季節外れのドカ雪って、3月の北海道じゃ言わないか。

少なくとも東北でだったら季節外れのドカ雪だろうね。



午後5時くらいから降り始めて、お客さんもあんまり来ないものだから7時には閉店しました。

その直後の釧路駅前がこの画像↓






釧路中央郵便局の脇はこんな感じ↓






釧路市役所のmoo側↓






市立釧路総合病院前↓






春採にあるコーチャンフォー↓

ちなみに、

この山側にCO・OPさっぽろとかLAWSONがあるのですが、そのLAWSONのちょっと先で軽自動車が横転していました。

何をどうすれば横転事故が起こるのやら、不思議でならない光景でしたね。






自宅に着いてまずは雪かき。






深夜0時になって玄関先を見てみるとご覧の通り。

あっという間に雪が更に積もっているという。

もう311なのに、こんなに降りますか。






mont-bellの厚々ダウンを着こんで、今夜2度目の雪かき完了。






ジムニーの雪はそのまんま。

気温はそれほど寒くもないのに、雪と風がすんごい!!

今頃来るのが釧路なんです。






明日から2連休。

でもこの雪なのでどこにも出掛けません。

雪かきを終えてからガレージでセローのバッテリーがあることを確認。

エンジンも一発で掛かりました。

これがスーパーシェルパと大きな違いです(笑)






まあ、ガレージの中にはストーブもあるのでそんなに寒くはありません。

ともあれ、こんな雪では明日予定していたレッドバロンへは行けませんね。

釧路の春の悪戯です。






追記》》》

余談です。

数年振りに、宮城県志津川町の朋友に電話をしました。

311のあの日から携帯電話が一切繋がらず、やっとのことで繋がったのが315。

彼はdocomoの携帯電話でした。



午前4時20分くらいのことです。

秋田市の自宅で寝ているワタクシを起こしたのは彼からの電話。

繋がるや否や、

「やっと繋がったじゃ。

○○さん、助けてけろ~!!」

その電話でワタクシは目が覚め、電話を切った後、ワタクシは各方面の共通の仲間達(秋田県民)に連絡を取り、それからありったけのお金を持って家を出ました。

24時間営業のスーパー・マックスバリュで買えるだけの食料を買い、

秋田県湯沢市にある「両関酒造」の駐車場でそこに勤める仲間と落ち合い、ポリタンクに詰めた水を貰い受け、

雄勝町から宮城県鬼首の峠を経て、古川市を通り抜け沿岸方面へ。

途中、中新田町のガソリンスタンドには、いつ開くのか分からないのに車が数台並んでいます。

当時、ガソリンスタンドに長時間並ぶため、車の中で暖を取るためにエンジンを切って、その代わり持ち込んだ七輪で暖を取るがために大勢の方々が一酸化炭素中毒で亡くなる…という痛ましい事故も多かったと記憶しています。

古川市内はあちこちで道路が陥没し、潰れた家屋も幾つかありました。

小牛田町から先は周りが田園地帯ということもあり、道路の陥没は酷かったですね。

まだパイロンがあちこちに置かれていたため、二次被害が起こらなくて済みました。

国道4号線から海側にかけては、それはもう数多くの支援車が日本全国から来ていました。

北海道電力(ほくでん)や中部電力の車を見た頃から涙が止まりません。

自衛隊の車は一目見ただけではどこの駐屯地か分かりませんが、

警察や消防の車両にはその名が入っている。

東北だけじゃなく、日本全国から被災した東北のために駆けつけてくれている…

それだけでワタクシの涙腺は崩壊でした。

髭の伸びた小汚ない顔した友と会えた時は、抱き合って泣きじゃくりました。



コールマンのランタン

ホワイトガソリン

イワタニのカセットガスボンベ式炊飯器

イワタニのガスカートリッジ

食料



ウエットティッシュ

ティッシュ



持っていったのはそんなところでしょうか。

4時半には電話を切り、5時には家を出ましたのでよくもまあ寝起きでそこまで頭が回ったものです。

当時のワタクシのアメブロは、一日のアクセス数が4000~5000くらいありました。

なのでそんな早朝に「今から秋田市を出発して宮城県へ向かいます」という記事をアップすると、タイムリーに読者の方々が

「秋田・岩手県境の仙岩峠は通行止めです。このルートは使わないで!」

とか、

「道の駅雄勝の近くのガソリンスタンドは朝から営業しています」

とか、

とにかく色んな情報をコメント頂きました。

本当にアメブロ繋がりの方々には感謝です。



当時のことを思い出しながら、

「俺さぁ、あんださんに謝りたいことがあるのさ。あの日、酒持って行って酔いつぶれるまで電気の入ってないコタツで二人して飲んだじゃん。数日でなんとかなるような軽い災害でもないのに、なんて軽率なことしたんだか…って、結構悔いが残ってるんだわ」

8年前のことをワタクシはこう彼に伝えました。

ところが彼は

「そんなこと言わないでくれ。あんださんが来てくれたから、俺も挫けそうな心がまた立った。うちの奥さんも、秋田からおらの親友が駆けつけてくれたことに先行きの安心感を持てた。来てくれてどれだけ有り難かったか。

あの日から毎日電話をするんだけれども繋がらない。携帯の充電は避難所で出来るんだけんども、肝心の電話が繋がらない。暇さえあれば充電しに避難所へ行って、暇さえあればあんださんに電話してた」

「んだけんど、俺よりも他に頼れる友達とかいるべ?」

「いや、こういう時に頭に浮かんだ顔はあんださんだけだった。あんださんだったら何とかしてくれる…何とかしてここまで駆け付けてくれる…そう思って、あんださんにずっと電話を掛け続けていた」

その言葉を聞いたらさ、

ワタクシがこの世に生まれてきた価値がここに有ったのか…と思い、涙が止まりませんでした。

この世に、家族以外でワタクシを頼ってくれる人が居るということ。

嬉しいほどに表彰された気分でした。



年賀状のやり取りはずっとしていますが、電話で話すのは3年振りくらい。

まあ、音沙汰が無いのはお互いに元気な証拠という事で良いのだと思います。

311にあったことを忘れない…ではなく、

会えずしても朋友(ぽんゆう…中国語で親友のこと)のことは忘れない。

それがワタクシの311のような気がします。



明日、奥さんと共に当店のレジカウンターに置いていた募金箱を届けてきたいと考えております。