正観さんによると…。(知って楽しむ情報集~人間観察40年の情報いろいろ)

 

●人間の寛容度

 

 ずっと10年、20年、「わかった」と言って口を横に広げていると、口が大きくなっていく。反対に口を尖らかしていると、口が小さくなる。

 だから、口を観ると人間の寛容度というのがわかります。寛容な人は口が大きく、狭量な人は口が小さいようです。もちろん、例外はあるのですが。

 

 

(イラストはネット画像です)

 

 

📺大河ドラマ「光る君へ」~その5📺

 

 このビジュアルいいですね~♪

私的にとても気に入っています♪

毎週欠かさずみていますよ。「光る君へ」♪

 

 

 

その1 藤原道隆…井浦新さん

 

 「藤原兼家」の嫡男である「藤原道隆」は、父と弟「藤原道兼」と共に、「寛和の変」を起こして朝廷の中心人物となりました。娘の「藤原定子」を「一条天皇」に嫁がせ、藤原道隆が築いた中関白家はゆるぎない地位を築きます。しかし、藤原道隆が病に倒れると、嫡男である「藤原伊周」の言動により中関白家の勢力は一気に崩れてしまったのです。藤原道隆は周りへの気配りができて明るく優しい人でしたが、大酒飲みであったことが災いして飲水病(現在の糖尿病)で亡くなりました。(名古屋刀剣ワールドより)

 

※前回の「光る君へ」では、道隆の最後に向かっての姿が残酷に描かれていましたね。私が若いころ読んだ書物では、藤原道隆は寛容でおおらかな人、人格者と思っていましたが、やはり43歳という若さで亡くなられることは、残った家族のことを考えると死にたくなかっただろうな…。無念であっただろうな…食べすぎ、飲み過ぎはいかんですね…( ;∀;)

 

 

その2 藤原道隆の妻…高階貴子…板谷由夏さん

 

「高階貴子」は、平安時代の女流歌人です。

 高階貴子の父は、「一条天皇」に学問を教えていた高官の「高階成忠」ですが、母親も高階貴子の生年も不明です。

 父の影響で高階貴子も詩や漢文に通じており、高階貴子の和歌は「古今和歌集」や「新古今和歌集」、「拾遺和歌集」などに掲載されています。

 高階貴子は、「円融天皇」に仕える女官として働いたのち、摂政・関白を務める「藤原道隆」の妻となり、3男4女をもうけました。子のなかでも、「藤原伊周」や「藤原隆家」はのちに公卿として要職を歴任しています。

 995年(長徳元年)に夫の藤原道隆が亡くなると、藤原伊周と藤原隆家は叔父にあたる「藤原道長」との政治闘争に破れ、翌年にふたりとも島流しに。高階貴子はふたりに同行することを陳情しますが、受け入れられないまま亡くなりました。(名古屋刀剣ワールドより)

 

今日忘れじの行く末まではかたければ  けふをかぎりの命ともがな


ーー「忘れないよ」というあなたの言葉が、この先ずっと変わらないことは難しいので、あなたがそのお言葉をくださった今日、最高に幸せな気持ちのまま、わたしは死んでしまいたい。(ネット情報より)

 

…栄華を極めたあと、病のせいでの早くの死…でも最後は夫婦仲睦まじく、すてきな短歌は現代も百人一首として詠まれています。人の人生はよいこともあれば悪いこともあるのですね。(大谷選手もそうですけれど…)夫婦仲がよかったというのは、不幸中の幸いですかね。それにしても1000年前もロマンチックなのね💛

 

※《なぜ、作者名が「儀同三司母」?》
道隆の死後、伊周がいろいろしくじって、大宰府に流され、京にもどされたあと、〈儀同三司〉という名ばかりの官職を与えられました。新古今集で、貴子さんの作者名を「儀同三司」としているのは、そういう事情です。百人一首の歌は、勅撰集に採られている歌の中から選ばれていて、作者名表記も、基本的に勅撰集に従っています。(ネット情報より)

 

 

