桜が散り、様々な花が目を楽しませてくれ

心癒される季節がやってきましたチューリップピンク

10日ほど前、喉が痛く発熱しました。

幸いただの風邪でしたが

咳が続きやっと落ち着いたところです。

季節の変わり目、昼夜の寒暖差には

お気をつけくださいね。




私は幼い頃熱を出しても

母は献身的に看病してくれなかった

記憶があります。

幼心にそれを感じたのは

妹が生まれた頃から。




妹は体が弱く頻繁に発熱していました。

おまけにアレルギー体質。

高熱で引き付け入院したことも。

なので両親は妹が熱を出すと

大騒ぎでした。






私が発熱しても仕事へ行く母。

病院へ連れて行ってくれても

母は私を家に置いて仕事へ行きました。




しかも妹が発熱すると

りんごをすりおろして食べさせたり

ゼリーやジュースを買ってきたり。




幼稚園くらいのころ

私と妹との両親の対応が違うことを

不満に思った私はそのことについて

号泣しながら訴えましたが

あんた何言ってんの!?

バッカじゃない!?って笑われ

うまくまとまらない言葉で懸命に

自分の思いを伝えたのに

笑い飛ばされたこと

傷ついた記憶があります。




私が高熱で寝床から起き上がれず

喉が渇いたと訴えても

「甘えるな‼」と怒鳴りつけられました。

さすがに可愛そうだと思った妹が

「お姉ちゃん何飲みたいの?」と

来てくれたのには救われました。






妹が体調不良だと仕事を休む母。

私の時は休まず。

自分がサボりたい時は

私が発熱したことにして

仕事を休んでいました。

"大人って汚いな"

と思ったのを覚えています。




私は愛されたかった

抱きしめて欲しかった




母は変わることはなく

私が病気でも仕事へ行き

それがいつしか親がいないのだからルンルン

起き出して撮りためていたビデオを見たり

コミック本を読みあさったり

病気で学校を休んだ日は

楽しみの時間へと変わっていきました。






いつだか、寝込んでいた日の午後

激しい雷と雨でとても怖かったことがあります。

そんな時父が私を心配して電話をかけてきて

くれたのです。

私は号泣しました。

父は「もう少ししたら母さんが帰ってくるから

頑張るんだよ」と言われました。




父に手をあげられることは頻繁でしたが

そんな優しい一面もあったのです。

なんだかんだやはり母より

父のほうが愛情があったなぁ。




でも思春期以降は父の存在が

煙たかったです。

結婚してからは

一週間に2日も3日も電話をかけてきた父。

「元気かー?」と言うので

この前も話したばかりじゃん💢と

つっけんどんに受け答えしていましたが

今ではそれを

申し訳ないと思っています。






"父の電話は私からのSOSを

待っていた"と思います。

元夫は金銭感がおかしく

いつも私はお金に困っていたこと

ワンオペで体調が悪くても

休まず家事子育てをしていたこと

そんなことを素直に話せていたら

もっと若いうちに離婚し

もう少しマシな仕事に就いて

良い人見つけ再婚したりしていたかなぁ

と思ってしまいます。




今更言ったところで

たらればなのですが笑い泣き




これだけは言えます。

起きたこと全てに意味があった

だから今の私がいる

今の私は幸せですおねがい



最後まで読んでくれてありがとう照れ

今日1日があなたにとって愛と笑顔に溢れ

ハッピーでありますように虹