心が折れた経験はありますか?

 

 

バーバラのようにもう人生折り返し

地点を過ぎているような人には

心が折れた経験はそれこそたくさん

あります。

 

 

一番古い心が折れた記憶は

幼いころ大好きだった近所の

友だちが引っ越して行ってしまった

ときのことでした。

 

 

近所に住んでいたのは

年上の男の子ばかりで

 

 

遊び相手も年上の男子ばかり。

 

 

小さな女の子のわたしは

「みそっかす」と呼ばれ

 

 

鬼ごっこもかくれんぼも缶蹴りも

みそっかすとして戦力外通告を

されていましたw

 

 

それでも

 

 

遊び仲間に入れてくれただけでも

優しいお兄ちゃんたちだった

んだなーと思います。

 

 

いつだったかははっきり

覚えていないのですが

 

 

近所にとてもかわいくて

優しい女の子が越してきて

 

 

すぐに友だちになって一緒に

遊ぶようになりました。

 

 

小学校にあがる前だったと

思うのでかなり昔のことです。

 

 

大好きでいつも一緒にいました。

 

 

でもしばらくして引っ越して

行ってしまったのです。

 

 

 

泣きたいくらい寂しくて

悲しい出来事でした。

 

 

でもさみしいとか悲しいとか

言えませんでした。

 

 

どう表現したらいいのかきっと

分からなかったんでしょうね。

 

 

引っ越してもお友だちで

いることはできないだろうか

 

 

引っ越したおうちに

遊びに行けないのかな?

 

 

そんなふうに思っていましたが

口に出して気持ちを表現する

ことができずにいました。

 

 

でも大好きで大事なお友だちが

いなくなってしまったことで

 

 

こころはポッキリと折れ

しばらく口がきけませんでした。

 

 

これはバーバラが覚えている

心が折れた初めての経験でした。

 

 

 

 

それから半世紀が過ぎて

これまでいろいろな体験・

経験をして、心が折れる

ことも山ほどありました。

 

 

おまけにコンプレックスの塊も

ありました。自分の人生はなんて

意味のないことの連続だったんだろう

なんて思うこともありました。

 

 

バーバラは戦時中鬼畜米兵と

教えられ、アメリカ人を嫌って

いた親の反対を押し切って

アメリカ人と結婚しました。

 

 

20歳のときに教会に改宗していたので

神殿と呼ばれる特別な場所で式をあげました。

 

 

神殿の中には教会員で推薦状という

特別な資格を持った人しか入れません。

 

 

家族の中ではわたしだけが

教会に改宗していましたから

両親は結婚式を見ることが

できないと分かっていました。

 

ですからわたしはどうせ見れない

んだからとアメリカでの結婚式に

親を呼ばなかったのです。

 

 

結婚後は日本にしばらく住んでた

ものの、もっとのんびり子どもを

育てたいと思いアメリカに移住して

親を泣かせてしまいました。

 

 

まあー…

バーバラはいわゆる不良娘では

ありませんでしたが、かなり自分勝手な

親不孝な娘であったと思います(^^;;

 

 

兄は教員で公務員。

 

 

弟は看護士で県立の病院で働いて

いたのでやはり公務員です。

 

 

わたしがどこの馬の骨とも分からない

ようなアメリカ人(雑種ですよ、雑種!w)

と結婚して、日本にちょこっと

住んだかと思えば、アメリカにも

ちょこっとだけ住んでまた日本に

ひょっこり戻ってきたり・・・

 

 

職業も大学を卒業してから

コンピューターの会社に1年だけ

いて、そのあとは高校の英語の教員。

 

 

アメリカにいたときには

スクールバスの運転手やったり

健康食品会社のカスタマーサービス。

 

 

マーケティング資料の翻訳など

いろいろなことをしていて

一つのことに打ち込むという

ことをしてきませんでした。

 

 

あっちにフラフラ

こっちにフラフラ…

 

 

「あたしはプー太郎となんら

変わらない」ってコンプレックス

を持っていたんです。

 

 

 

 

兄や弟が真面目に堅実にやってるのに

わたしだけが根無し草のように

居場所も仕事も定まらず・・・

 