その3 一条天皇…第66代…宮廷文化を開花させる…塩野瑛久さん

 

 右大臣・藤原兼家により6歳で皇位につけられたのが、円融の第一皇子で兼家の外孫・懐仁(一条)である。

 その身辺は栄華の絶頂を謳歌する藤原北家で固められており、兼家の死後は長男・道隆、道隆の死後は弟の道兼が関白につき、道兼の死後は弟の道長が内覧について実権をつかんだ。

 ただし、一条と道長の関係は円満とはいえなかったようで、道長の専横を批判する手紙が一条の遺品中にあり、それを道長が怒って焼き捨てたという逸話もある。

 容姿端麗、好学で芸術家肌だった一条時代は平安女流文学が華開いた時代で、『源氏物語』の紫式部、『枕草子』の清少納言ら才女が輩出している。(歴代天皇大全より)

 

※塩野さん演じる一条天皇は、本当に精悍ですてきですね。誠実な感じが見ていて好印象です。

 

 

 

その4 藤原定子…藤原道隆の娘…一条天皇の中宮…高畑充希さん

 

「藤原定子」は平安時代の中期、66代「一条天皇」の后となった女性。天皇の正室を中宮と呼ぶため、「中宮定子」とも称されます。藤原定子は、華やかな宮廷サロンの中心人物で、美しさと教養、ユーモアのセンスをかね備えていました。女流文学者「清少納言」は、随筆「枕草子」のなかでその才色兼備ぶりを賞賛。晩年は政争に巻き込まれて苦境に陥りますが、藤原定子の存在がなければ、枕草子という後世に残る名随筆は生まれませんでした。

 

 ところが995年(長徳元年)に藤原道隆が突然死去。原因は、酒の飲み過ぎによる糖尿病でした。平安時代の女性貴族にとって父親の後ろ盾は絶大であり、藤原道隆を失った藤原定子の立場は揺らぎはじめます。さらに、兄の「藤原伊周」が関白の座を巡って叔父の藤原道長と対立。後継者争いに敗北した藤原伊周は、弟の「藤原隆家」とともに左遷されてしまいました。

 この機に乗じて藤原道長は、娘の「藤原彰子」をわずか12歳で一条天皇に入内させます。いくら天皇とは言え、同時に正妻がふたりというのは異例のこと。藤原定子は宮廷での居場所を失いつつありましたが、一条天皇は変わらぬ愛を注ぎました。しかし藤原定子は、第三子の出産がもとで、1001年(長保3年)24歳の若さで逝去したのです。(名古屋刀剣ワールドより)

 

※『源氏物語』の主人公・光源氏の母・桐壷更衣のモデルは、作者・紫式部の同時代人である一条天皇の中宮・定子だという説もあります。

本当に、私もそう思いますよ。桐壺帝は、一条天皇か…。は~今も昔も権力のTOPに立つやんごとなき方は大変だ…。( ;∀;)

 

 

その5 藤原伊周…藤原道隆の長男…三浦翔平さん

 

 藤原伊周は18歳で「参議」(最高機関である太政官の官職)、中納言、内大臣と出世。内大臣になった翌年の995年(正暦6年)に、父の藤原道隆が病により、関白を辞職します。

 

 そこで、藤原伊周を関白にしようと親子で画策しますが、失敗。藤原伊周は関白の座をめぐって叔父の藤原道長と争いますが、66代「一条天皇」は藤原道長を藤原伊周の上位職である右大臣に任命します。

 

 こうして、藤原道長が関白に代わり、政務を執り行うことになりました。

翌年の996年(長徳2年)、藤原伊周はたびたび逢瀬を重ねていた「藤原為光」の娘「三の君」の屋敷に、「花山法皇」が訪れていることを知り、弟の「藤原隆家」に相談します。藤原伊周の話を聞いた藤原隆家は、従者を連れて花山法皇の一行を襲い、花山法皇の身に付けていた衣の袖を弓で射抜いてしまいました。

 しかし、実際には花山法皇が通っていたのは右大臣の娘「四の君」のところだったのです。この事件は、「長徳の変」や「花山院闘乱事件」と呼ばれています。

 

