エジプト「王家の谷」の続きです。
「ツタンカーメンの墓」の後に行ったのは「セティ1世の王墓」でした。
濃いなあ〜!
ここは、壁画保護を理由に長い間公開されていなかったのですが、2016年11月01日より一般公開されるようになりました。
王家の谷の中でも最大級で素晴らしい壁画が残されているというので、観られる事が感激でした。
チケット代は別途1000エジプトポンド(約6千円)が必要で、1日150名の限定入場、写真撮影も不可です。
セティ1世は、今から2300年くらい前に即位した古代エジプト第19王朝・第2代ファラオです。
ラムセス1世の息子であり、有名なラムセス2世の父親でもあります。
第18王朝最後の王ホルエムヘブには跡継ぎがいなかった為、宰相であり親しい友人でもあったラムセス1世が後継者に指名されました。
しかし、ラムセス1世は即位した時既に老齢であり治世が短かく、ラムセス1世の死後、息子のセティ1世が王位を継承したのでした。
セティ1世のミイラ⬇︎
セティ1世は、オンム・セティの過去世での愛人でもありました。
私の1番の興味はそこかな。
王墓の内部は、本当に素晴らしいものでした。
写真がないので、感動をお伝えする事が難しいですが、奥の部屋の天井には暦を表した壁画がありました。
2300年も昔のセティ1世の王墓が観れた事に感謝です。
その後は自由行動になりました。
一般チケットは、あと二ヶ所入れるので、みんな思い思いに散らばって行きました。
私は、次は「ラムセス3世の王墓」に入ることにしました。
ラムセス3世は、古代エジプト文明が最も栄えた「エジプト新王国期」最後のファラオです。
実は、ラムセス3世のミイラには考古学者たちを悩ませるいくつかの特徴がありました。
ミイラの首周りが包帯で厳重に巻かれており、胴体部分は複数の層からなる樹脂で固められていたのです。
パピルスには、ラムセス3世が暗殺されたことを示す記述が残されているものの、致命傷が見当たりませんでした。
ところが2012年、ラムセス3世のミイラをCT撮影した所、幾重にも巻かれた包帯の下には、彼の喉元が鋭利な刃物によって切り裂かれている痕跡があったのです。
さらに、足の親指が切り落とされている事も分かりました。
彼は少なくとも2人の敵に襲撃されており、ひとりは正面からラムセス3世に向かって斧のような武器を振り下ろした為、彼は足の親指を失ってしまったようです。
その直後、もうひとりがラムセス3世の背後から襲いかかり、喉元にナイフを当てがい暗殺を実行したという事が判明したのです。
パピルスによると、自らの息子ペンタウアー王子を次のファラオにしようと目論んだ第二王妃ティイが、王家の関係者と共にラムセス3世の暗殺を企てたようです。
あな恐ろしや。。
パピルスに書かれていたのは本当の事だったと、現代の医療機器で証明されたわけです。
そして最後は「メルエンプタハの王墓」に行ってみる事にしました。
メルエンプタハは、古代エジプト第19王朝第4代目のファラオで、ラムセス2世の第13王子であります。
ラムセス2世が67年間も統治していた為、その跡を継ぎメルエンプタハが即位した時には、既に60歳を超えてしまっており、彼の治世は10年という短いものになっています。
しかし、医学の未発達なこの時代としては60歳での即位は驚くべきことです。
星空がきれい⬇︎
メルエンプタハの最期は、葦の海で溺死したようで、 その為、彼のミイラは灰白色のろうのような状態で発見されており、「白いミイラ」と呼ばれています。
メルエンプタハには「モーゼを追って海で溺死した説」と、「防腐処理のナトロンの問題で白くなってしまった説」の2つがあるようです。
そう言われてみれば、「カイロ考古学博物館」に確かに「白いミイラ」ありました。
「王家の谷」って偉大なるファラオたちの数々の歴史が眠っていたすごい場所だという事が、鈍感な私でも感じることが出来ました。
メルエンプタハの王墓から出て来たところ⬇︎
正面はラムセス6世の王墓⬇︎
王墓の中にいた監視員のエジプト人が、みんなのスカーフをターバンにして巻いてくれました。
結構、しっかりと巻かれていて、みんな大喜び。
そして王家の谷に別れを告げて、一路、向かうはクルーザーへ!
これからいよいよナイル川クルーズの旅が始まります!!