朝寝坊弁慶のささやかな交湯録

朝寝坊弁慶のささやかな交湯録

朝寝坊弁慶の由来は、朝寝坊して昼過ぎからのこのこと温泉に出かけていく習性に由来しております。

弁慶はなにかといえば、語呂合わせみたいなものです。

興味の幅がありすぎて、まとまりがありません。最近は京都に住んでいます。気持ち的にはです。

ちょっと手違いがあり、昨日はこちらを先にアップしてしまったので、そのあとで差し替えて本日、再度アップいたしました(という裏事情)。


さて、翌朝、早めに起きて滋賀県大津市に向かった。



まずは大津歴史博物館の「源氏物語と大津」展と「紫式部と祈りの世界」展へ。



そしてすぐそばの三井寺へ。金堂(本堂)では百体観音の特別公開もやっていたのだが、なんとも時間がなく今回は諦めて、境内を飛ぶように廻った。



閼伽井屋。閼伽井とは仏に備える聖なる水のこと。



この閼伽井屋からはこんこんと湧き出ている水の音が聴こえてくるので、聴いていると癒されるように感じる。私は温泉も豪快に投入されている様子を視覚的に見せる演出よりは、こんこんと湧き出すタイプが好きなのだが、そのような温泉に入っている時のような感覚である。



霊鐘堂



弁慶が三井寺から奪って比叡山まで引き摺り上げたと伝わる鐘。弁慶が突くと「イノー、イノー」(帰る、帰る)と鳴ったので、怒って谷に突き落としたのだとか。


そう言われても何のことかわからないだろうが、同じ天台宗でも三井寺は五代座主円珍さん(智証大師)が祖となる天台寺門派で、比叡山は天台山門派。共に比叡山に居たのだが、三代座主の円仁さん(慈覚大師)を師事する派閥が円珍さんを師事する派閥のお堂に火をかけて山から追い落としたので、寺門派はこの三井寺に移り本山とした。つまり弁慶のそれは、その後の敵対関係にあった時代での出来事ということである。



奈良の世尊寺から移築された重文の三重塔



唐院は開祖、智証大師(円仁さん)をお祀りする聖域。



観音堂。西国三十三観音霊場の第14番。しかし時間がなくて本堂ではもらった御朱印もこちらでは頂かず、他にも収蔵庫なども見ずに移動。



わずかな時間で観音堂から琵琶湖をのぞみ、石段を急いで降り駅へと向かう。京阪の上栄町から地下鉄の三条京阪までは直通で行ける。



そして三条大橋から先斗町に戻った。この日は1組の日で1組は昨夜の亜弥さんが立方で舞台に上がる。1日3公演のうち、この日は最初の公演を観た。ちなみに昨日は最後の公演を観た。



席は6ー13とほぼ中央だったのだが、希望としては、もう少し左側だと花道に近いんだけどなあと、だんだん贅沢を言うようになる(笑)。



最初の公演にしたのは、公演後は速攻で三条京阪に向かい、二条で乗り換えて宮津に向かう為であった。


ね。

全席指定のゴールデンウィーク。


久しぶりに指定席で京都に向かうと車内で子供が転んで緊急停止ボタンが押された。離れた車両なので詳細は不明だが車内放送で医師あるいは看護師への協力を呼びかける事態になった。その後運転を再会し三河安城を通過。しかし名古屋で乗り継ぐ予定のひかりは、そのわずか19分の遅れを待ってくれずに、そうなると次のこだまは当然更に遅れているわけで、ざっと1時間のロスとなっては滋賀での予定はキャンセルして先斗町歌舞練場へ行くしかなくなった。(しかも米原で乗り換えた在来線でうとうとしてしまい、山科で降りたほうが早いのに京都駅まで行って追加料金を払う始末となった😓)



古いポスターを展示していたが、もうちょっと新しいのがあっても良くないかなと思えるほど年代物だった。


お茶席で菓子とお茶を頂き、パンフレットを購入し、席に向かう。



席は6ー8。あれ?いろは順だったのに、変えた?


この日は3日だったので、3組の公演だった。フィナーレのてんてん投げでは、芸妓の市乃さんの2投目が胸元に飛んで来た。


終演後、五条大宮のホテルにチェックイン。少し休憩し、夕食に出た。



予約時間までいささかあったので、高島屋の英国展に立ち寄った。バウアーのライダースのUSEDとか、あれば欲しいが荷物が増えるとはちょっと困るなあとか思いながら一回り。目指すは安井金毘羅宮のすぐそばのお店。