 政敵であった藤原道長は、この事件を利用して、藤原隆家に「出雲権守」(権守とは国司の長官を指し、国の行政を担当する役職のこと)という役職を与えて出雲国(現在の島根県)へ、藤原伊周には「大宰権帥」(権は副官を表し、帥は長官を意味することから、長官に次ぐ地位を指す)という役職を与え、大宰府(現在の福岡県太宰府)へ左遷しました。

 

 数年後の997年(長徳3年)、藤原道長の姉である「藤原詮子」の病が回復しないことから、「大赦」(国家に吉凶があったときに刑罰の罪を許すこと)が発せられ、藤原伊周と藤原隆家は都に戻ります。しかし、そのあと藤原伊周が権力の座に就くことはありませんでした。

 藤原伊周は1010年(寛弘7年)に37歳の若さで死去。(名古屋刀剣ワールドより)

 

※なかなか歴史は残酷ですね…。藤原道長の栄華は、源倫子さまのおかげかしらん?

 

 

⚾4月27日(土) プロ野球公式戦⚾

 

ソフトバンク 2-1 西武(福岡みずほPayPayドーム)

 

ソフトバンクが劇的なサヨナラ勝利。ソフトバンクは1点を追う7回裏、代打・中村晃の適時打で同点とする。そのまま迎えた延長10回には、川瀬の適時打が飛び出し、試合を決めた。投げては、4番手・津森が今季4勝目。敗れた西武は、5番手・増田が誤算だった。(ネット情報より)

 

延長10回にサヨナラ打を放つ活躍。勝負強い打撃を披露した川瀬晃選手、ありがとう!!

26歳の川瀬選手は、ユーティリティー性が武器の内野手。昨季は4つのポジションをこなし、自己最多の102試合に出場。9月以降は打率.327をマークするなど、主力の離脱をカバーする活躍を見せた。今季もさまざまな起用に応え、チームを支える。

 

※それにしても今季は、若手の台頭が目につきます。若い選手が生き生きと活躍しているから。おばちゃんふくは、覚えるのが大変!!うれしい悲鳴ですね♪( ´艸`)

 

 

【下松】ものづくりの下松、世界にPR 日立電車陸送イベントに5万人 10社の企業フェアも人気

 
 4月30日にあったそうです。5万人の観客でにぎわったそうです。
すごーい!!山口県下松市!5年ぶりだそうです。
 台湾向けの在来線の特急車両「EMU3000型」2両。日立が国営台湾鉄路から600両を受注したもので、最終出荷になる両先端の車両を、ロジスティード西日本㈱の専用トレーラーに乗せて陸送した(ネット情報より)

 

 

 

台湾の国もお買い上げありがとうございます。お披露目うれしいね。

私もローカルニュースで見ましたが、行きたかったなあ♪

こういう光景はわくわくしますね。

 

 

♪私の好きな歌♪

 

「二度寝♪」  クリ―ピーナッツ

 

 大河ドラマの「光る君へ」も大好きですが、ちょっと前の「不適切」のドラマも大好きでしたよ。最終回は、このテーマソングを歌っているクリ―ピーナッツさんが登場して、一緒に昭和の時代に紛れ込んで、中学生?相手に歌を披露していました。そんなシーンがとても好きだったな。この歌もスリリングでコミカルでおもしろい!!大好きでしたよ。クドカンさん脚本のドラマとこの歌💛

昭和、平成、令和と生きていますが、一緒に昔を思い出すのも悪くはないね♪

 

 

今日も見ていただいてありがとうございます。

一昨日はお友だちと久しぶりの再会でした。大雨でしたが、帰るころは止んでいました。

同級生っていいものですね。

また後日、いつかその日のブログをアップしますね。

今日、明日はお仕事がありますが、がんばりましょう!

みなさんも引き続き楽しいGWまたはお仕事も楽しんでがんばりましょう♪

次回は金曜日にお会いしましょう!

ごきげんよう。またね…♪