地震多発中の能登半島の先端へ行って来ました! | misaのブログ

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能登半島へ ①


私は、2年前から地震が頻繁に起こり続けている能登半島の先端がずっと氣になっていました。


そんな時、能登半島の先端のパワースポットに、なかなか予約が取れない人氣の宿がある事を知人が教えてくれたのです。


4月に結構簡単に日曜日でも予約が取れたので、パートナーと『神社100選巡り』を兼ねて6月18日に能登半島に行くことが決まりました。


その後です。能登半島で大きな地震があったのは。



地下のプレートが動く時に、流体が上がってきて、それが岩盤の間を通って地震が起こるそうですが、私はその揺れる大地の上に乗ってみたいという思いをますます強くしたのでした。


途中の神田パーキングエリアで、10台くらいのランボルギーニ・カウンタックと遭遇し、彼と一緒にめっちゃテンション上がりました!!



その向こうに見えるのは伊吹山↓


そこから走ること約45分。


ようやく『神社100選』の中に入っている氣比神宮に到着しました。



いやに人が多いなぁと思ったら、花嫁さんがいらっしゃいました!

神社で花嫁&花婿さんを見かけるのは吉兆です。


歓迎のサイン、願いが叶うサインだそうです。


またまたテンションアップです。



市民に「けいさん」の愛称で親しまれる氣比神宮は、大宝2(702)年の建立と伝えられています。


1300年以上の永きにわたり敦賀を見守っている日本有数の明神大社なのです。



ご祭神は伊奢沙別命・仲哀天皇・神功皇后・日本武尊・應神天皇・玉妃命・武内宿禰命の合計7柱。


主祭神の伊奢沙別命(いざさわけのみこと)は御食津大神(みけつおおかみ)とも称される氣比神宮にのみ祀られている神だそうです。


伊奢沙別命は謎の多い神で、食物を司るとされていて、『古事記』にはここ敦賀から朝廷に海産物などの食物が奉られていたと記されているそうです。


参拝客がめっちゃ並んでいました↓


高さ約11mの大鳥居は重要文化財で、春日大社(奈良県)・厳島神社(広島県)と並ぶ日本三大木造大鳥居の一つになっています。


佐渡ヶ島から漂着したムロで建立したと伝わっています。


来月、佐渡ヶ島に行く予定なので、繋がっていてびっくり‼️


昭和20年の「敦賀大空襲」ではこの大鳥居を残して、氣比神宮はほとんど焼けてしまったそうで、現在の氣比神宮は「昭和の大造営」により再建されたものだそうです。



俳人・松尾芭蕉は「おくのほそ道」の旅で敦賀の地を訪れています。


訪れたのは、ちょうど中秋の名月の前夜陰暦の8月14日で、境内には松尾芭蕉の像と句碑があります。



月の光が照らす境内の美しさを読んでいる句もあり、『日本百名月』にも認定されているそうです。



私たちが訪れた18日は、ちょうど新月の日でしたー!お月様見え〜ん😆

見えないけど、確かに昼間、太陽と共に私たちの頭上にあるってことですね。


境内には、猿田彦神社もありました。


「平家物語」巻第七「篠原合戦」には木曽義仲が氣比の社に領地を寄進したことが書かれているそうです。


また、「義経記」には源義経が「敦賀の港まで下って、氣比菩薩の前で夜どおし祈りを捧げた」と書かれているそうです。



そして、次なる地に向かう途中、ランチのために、尼御前サービスエリアに寄りました。




私は、この尼御前という地名がめっちゃ氣になったので調べてみました。


すると、尼御前岬という場所があること、そしてその伝説が分かりました。



【加賀市美岬町の尼御前岬に源義経にまつわる言い伝えが残されている。


奥州へ下る義経一行は安宅の関の検問の厳しさを聞いており無事通過できるか危惧していた。


義経一行の中にいた尼御前という名の尼は安宅の関で足手まといになると思い断崖から身を投げたといわれている。


尼御前を悼む人たちがこの岬を尼御前岬と名着けたとのことだ。


義経にまつわる伝説は全国で聞くことができる。】


北海道の神威岬に続き、ここにも義経伝説があったのですね。


義経のために身を投げる女性のなんと多いことか😱


行く先々で義経さんゆかりの地に遭遇するのもご縁があったからでしょうか。


続きます。