納豆創作料理 夏豆

050-5590-6091

京都府京都市東山区小松町561-17 

https://tabelog.com/kyoto/A2601/A260301/26033735/


納豆は京都発祥との説もある。



カラフル納豆は、七種の国産大豆を使用していて、違いを味わったあと、



クリームにトッピングして頂く。



大粒の京北産納豆と小粒の北海道産納豆を本日の料理には使用しているとのこと。この2種の食べ比べ。



納豆ポテサラは小粒を使用。



納豆揚げ餃子も小粒。



お酒と納豆のお店なので、月の桂を頂く。



明太クリームの納豆半熟卵オムレツは大粒。



納豆飯には大粒小粒と挽肉を使用。卵、薬味を次々に追加して味わう。



卵もこだわっていて、京都三和鶏園の濃紅というブランドのようだ。



デザートのアイスには納豆パウダーをお好みでかけ、



もちろん中にも納豆は入っている。


ゴールデンウィークはなかなか予想が難しく、普段と人の流れが全く違うということを今回はよくわかったが、最終20時の予約は私だけだったので、早めに退店した。爺さんはその気になれば相変わらず早喰いなのだ🤭。


どうしようかなと祇園町から先斗町へ移動して、いつもと違うブルース系ストリートミュージシャンが居たのでちょっと聴いた。時間は21時をすでに回っていたから、すでに後口の宴席に入ってしまって芸舞妓さんも歩いていないだろうと思っていたら、前から着物の集団が来る。


その中に亜弥さんがいて腕を捕まれ「さ、行きまひょ」と言うので「何処へ」って聞いたら「店どす」とそのまま店まで連れて行かれた。



歩きながら一緒にいた襟替直前の舞妓さんに「おめでとうございます」と声をかけたら、そのままお呼びすることになった。これはこれで後々貴重な経験に繋がったのでラッキーだったかもしれない。襟替直前は引っ張りだこなはずだが、たまたま空いていたらしい。


この髷は先笄(さっこ)という舞妓から芸妓に変わる2週間だけ結うことのできる特殊な髷。この髷を結うには笄(こうがい)が不可欠なのだとか。笄とは、結髪道具である。武士は刀につけていて髪を整える時に使った。秋山小兵や鬼平が手裏剣のように投げるのがまさに笄である。


ね。



432farmのインスタで紹介されていたイベントへ。



内容的にはなんか不思議な、どのような位置付けなのか、よくわからないと感じたが、不動尊が復活するなら行ってみようかなと出かけた。場所は鬼石の山奥らしい。



指定された三波川西小学校跡に駐車して、送迎バスで向かう。



紹介してくれた432farmの移動販売。農家で自家栽培した食材などでカレー等を販売している。もともとは、焼鳥のとさか屋の謙さんの紹介で、一時はトサカ屋でバイトもしていた。



妹ヶ谷不動尊は、調べてみると御荷鉾山不動尊、御荷鉾不動尊といくつか異なった名称で表記されているようだ。ここは御荷鉾山不動尊。



橋を渡り、山道を進む。



不動尊付近の案内図があったが、ここには御荷鉾不動尊とある。



到着。まずは護摩から始まり、法螺貝が鳴り響く。


調べたら一年ほど前に管理をしていた宗教法人が解散し、その後の引き受け先を探していたらしい。これだけ山の中だと、引き受けても負担しかないだろう。



そして不動明王の御真言、声明(しょうみょう)という進行であった。



このような立派な不動明王石像が岩の上に安置されていた。



装飾を尽くした不動堂



石仏



芭蕉の句碑


山の中で辺鄙なのは今だけであって、その昔は往来もあり栄えていたのかもしれない。山の中に昔の幹線道路が通っているなんてことも、よくある。



護摩が終わると奉納の歌と演奏(鼓、篠笛)



小江戸里神楽



怪談



演目は午後まで続くのだが、昼になったので下山。



432farmでカレーと里芋の唐揚とコーヒーを購入してサイドカーをテーブルにして食べた。



帰りに三夜尊と書かれたお寺があったので、ここも月待の寺かなと立ち寄ると二十三夜の勢至菩薩が祀られた寺だった。



本堂の天井が素晴らしくて観ていても飽きない。


ね。



モンスンのインスタで知ったイベントへ。


モンスンとは、前橋の豆腐ドーナツ屋である。



四辻の齋嘉





九州の民藝といえば、弁慶にとっては小鹿田焼が興味の対象である。


小鹿田焼が好きになったのも、京都に行くようになって民藝を知ったからだ。弁慶にとって京都との出逢いは、とても重要な事なのだなあとつくづく思う。


椀と皿を購入。



帰りになんとなく走っていたら、六千坊空也地蔵尊に出逢った。この辺りに空也上人が住んでいたという伝承があるそう。


それで近所の寺院に何か痕跡はないのかと立ち寄って見ることにした。



善昌寺


空也上人だから、やっぱり天台宗だろうなと行ってみた。



伝教大師が下向した際に弟子の宥海により創建。かなり歴史のあるお寺で、もともとは大同寺と称した。



新田義貞の首塚があったが、伝承によれば桃井次郎が持ち帰って、受け取った重臣の船田義昌がここに葬り自らもこの寺で生涯を終え、それにちなんで善昌寺と称するようになった。



