4歳になる年

 

 

 

季節はいつだったか覚えていない。

私をかわいがってくれる知り合いや親せきのおじちゃんおばちゃんたちが大勢

黒い服でひざまずいて座っている。

私は自由な子ども。

死 というものがどんなものかって分かりっこない子ども。

白い箱の中に入ったおじいちゃんが寝ている

おじいちゃんの蓋を何度も開けて、何でそこに入ってるの?って言って笑って遊んでいたのを覚えている。

その都度おばあちゃんがその蓋を閉めて、私を抱える。

 

それから間もなく、家には白い階段が来て、

そこにおじいちゃんの写真と白い砂糖のような饅頭のようなものが小さな山をつくって、

おじいちゃんの横に置いてあげていた。

毎日その写真に涙するおばあちゃんの膝に座って一緒にお経を唱えてたのを覚えている。

 

 

 

 

いつだったか、ぽかぽかした昼間、

たぶん週末だったんだろうな。

お母さんがベランダで布団を干している。

おばあちゃんと二人でバスを待っている。

ベランダの母に何度も手を振って行ってくるねって言っているようだ。

はじめてのバスだ。

よくわからないけど、今思うと

”お母さんがくるまで病院まで送れたはずなのに”

おばあちゃんは高いバス賃を払って私と一緒に病院に行こうとしている。

たぶん、おばあちゃんとお母さんはけんかしたのかな。。。

 

今でもそう思うと胸がチクっといたむ。

 

 

 

いつだったか、春だったかな。

これは相当嫌な思い出。

トラウマになっているんだろうな、消したい記憶。

その時、初恋になってしまっているすごく嫌な思い出。

肌寒い春4月か5月。

こたつに入っていた私、G君たちがまた遊びに来た。

親たちは何やら打ちで打ち合わせしている。

その度に同じ年のGはこたつの中に潜り込み私にいじわるをしてきていた。

何でそんなことをされるのかわからない。

ただその場所から離れたいのに、どうしたらいいかわからないままそこに座っていた。

来る日も来る日もいじわるをされる。

何も言えない。よくわからない。頭がただ真っ白。でも二人の約束だからって暗黙の了解があった。

今でも心臓がバクバクするほど消したい記憶だ。

Gはとっくに、忘れてるんだろうよ。

苦しい記憶だっていうのに。

でも罪はないっていうのもわかってるよ。

でも大人になって分かったら、全部トラウマになるんだよ。

この記憶は治療が終わったらすっきりするのだろうか。

 

隠れて大人の本を見てしまった記憶も残っている。

その時にやっていた毎度おさわがせします』の主題歌

 

 

もまたインパクトがあって忘れられずにいる。

『カトチャンケンちゃんごきげんテレビ』も結構ハードな内容で

この頃はほぼ親は家にいない。母親が帰ってくるまでおばあちゃんと一緒に過ごしていた。

親やおばあちゃんの目をぬすんでは、見てはいけない露出された数々のテレビをみちゃっていた。

私には結構刺激的だった。

 

 

父がよく車の中でラジオを聞いてて、そのCMが忘れられないのよ。

 

 

今思うと、当時の母は27歳。母すごいな。マジで尊敬。

母は私たちを育てるために、樒の配達をしていて、稲毛までの長い配達は

R16を走りながらラジオを聞いたなぁ。カメムシがたまに出てきて臭くて、車酔いがひどくなった。

 

 

 

 

ふと・・・

カウンセリングを受けた時のこと。

 

同級生たちよりも細かいことを鮮明に覚えていることが多い私。

 

PTSDの診断を受けたときのこと。

カウンセラーから、

「認知療法をしていくと消えていくわよ。」

と言われた。

 

記憶が消えるってなんかちょっと悲しいなって思って残したくなっちゃった。

 

 

 

 

3歳の記憶。

初めて賃貸の家からマイホームへの引っ越し。

私はトラックの机の下に乗せられてキャハハキャハハ喜んでいた。

到着した時の家の中の薄暗さ、あちこちにお札が張られていたり、ほこりだらけだった印象。

2階の階段の上の倉庫からのすきまから1階のキッチンがちらちら見えた

よくかくれんぼで隠れたけど、今思うと怖い記憶だったかもなぁ。

 

伽耶、甘文国= 現在の金泉市 김천시

があることがわかり、物語を辿る

行ってみないと謎すぎる甘文国。

まだまだ発掘の歴史が浅いのが伽耶の歴史。

早くも新羅に飲み込まれていった国ではあるけど、ここはここで独立していけていた国でもある。

三国史記を読んでも少なすぎる情報。。。

しかし、この国に王が存在し、王陵があったということだけでもすごい情報だと思う。




























愛されるということに慣れていないということは、人生の半分を損しているんだね

 

