう?

 

 

殆どの日本人の場合、

障害者とは分離された教育環境の中で育ってしまうので

障害児を見たことも無いままに成人する。

 

 

障害児の事を知らないおばあさんからすれば、

障害児は危害を加える危険な対象でしかないのである。

 

 

だから、

悪気も無く障害者を傷付けてしまう

 

 

これは、

おばあさん個人の性格の問題というよりも、

日本の教育制度が犯す過ちと言えるのだ。

 

 

 

日本の教育制度

ありがたくないおばあさんを作り出し

障害者を傷つけていると言えるだろう。

 

 

 

 

 

 

日本社会での

ありがたくない経験は

このおばあさんの話に留まらない。

 

 

これは、

妻のめぐみが諒を精神科の病院

連れて行った時の話。

 

 

初めて行った病院は

諒にとっては刺激の強い場所だった。

 

 

当然、

パニック (癇癪かんしゃく) を起こして

暴れ出すことになった。

 

 

初めての環境が苦手な事は、

自閉症患者としては典型的な症状だ。

 

 

当然の事として

精神科の医者は対処する方法を知っている筈である。

 

 

ところが、

暴れている諒を目の前にして

プロである医者が成す術も無く放った台詞は、

 

 

 

 

『お母さん、静かにさせて下さい。』

 

 

 

 

だったのだ。

 

 

その台詞からは、

『あなたの子が周りに迷惑を掛けているんですよ。

親としてしっかりと管理して下さい』

という思いが透けて見えた。

 

 

救いの手を差し延べてくれる筈の医者が

無責任に放った台詞は、

冷たく我が家を突き放した

 

 

その台詞を聞いて、

 

 

 

 

「もう、日本に居場所は無いな。」

 

 

 

 

怒りを通り越して、

そう思ったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

簡単に障害者のことを傷つける社会

 

 

そんな生きずらい日本の社会から

我が家がアメリカへ脱出できたのは

2001年の事だ。

 

 

渡米した当初は

日本よりも遥かに進んだ

障害者福祉に支えられながら

健やかに生活を送れる事を有難く感謝した

 

 

体系だった統合教育制度や

障害者に対する優しい社会の目に守られながら、

穏やかな生活を送る事が出来たのだ。

 

 

でも実際に、

その穏やかな生活を築く迄には

相応の努力と労力が求められた

 

 

学校や政府といった

公的機関に対する権利の主張は、

時には法的な手段を講じる必要も有った。

 

 

言葉や文化の壁も立ちはだかった。

 

 

思えば

日々が戦いの連続だった。

 

 

結局は、

どんな社会で生活をしても

障害者の生活を健やかに保つ為には、

並ならない努力が不可欠。

 

 

障害者は生きている限り

終わりの無い戦いを続けなくてはならない。

 

 

そんな事を学んだのが

アメリカでの20年間の生活だったのだ。

 

 

 

 

 

そして、

 

 

2021年6月27日

 

 

今から2年前、

我が家は20年間のアメリカでの生活に

終止符を打って日本へ帰って来た

 

 

一旦は永住を決めて

シッカリと根を張ったアメリカの社会から

日本の社会へと

諒を連れて帰るためには、

想像以上のエネルギーと準備が必要だった。

 

 

そして、

長い年月を費やし、

エネルギーを注いで、

やっと諒を日本へ連れて帰る準備を整えたのだ。

 

 

 

それにもかかわらず、

 

 

 

最後の最期で、

諒は自分の帰り先として日本を選ぶことは無かった

 

 

 

出発の数日前に

彼は別の世界へ旅発ってしまう。

 

 

諒を喪った我が家は

傷心と混乱の渦に巻き込まれながら

日本へ帰る事になったのだ

 

 

喪失の痛みに溺れながら、

我が家にとっては過酷な日本への帰路。

 

 

 

そんな記憶を辿っていると、

久しぶりにあの香織さんからラインが届く。

 

 

 

 

「 もうすぐ諒君が形を手放して2年ですね。

自由さへの興奮が収まって

より充実した状態を楽しんでいる頃だと思います。 」

 

 

 

 

諒が自分の帰り先として選んだ日本以外の場所、

その場所で、

今の諒は生活を楽しんでいるのだ。


 

仮にあの時、

万全に準備した日本の生活環境

帰って来れたとしても、

実際に生活を開始すれば

沢山の人に支えられて生きなくては

ならなかっただろう。

 

 

ひょっとすると、

それが諒本人にとっては

一番辛い事だったのかも知れない。

 

 

 

今は

生きづらい鎧を脱いで、

自分の力で健やかな生活を送る

ことが出来る場所へ帰る事が出来た

諒へ、

 

 

 

 

 

「良かったね。 もう戦わなくても良いよ。」

 

 

 

 

 

そんな風に改めて声を掛けてみた。

 

 

 

 

でも、

 

 

 

 

私)  「親父は諒君の生活を全力で支えるから、

いつでも戻っておいで。」

 

 

 

やっぱり、

そんな事も思ってしまう。

 

 

 

すると、すかさず、

 

 

 

諒) 「僕は障害者の為に社会を改善する活動で忙しいんだよ。

親父は僕の事なんかよりも自分の治療に専念してね。」

 

 

 

 

そう息子に窘(たしな)められてしまうのだ。

いつものパターンである(笑)

 

 

 

 

2023年6月15日

 

 

 

 

まだまだ堂々巡りの3回忌を向かえる。

 

 

 

 

 

★★★★★★★★★

 

 

 

 

 

諒君、親父は治療がんばってるよ。

 

 

今回の治療では、

血管注射の打率を挙げる為に

秘策を思いついたんだよ。

 

 

『朝風呂』に入って身体を温めてから

注射に臨むっていう秘策。

 

 

これで一気に血管注射の成功率が上がった。

 

 

まだまだ、

がんばるぞ~。

 

 

 


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