これは、もう27~8年ほど前の話です。

当時平屋の一軒家に住んでいました。庭があって軒先がある古い家でした。

 

黒トラと白グレーの2匹の子猫が、ある日突然庭先に現れました。

最初は怖がって逃げていましたが、毎日庭先に現れてやがて徐々に慣れていき、

おやつを手から食べてくれるようにまでなりました。

 

黒トラの子猫はチーズが大好きだったので、チーちゃん。

白グレーの子猫はみゃあと可愛い鳴き声なので、みゃあちゃん、という名前で呼んでいました。

 

毎日毎日軒先の窓下に現れては、おやつをあげていました。

すっかり大きくなった元気な姿を毎日見ては、幸せな気持ちを貰っていました。

 

ある日、ご近所のIさんという方が、この子達はうちの子になったから、、、
と話してくれたことを切っ掛けに、

この子達の面倒を見てくれている人が他にいたんだなぁ、、、

と安堵感とともにちょっぴり寂しい気持ちになったのを覚えています。

 

その告知を聞いてから数週間ほど経った頃だったでしょうか?

私がパートから帰宅し、換気の為に窓を開けると、軒先にきちんとお座りをしている白グレーのみゃあちゃんがいることに気づきました。

嬉しさのあまり、すぐ軒下に出て、

「みゃあちゃん、久しぶり。来てくれたの?」とニコニコ話しかけました。

 

するとみゃあちゃんは、私の目を優しい眼差しでじっと見上げると、

くわえていた小さなお魚を床にそっと置いたのです。

何かをくわえていたことに気づいていなかった私は驚きました。

 

更に驚くことに、その小さなお魚は、またぴしゃぴしゃと動き生きていたのです。

おそらく新しいおうちで飼っているペットの小さないお魚なのかな?と思いました。

 

みゃあちゃんは私が帰ってくるのを待ち、直接私にそのお魚をプレゼントしてくれたのです。

何故そう思ったかというと、生きている状態でくわえたまま待っていてくれたからなのです。

 

みゃあちゃんに、「待っててくれたの?ありがとう。プレゼントまでくれて嬉しいわ。有難く頂くね。元気にしているの?」と話しかけると、

みゃあちゃんは私の目を真直ぐに暫く見つめた後、静かに踵を返し去っていきました。

 

その日を最後に、みゃあちゃんは姿を見せなくなりました。

 

たまたまこの日の数日前くらいに、猫の漫画本を読んでいて、

猫の恩返しのストーリーを読んだばかりだったので、

これって猫の恩返しってやつだよね、、

と、そう思うと胸がジンと熱くなり、涙が出てしまいました。


私はこの実体験をしてから、猫を見る目が変わりました。

猫は人間が思っている以上に、繊細で賢く、そしてとてもスピリチュアルな存在です。

 

人間には見えていないものが見えているし、感じ取る力もあり、

感情豊かで、高い知性があると、私は確信しています。

 

それはこの後、別の黒トラの保護猫の里親になり、更なる猫の神秘的な能力を色々と見せらたからでもあります。

 

これからの地球には、動物達の持つ知性や個性や感情を理解する必要があると感じております。

猫は、私の体験から思うのですが、人間を導く動物界のリーダー的存在であるとも感じております。

 

ペット達は、言葉が通じないから知性がないとか低いと思い込んでいるだけで、

実は人間の感情や言葉の多くを理解しています。

 

むしろ人間だけが、ペットや動物の言葉や感情を理解できていないのかも知れないし、、、

人間が一番賢いと思い込んでいるだけで、実は一番理解力が乏しいのが人間だったとしたら、、、

 

そう思うと、、、様々な思いがこみ上げる今日この頃です。

 

【追記】

※かれこれ27~8年程前になるかと思いますが、ゾウの言語を解析する学者さんのことを知り、

それによるとゾウが言語を使ってコミュニケーションを取り合っており、この当時50~60言語ほど解析できていること知りました。

現代においてはキリンやイルカ・クジラ達の言語の多さも認識されてきていると聞きます。

そうした情報が増えてきている現代なので、この記事を書いてみました。

 

こうした研究をされている学者の方達には感謝ばかりです。

とても崇高な研究だと思います。※