皆様、いつもご訪問をありがとうございます。
空も飛ぶ石鹸やの作業場です。
年末年始はサンフランシスコ便に乗務しておりました。
ニュージーランドの12月30日に出発して、サンフランシスコの12月30日に到着、
そして翌日の31日に出発なのですが、到着したサンフランシスコ時間の30日明け方にニュージーランドでは新年を迎えていました。
ほぼ眠らないフライトを終えた日は、睡眠不足が半端ない。ホテルのお部屋に入って自分の時間がスタートするとまずはシャワーを浴びて数時間一寝入りするのが私のスタイル。(寝ない人もいますが、私は寝ないとゾンビになるから買い物なんか行こうものなら必要ないものをかごに入れてしまうか大変!)
2-3時間寝るころにはサンフランシスコで夕方になるから暗くなる前にご飯会に行かなくっちゃといった感じです。
ボーっとしながら、起きだしてきて出かける。
この日のメンバーは誰も知らないクルーだったので特に一緒にご飯を食べようという話にもならず、一人で行動。(どっちにして一人行動多い私)
大晦日の夜にはオークランドに戻るので、一日早い年越しをしようと、どこに行こうかとググる。基本、マックス20分以内で歩いていける距離がベスト。
気分はアジアンだったから、アジアンレストランnear meで探すと、アジアンフュージョンのレストランがヒットしたからそこに行くことにした。
到着したのは5時40分くらい?最初はワンドリンクで帰ってもいいし、くらいのつもりでいたのだけど、
メニューを見るとハッピーアワーってことで、寝ぼけていた頭も起きだしてくる。
ラッキー。
ウエイターさんが、すごく感じのいい方で、ハッピーアワーは何時まで?と聞くと6時っていうから。うーむ、20分かあ。と。
まずはビールとおつまみを数点頼み、いやーもう一杯飲みたい気分。
5時58分。ウエイターさんが戻ってきて6時にハッピーアワー終わるけど何かオーダーある?と聞きに来てくれた。ビール飲み終えてないけど、もう一杯おねがいしちゃお。
その後、いい気分でお部屋に帰り8時には就寝したものの、だいたい2-3時間に一度は目が覚める。
約12時間半のフライトで私たちは約3時間の休憩時間を頂けるのですが、
おそらく、その癖がついているのか
どんなに疲れていて睡眠不足でもフライト直後は2-3時間に一度起きて、今何時?と確認すること数回繰り返す。
というわけで、サンフラン時間夜中の3時に目が覚めて時間を確認すべく携帯をみると
a happy new year! といメッセージが。
お、明けたかと思いながら、また眠りにつく。
朝食をたべに下に降りていくも、ここサンフランはまだ大晦日。でもニュージーランドでは
おめでとうの嵐。というのが、なんだか感覚的にしっくりこない自分がいながらでした。笑
帰りのサンフランシスコ-オークランド便は完全に満席ではなかったものの、ほぼ満席。
大晦日の朝他社さん便がキャンセルだったらしく、ビジネスクラスのお客様はほぼアメリカンのお客様。細かいリクエストが多く、忙しいフライトとなったのでした。
フライト中盤、朝食の準備をしているときに結構な揺れ。操縦席のクルーから気を付けてと連絡が入る。
そんなこと言われてもやらなきゃいけないことはやらなきゃならないからねえと思いつつ
両足を広げて踏ん張りながら、準備を何とか終える。
オークランドに到着したのは1月2日。私には今年1月1日が実質存在しなかった。
自宅に戻るといつものようにシャワーを浴びて寝る。4-5時間後に起きて夕食を食べて寝る、、といういつものパターンですごしたわけです。
が、翌日起きてみると周りがわさわさしてる。
頭が全然ついていかない私は、取りあえずやるべきことをやりつつ、
数時間後、
能登の津波と羽田でのJALさんと海上保安局の機体接触事故のことを知る。
同僚からリンクが送られてきたり、チャットでその話がでたりしていたけれど
他にやるべきことがあったため、ちゃんと記事をよめないでいたのだけど、
夜になってYoutubeを見てみると。
事故の様子、しかも機内で幼い乗客が"早く出してください"と叫ぶ声が残っている動画。
そういえば、朝食準備の時のゆれって?まさかね、と。思いを馳せる。
私たちも日ごろトレーニングで緊急事態での避難訓練を体験しているものの、
こんな事故はそうそう起こらない。から、それを想定してのトレーニングなのだけれど、
youtubeの動画をみてJALのCrewsさま方は素晴らしい対応をされたと思った。
事故が起こった時、パイロットからの指示はもちろんなのだけれど、私たちはそれぞれに担当するドアの外に危険が迫っているかどうか
確認し、ドアを開けても良いものかの判断は最終的にそのドア担当クルーにゆだねられる。絶対という正解は状況によるから教えてもらえるものではないのだ。
あれだけ、早く開けてくださいと子供の声で叫ばれていたら胸もいたくなるし、頭も真っ白になって扉を開けてしまいそうなものと思ってしまう。
でも、JALさんクルー様はさすがでしたよね。
着陸、接触とともに爆発、火が出ていた機体の中にいらしたクルー様方もきっと怖かったことでしょう。
インタビューを受けた乗客の方は煙が中にも充満していたとのことだったし、
なんなら、一目散に先に避難したくなるのが人間の心理といったところなのではないでしょうか。
私たちはそういった訓練の中で、状況があまりにも危険であれば命をささげることは求めていません。と言われている。JaL様の訓練ではどう教えられているのかはわからないものの。が、しかし、実際に目の前でそのようなことが起こったら自分はどうするのだろうか、と考える。
話を戻すと、一番火の手が上がっていた中央の扉は避難のために開けられることはなく、前方後方の扉が開かれたというのがその当時の私の解釈なのだけれど、
これが、中央の扉が開けられていたとしたら、けが人、死者が出ていたのかもしれない。
扉の外の状況を確認すると言っても小さな小窓ひとつ。前方後方から煙が流れてきておおわれていたら、また悩むところだろうと思ってしまう。
JAL乗客、乗務員の皆様全員無事との解釈で、海上保安局の5名の乗員の方に対しては管制塔はランウェイに出る許可は出していなかったとのことなのでどうしてそれがおこってしまったのかと思うけれど、、、
他人事ではないと気を引き締める思いです。
そんなことを考える2024年の始まりとなったのでした。
自分の身におこったことではないけれど、結構なインパクトがあり、考えるきっかけとなりました。
今回内容を考え、写真掲載は控えさせていただきました。
みなさま、どうぞご自愛くださいませ。
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