今朝読んだ本を読んで思った。

 

愛されているのに、愛を感じられることがないまま生きてきたんだな、、

愛されているのに。受け止め方を未だに知らないんだろうな。

今更甘えようとしているんだよ。

無限の愛を受けようと。

 

愛を知らないということは愛をあげることを拒む。

愛と優しさの境界線で、

仕事で出会う人たちが最高の一日を過ごせるようにって全力を尽くしている。

それが私の生き方だと思っているから。

 

他人はもっと楽に、その時間が過ぎるのを待っているっていうのを感じる。

人を相手にするっていうのは楽じゃないけど、顔が見えないからその分、声に力を入れないとサービスが伝わらないことがある。

誠意を尽くす、優しさを表現する、そんな仕事だな。

 

愛されることが怖い私だけど、旦那のこと愛してるねってみんなが言うけど、愛だなんて思ったことはないんだよ。

ただ、共同生活の中で必要なコミュニケーションをしているだけでなのに。

それでも一緒に暮らしているっていうのは、心の支えになってもらっているっていうところなんだって今は思う。

旦那には感謝している。

 

私にとっての愛は、よくわからない。ただ、尽くすことに尽きるっていうことじゃないかと思う。

 

 

日本に帰りたい

 

頑張るのに疲れたからかな

 

半年に一回は日本に帰りたいかな、やっぱり

 

なんか疲れた。

 

休んだのに、疲れてる

 

 

旦那と言い合いになった次の日のダメージがいつもひどい。

わかっているのに、旦那のことを原因にしたくないって思っている自分がずっといたけど

正直旦那とのかかわりの中でパニック発作が出たり、恐怖で発作の始まりの手がしびれてしまったりがある時がほとんど。

 

本当に旦那から離れたいのと、私と離れてバラバラで生活した方がお互いがもっと平安な気持ちで過ごせるんじゃないかと思うことがよくある。

 

もう旦那の今の現状を思い出すだけで私自身に非があるんだって気持ちでいっぱいになって凹むので、ここには書けない。

 

ただもう旦那も仕事が目一杯でもう、彼の精神状態もマックスに来ているんだと思う。

 

簡単に立ったら別れればいいのに、って簡単なことを言える人がいるんだけど、本人たちは必死で明日どう生きのびようかって考えている話なので、簡単に「はいそうです」って言えないのがかなり悶々とするところ。

 

私は今料理が全くできない。

食べることすらおっくうになっている。

掃除は気づいたらやる。

洗濯は結構楽しいからかよくやる方。

 

私の1日と言えば、

7:00 朝から顔も洗わないで仕事を開始

7:30ヨガ

8:00朝ご飯 チーズパンとコーヒー

8:40~9:30 仕事

9:30~家事

10:00~仕事

11:30で終われば昼食か自由時間

12:50~仕事~14:30

夏休みタイムなので

16:00~19:00 仕事

19:30~仕事orごはん

20:00~仕事orごはん

21:00 仕事終了

こんな生活で一日が終わるこの生活あと2週間の辛抱だ。

終われば午後にカフェに行く時間が増える。

それまでの辛抱。

午後のカフェと読書タイムはやっぱりほしい。

 

料理の準備の時間を入れられそうだって声が出そうだけど。

それを考えようとすらしない自分、大丈夫なのか。

本当に息苦しくなることがよくある

もちろん食べたいものがあればやるけど、基本的にはやる気はない

レトルト、インスタント、外食ルーティンしていたら、さすがに飽き始め、食欲がない。

 

今日はね、それでもフライパンに火をかけて冷凍パスタの調理をしただけでも褒めてあげたいんだ。

火をつけるまでが私にとってのすごい勇気

 

スーパーで物を買ってこれても作る準備までの工程がどうもハードルが高い。

誰か助けてほしい。栄養が偏っているんじゃないか、栄養を取れてないから治らないんじゃないか

栄養ってわかってるけど作れないものは作れない。

腐っていく食材。

捨てるのもとってもおっくう。

旦那に捨ててもらう始末だったけど。

ここんとこ自分で捨てられるようになったことがうれしい。

 

