当時、私は高価な一眼レフを購入し、あちこち近場に写真撮影をしに出歩いていました。

 

たまたま鎌倉八幡宮に撮影をしに行った時のことです。

 

樹齢1,000年の大銀杏の大木が階段の左脇に聳え立っていました。

リスがちょろちょろと動き回っていたりで、私はワクワクとした気持ちでシャッターを切り続けていました。

 

階段を上り、横から大銀杏を撮影していた時のことです。

突然、「苦しいよ~辛いよ~苦しいよ~」と木から声が聞えたのです。

私は気のせいと思い、シャッターを切り続けました。

 

確かにその大銀杏を見ると、立派な注連縄が掛けられており、とても重そうに見えるな、、、とは感じましたが、それはあまりにも人間的なものの見方であって、そんなはずは現実的にあり得ない、と、その時の私は思いました。

 

こんな経験は初めてのことでしたので、気のせいと思い、

その日はひとしきり撮影を終え帰宅しました。

 

それから数日後のことです。

テレビニュースで、鎌倉八幡宮の大銀杏が倒れた、と報道されたのです。

 

私は思わず「噓でしょ!!!」と叫んでしまいました。

 

あんなに立派な大銀杏の大木が突然倒れるなんて信じられない、、と、

もの凄く驚いてしまいました。

 

それであの日の声は間違いなく、あの大銀杏の声であったことを理解したのです。

私にとって本当に驚くべき体験でした。

そして暫く涙が止まりませんでした。

 

それからあちこちで木からの声や映像を含んだ情報を与えられることがしばしばありました。

 

友達数人で高座郡だったと思うのですが、八幡様の神社に行ったときのことです。

(その神社の名前は忘れてしまったのですが、、、)

心を鎮め、神社内の大木に触れたときのことです。

刀で多くの人が斬殺され、あたり一面が真っ赤に染まった光景が見えました。

これも気のせいかと思ったのですが、神社内に設置されている看板のひとつを読んだ時背筋が凍る思いがしました。

そこには、昔この敷地内で刀で斬りあう事件があったことが記されていたのです。

それを読み、先ほど私が大木に触れたとき見た映像は、そのことであったのだと分かったのです。

それで思いました。

大木は人間より遥かに長い年月そこに存在していて、沢山の記憶を携えており、

私はその記憶を見せられていたのだろうと、、、

 

それは木が語りかけているものなのか?それとも、その「場」に残った残留エネルギーというような記録というのか?記憶というのか?を感じ取っているのか???

 

はたまた???現在・過去・未来は同時に存在し、その重なりあう次元のパラレル世界を垣間見ているのか???

 

それは今の私にはまだ分かりませんが、

兎にも角にも、この地球というところは、紛れもなく宇宙の一部であり、

私達人間が長い間信じてきた(植え付けられてきた)ものは、この広大な宇宙の視点で見たときに、目に見えないほど小さな世界観に過ぎないことだけは間違いないかと思います。

 

そして、私達の捉えている「意識」とはいったい何なのだろうか?

などなど、思うことが多い今日この頃です。