次は曹洞宗の龍真寺。こちらは江戸時代の創建。中央の鶏亀地蔵菩薩は市の指定重文。



牡丹の庭があって、ちょうど牡丹祭りの最中。









こちらの左の石仏には女人講中という文字が彫ってあったので横から見ると二十二夜と書いてあった。月待塔の一種なのだと思う。




境内を更に探すと、一番右の石塔は二十三夜塔だった。



安養寺。こちらも天台宗のお寺。いずれも空也上人については何も無さそうだった。


帰って高崎に蕎麦を喰いにいったら休みだった。



Di PUNTO  イーサイト高崎店

群馬県高崎市八島町222 イーサイト高崎 1F

https://tabelog.com/gunma/A1001/A100102/10024106/


いつも通りランブルスコ。



チーズと生ハム。できるだけ小麦断ち中なので、ピザもパスタも食べないで、店をでる。



そして200円引きの弁当を買った。ちなみに峠の釜めしはもう売り切れていた。



観音弁当だから、この3色は何か意味があるのだろうか。仏教的には三色幕(青か緑、白、赤)というのがあるらしい。群馬は群馬三山があって、運動会とかでも3つに分けたがるのが良いところだと思うよ。何でもかんでも2つに分けなくて行かないと、闘う必要もあるのだろう。


ね。

従兄弟が亡くなった。


といっても、それを知ったのは今年でも、亡くなったのは昨年である。亡くなるまでの話を聞いたら、まるでウチの親父のボケる前のような、とぼけたおっさんだった。やはり、血は抗えない。弁慶にもその節はある。


だとすれば、彼は兜太の妹の息子なので、文学的な才能を以って何かしていたのだろうかとも思った。あまりにも疎遠で、弁慶は知らない。


死因は肝臓癌だったようで、死ぬにあたって誰かに知らせたいかと従兄弟(その妹)が聞いたら、ウチの親父の名だけをあげたのだという。


そして、同じ日(10月4日)に死んだ。なんかすごいな。


道理で連絡が取れないはずだ。




さて、春の社内行事で立川へ。



名代 宇奈とと 立川店

042-595-9569

東京都立川市錦町1-3-21 

https://tabelog.com/tokyo/A1329/A132901/13253314/


昼飯はここで食べた。



立川 すえひろ

050-5597-3556

東京都立川市柴崎町3-11-7 エルレーヴ立川 1F

https://tabelog.com/tokyo/A1329/A132901/13020322/


夜の宴会はここだった。肉は久しぶりに食べた。



帰りは川崎の人身事故の影響で高崎線は大幅に遅れているし、次は魔の籠原行きだったので新幹線へ。でも新幹線駅からは徒歩40分かかる。在来線駅のそばまで歩いて来たら、電車降りた人がぞろぞろといた。でもこれでこの日は18,000歩。


そういえば、宴会に向かう途中、(30分ほど歩いたのだが)気になるカフェがあった。



翌日の立川の仕事は昼過ぎからだったから寄ってみた。



なんでもない日

042-523-5114

東京都立川市柴崎町4-11-4 

https://tabelog.com/tokyo/A1329/A132901/13173108/


ネーミングが良い。でも考えさせられる。弁慶は昨日、昼に鰻を食べた。でも、そんなことは、生まれ育った時代では考えられないことで、鰻なんて贅沢品だった。寿司だって、ステーキだって、おめでたい日に食べたんだよ。近所の街中華からもやしラーメンを出前してもらうのだって、特別なことだった。


なんか豊かになって、貧しくなった気がする。



野菜も若干ながら販売しているようだ。



スープセットはスープひとつ。満腹セットはスープふたつ。3種類の中から選べる。ミネストローネと豆と野菜のスープを選んだ。あとはパンが米を選べるが、なるべくなら小麦断ち中なので、米。



コーヒーは300円なのはお値打ち。



店は遊歩道の傍にある。



鴨も鳩もそんなに逃げない。



山中坂。ここは防空壕があって戦争末期に子供32人を含む42人がなくなったんだと書いてある。


そして仕事終了!この日は宴会もないので帰ろうとしたら、今度は中央線が人身事故で国立駅で折り返し。私はその先の西国分寺まで行かないといけない。理由は書けないが、南武線方面に進みかけてやめて、八高線で小川町まで行ったが、東松山に戻ってみた。



東松山名物の焼鳥(やきとん)を味わいたいと思ったのだが、



普通の焼鳥のお店に入ったようだ。目を付けていた本命の店はもう焼物がないから閉店だってことだった。



熊谷駅までのバスはそこそこ遅くまで運行していたからまた行ってみようと思う。


ね。