アウトプットしたら結構自分でできるようになったことあった。

ぼーっとしたい。

私は洗濯と掃除しかできないだめ主婦で、自由にのほほんと暮らしていることが、旦那にはうらやましいのだと思う

でも私はようやくこの生活スタイルをいろんな人の協力で手に入れることができた。

自分なりにようやく手に入れた生活について

「お前は自由に生きてるだけじゃん。おれは何でこんな苦労しなきゃいけないのか。」

って言葉がさすがにささったゎ。

彼の荷物になっているのはわかる。

荷物になるくらいなら、消え去りたいのに。

死んだ後のお葬式代くらいは準備しておかなきゃなって。

それを昨日はじめて旦那に伝えた。

旦那は迷惑にならないように先に死ぬから気にするなって言ってきた。

旦那を見送るなんて絶対に無理だし、悲しい思いをするくらいなら自分のことは自分で処理できるようにお任せできる人に任せたい。

私のことで死んだ後に迷惑をかけるのは嫌だけどしかたない。

申し訳ないなぁ。私の跡片付けしてもらうの。

ってそんなことばかりよく考える。

私を生んでくれた親には申し訳ないけど、私は今を生きるのに精いっぱいすぎてどうか、わかってほしいとは言わないけど、見守っていてほしい。

 

うつ症状になったら、ひたすらすぎるのを待つだけなんだけど、寝られたらぐっと寝てしまいたいのに。

最近は眠りが浅く、よく眠れていない。

悪夢もよく見る。

医者が言うには、薬のせいかもしれない、ということで薬を1段階下げてくれることに。

調子がよくなってきているのもあるけど、うれしい。

でも今日は本当に調子悪い。

 

暇にぼーっとしたいのに、YouTubeとか見過ぎて逆に疲れちゃったりするんだよね。

見なければいいのに。

どうしたらいいんだろう。

 

明日のことは考えられるけど、ちょっと先の未来とかなんて絶対に考えたくない。怖くてたまらないよ。


2015年の誕生日に購入。

2度目の通信制大学のスクーリングの合間に書店で購入。


NHKのテレビで地元千葉の東田さんが出ていて驚きと感動、そして希望をもらった。


そんなことがきっかけで言葉一つ、行動一つの意味をきちんと文字で書いた本。


私もパニックやうつの経験、自分の奥底で感じて生きていることに共鳴し、私の心がいつしか踊っていた。

彼の短編小説には実体験のように鮮明に且つ暖かく、生死を表現してくれた。


素敵な本に出会えたことに感謝。

韓国金浦市のほぼ江華島の手前のテミョン港に来た。

 

本来は友達がカフェをやってるからってことで来たんだけど、残念。。

 

 

 

カフェからの港と江華島の山

 

 

江華島に渡る橋が見える

 

二階からの風景

 

 

 

港が近くてカモメがめっちゃ降ってくる🕊️

 

 

帰りはR16のような道をひたすら

 

 

 

 

 

 

 

 

 

仁川空港を右に見ながら。。

いいドライブでした。

 

 

정은혜 작가님의 니얼굴 그림도 그렇고 글들이 너무 고았습니다 눈물이 났습니다

 

ジョンウンへさんの君の顔という詩入りの画集を読みました。

 

ドラマ私たちのブルースの舞台は済州。

済州にいる時に読み終わりたかった。

なぜなら、画家であり作家のウンヘさんもこのドラマに出演されていたから。

障がいであって障がいはない。ということを教えてくれる本。

ペンでなぞる線の一本一本が美しく独特の色もまたポップで好き。

 

愛で溢れた彼女からたくさんのものをもらいました。

最近だるくて、昼寝が必須気味です。

 

パニック症と鬱を併発しているんですが、最近寝ると変な夢をみたりして、

 

さっきの夢は、大学に行った帰りにご飯を食べに行って、相当待たされた挙句、氷を出す機械を頭にかぶり、席に案内されたのは閉店5分前。

頼もうとしてもたばこの吸い殻が席には3個もある片づけの済んでいない席へ案内された。

かと思いきや閉店だからって社員たちが全員集合して反省会を始めようとしている。

私はこれからご飯を頼もうとしているのに!

ぶちぎれた、、、

旦那もぶちぎれたんだけど、元軍人だった旦那は庭に落ちていた液体とで爆弾を作って人の家に投げてぶちぎれた。

ぶちぎれると止められなくなる時がたまにあって、その時にはいつも私は決まって発作が出る。

 

夢の中の話なのに。

発作で倒れ、涙が止まらない。

お店の1階は病院。

医者がロボットでも扱うような流れ作業で私を車に縛り付けて病院へ搬送

つらくて、泣きじゃくっていた。

つらいのに。泣いてるのに。発作出ているのに。扱いひどいし。私の苦しさを誰も気にもかけずにいる。

やっぱり私は寂しい。やっぱり私は必要のない人間なのだ。

と発作の時はそう思ってしまうんだ。

 

寝ながら、発作が出ていたのか、涙で枕が濡れていた。

肺の痛みはあまり変わらないな。

しんどいときは誰かに甘えたくなるよ、ほんと。