湧玉の祝い事の儀式が行われた地へ再び | misaのブログ

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近江八景をめぐる旅


12月18日に、Pと一緒に琵琶湖の周辺へと行って来ました。


まず最初に訪れたのは、近江神宮 でした。


楼門


近江神宮は、百人一首かるたの祖と言われる天智天皇をお祀りしていることから、「かるたの殿堂」とも呼ばれています。


また近江神宮は、アニメ・映画「ちはやふる」で多くの国民の知るところとなった「競技かるた」の舞台としても有名です。


天智天皇の事績の多くは「国防」であるため、そういう意味でまさに天智天皇は「荒ぶる神=ちはやぶる神」とも言えます。


外拝殿


大化の改新で活躍する中大兄皇子が即位して天智天皇となり、奈良の飛鳥から『近江大津宮』に遷都しました。


今もその還都の理由や『近江大津宮』の場所についてははっきりと解明されていないそうです。


しかし、近年の調査により、近江神宮が鎮座する地に『近江大津宮』が存在していたことがわかって来たそうです。


内拝殿


そんな重要な地である近江神宮。



実は、ここは1979年に『湧玉の祝い事の儀式』が執り行われた地でもあるのです。


仏界系の仏様方が 龍神様に日本のご加護をバトンタッチされたのです。


『邪悪なものが多すぎて もう自分たちではこの日本という国を守り切れない。ついては日本の建国に携わった龍神様に委ねますからよろしくお願いします』と。


そして天界の龍神様の世界からたくさんの龍神様が地球に来て、今の日本をご加護してくださるようになったのだそうです。


栖松(せいしょう)遥拝殿


なので、琵琶湖周辺の神社仏閣めぐりを始める前に、一番最初にご挨拶しておこうと、再び近江神宮を訪れたのでした。



次に訪れたのは三井寺(みいでら)。


どんなお寺か知らなくても、なんとなく名前は聞いたことあるような。。


実際、行ってみたら境内のあまりの広さに驚きました!



めちゃくちゃ広いじゃん!!


仁王門(大門)


釈迦堂


天智天皇・天武天皇・持統天皇の三帝の誕生の際に産湯をつかった霊泉があることから、「御井の寺」という意味で「三井寺」と言われているんだそうです。


現在もこの霊泉はポコポコと祠の中で湧き出ており、その音を聞くことができるそうです。


行かなかったけど。。😆



そして、こちらが歌川広重の近江八景「三井晩鐘」で知られる大鐘楼↓



ここを手始めに、私たちは知らず知らずのうちに近江八景の場所をいくつか巡っていることに後で氣づくのでありました。


金堂


観音堂


観音堂は、かなり離れた場所にありましたが、高台から琵琶湖が見えるのでした。


遠くに見えるのが琵琶湖↓


鐘楼


さらに三井寺は、源実朝を暗殺した公暁とも関わりのあるお寺でした。


建暦元年(1211)、公暁は12歳のときに出家し、源氏と関わりの深い天台宗寺門派総本山の園城寺(三井寺)に入り、園城寺の高僧・公胤(こういん)の弟子となったのだそうです。



三井寺は、今日まで続く千二百年以上の歴史の中で、源平の争乱、南北朝の争乱等による焼き討ちなど幾多の法難に遭遇しましたが、智証大師への信仰に支えられた人々によって支えられつつ、苦難を乗り越えてきた様から、「不死鳥の寺」としても知られているそうです。



一度は訪れたい場所です。



そして、私たちが次に向かったのは唐崎神社。琵琶湖に面した小さな神社です。


こちらは、『日吉大社』の摂社で、近江八景の「唐崎の夜雨(からさきのやう)で知られる景勝地でした。




古くから祓の霊場として知られ、平安朝には「七瀬の祓」の一所として都人や多くの姫君たちがお祓いをされて来たそうです。


めちゃくちゃいい感じ 💕



松尾芭蕉の「辛崎の松は花より朧にて」という句で名高い樹齢約100年の巨大な霊松が境内にありました↓


金沢の『兼六園』にある唐崎の松はこの地から分けられたものだそうです。




広重の絵にある富士山のような対岸の山が、とっても氣になり調べてみました。



すると、対岸に見える山は、近江富士と呼ばれる三上山だそうです。



広重さんも同じように氣になったんですね😆


なんか、親近感を感じてしまいました。


小さな神社ながら、すごくいい氣が流れていて、あちこち行った中で、Pもここが一番良かったと後で振り返っていました。



近江の旅は続きます。