 

「わたしはこれまで一体

何をやってきたんだろう。

兄や弟がきちんと腰を据えて

社会の中でしっかり働いて

世の中に貢献して生きている

のに、わたしは何なんだ?」

 

 

わたしは価値あることが何も

できていなんじゃないかって

ものすごい自責の念にかられ

 

 

日本に帰ってきてしばらくして

母に泣きながら言ったことがあります。

 

 

「わたしは意味のない無駄な

ことばかりしてきた。意味のない

人生を送ってきてしまった・・・」と。

 

 

そうしたら母は即座にこう言いました。

 

 

「意味のない人生なんてないよ。

人生には意味のあることしか

起こらないよ。どんな経験も意味が

あることだよ。」

 

 

母にそう言ってもらえて

とても嬉しかったのですが

 

 

なぜなのか分からないけど

親の言うことは子どもの耳に

入っていかないのですよね。

 

 

(わたしの子どもたちがそうなんです。

悩んでいる時にアドバイスをしても

な〜んにも耳に入らないみたいです。)

 

 

母の言葉はありがたかったのですが

わたしを慰めるために気休めに

言ってるんじゃないかって思いました。

 

 

時は流れ・・・

 

 

あれからもう10年くらいの年月が

経っているかも知れません。

 

 

人生のコーチについて

いろんな学びもしてきました。

 

 

おかげでずいぶん前に

進んできたように思います。

 

 

 

 

最近読んだ本の中で特に

感動したことがあります。

 

 

それは「水晶」についての

お話しです。

 

 

山梨は「水晶」が発掘される

ことでよく知られているのですが

 

 

水晶はパワーストーンとして

人気がある石で占いとかにも

よく使われる宝石ですよね。

 

 

そんな水晶には【爆裂水晶】

と呼ばれるものがあるのを

ご存知でしたか。

 

 

なんでも外側から人工的に

圧力をかけて内側にたくさん

の傷を入れるのだそうです。

 

 

これは「クラッククオーツ」

とも呼ばれるそうです。

 

 

でも、なぜわざわざ美しく

透き通った水晶に傷を入れる

のでしょうか?

 

 

それは「傷が光るから」

なのだそうですよ。

 

 

水晶の中にできた傷に光を

当てると七色の虹が出るそうです。

 

 

透明な水晶ももちろん綺麗です

が光が反射するということは

ありませんよね。

 

 

「心も一緒じゃないでしょうか」

 

 

とこの本(「見る見る幸せが見えて

来る授業」サンマーク出版)の著者

ひすいこうたろうさんはおっしゃいます。

 

 

「心に受けた傷。

でも、それがあなたを磨き、

あなたらしさを光らせてくれるのです。」

 

 

「傷ついたのは生きたからである」

(高見順《詩人》より)

 

 

ひすいこうたろうさんが

心理療法を学んだときの先生

である矢野惣一先生は

 

 

 

 

なんども何度も心が折れて

自殺を考えるところまで追い込まれた

ことがあったそうです。

 

 

でも、心が折れるたびに

どうすれば自分を大事に

できるかを学び

 

 

心が折れるたびに、

心のことを深く理解し、

心が折れるたびに、

人に優しくできるようになって

いったのだそうです。

 

 

「だから心が折れそうな時は

折れたっていいんだ」と矢野先生は

おっしゃっているそうです。

 

 

「・・・わたしたちの心も何回も

折れて、立ち直ったつもりでも、

また折れて、そんなことを繰り返して

いつのまにか、美しい人生ができあがる

んだと思う」

 

 

人生に対してなんて美しい見方を

される方なのでしょう・・・

 

 

どんなに心が折れたとしても

 

それはわたしたちが輝きを

放つために起きていること・・・

 

 

そう考えたらまた雲の向こうにある

青い空と光る太陽を思い起こすことが

できますよねー・・・

 

【爆裂水晶】のように虹色に

輝こうではありませんか!!!

 

 

「死ぬこと以外かすり傷!」

 

 

とも言いますよね。

 

 

楽しく生き(行き)ましょう!!