それでも僕は、知床でヒグマを撮影する 第三回~釣り人とカメラマンと観光客と知床財団 | ねこままんR

それでも僕は、知床でヒグマを撮影する 第三回~釣り人とカメラマンと観光客と知床財団

紳士渾身のヒグマ記事作成です。カメラマンも釣り人もぽちっと応援!!(゚∀゚)ノ

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■まえがき

現在知床では、カメラマンのヒグマ近接撮影や、観光客の接近、そして釣り人のサケ残滓放置などを理由として、ヒグマの人馴れが進んでいます。結果として住宅街に降りるなど、危険な行動を行うヒグマの駆除は現在も後を絶ちません。

一方で、知床にとって重要な観光資源である野生のヒグマは、「じゃあ見せなければいい」という簡単な問題でもありません

 

 

この記事は、知床でヒグマを撮影する、いわばヒグマの人馴れを促進する要因となっている「カメラマン」の立場から、知床ヒグマ問題の現状を伝え、そして今後のあるべき姿を模索していくシリーズです。

 

巷には、ヒグマ撮影を行うカメラマンを糾弾する「まとめ記事」が多く存在します

それらは、一見分かりやすく書かれているように思いますが、実際は、ヒグマカメラマン、知床財団、地元住民、環境省などの「当事者達」が書いたものではありません。「何もしていない人」がネットで調べることができる情報の寄せ集めで書いたものが殆どです。このため、多分に皮相的であり、リアリティに欠けます。

 

メディアは、「カメラマンを悪」とする方向に行きがちです。大半の映像には至近距離で接近撮影するカメラマンが撮影されており、それは、ヒグマを見た事のない人には(だけど漠然とその恐ろしさは知っている人には)衝撃度の高い映像です。総括の仕方として「カメラマン=悪」とする事は、とても簡単で安易な結論であり、容易に選択できる手法です。

 

しかし実際は、「そういう人もいる」というものであり、多くの一般的なヒグマカメラマンの現状を本当に正しく写し出したものかと言えば、そうでもありません。私は、これらの報道はフェアではないと思っています。なぜなら他にもある危険な要素について、詳しく説明するなど、公平性を持った報道は未だあまり見た事がありません

 

実際この問題は、観光客、カメラマン、釣り人、地域住民、地方自治体、知床財団、環境省を巻き込んだ、極めて複雑な問題です。

 

知床ヒグマ問題の大枠は過去記事で記載しました。今回は、それぞれの立場と存在について、より細部に入り込み詳細な記載を行なっていきます。ヒグマ撮影カメラマンというのはどういう人なのか?知床財団とは?観光客の想いは?釣り人とヒグマはどうかかわっているのか?

当事者じゃなければ書けない、リアルな情報を記載し、次回、今後あるべき姿を模索する一助となればと考えています。

 

公開はまだ先になりますが、次回第4話では、動き出した現状打開策と、あるべき姿に辿り着くための私の考えについても触れて行きたいと考えています。

 

毎回の事ですが、非常に長文ですし(もはや論文に近いボリュームになってきています)、読んでも楽しい気分には一切なれません。

少しでも懸念のある方は、お読みにならない事をお勧めします。

 

■参考(リンク)

それでも僕は、知床でヒグマを撮影する(第一回)

それでも僕は、知床でヒグマを撮影する(第二回)

 

 

■知床のヒグマ

知床のヒグマは、一部が人馴れしている。

そうした人を怖れない「新世代ベアー」といわれるヒグマ達は、人が近づいても気にも留めない。

ただし、それでは一切危険は無いのかと言えば違う。

 

状況によっては、威嚇もする。また、人に向けて突進もする(私は突進されたことは無いが)。

現在まで、知床において観光客をはじめとする人身事故は発生していない(ハンターが襲われた事件はあった)。

 

その理由は、ゾーニングと危険個体の選別がなされ、その前に「駆除」されているからだと思われる。

 

頻繁に観光客の前や、河口、市街地などに出没を繰り返すヒグマは、その殆どが駆除される結末を迎える。

 

■なぜ、知床のヒグマは頻繁に人の近くに姿を現すのか?

 

一般的な人が考えるのはこうだろう。

「人が生活域を広げ、ヒグマの住処を奪った。だからヒグマが頻繁に出没する」

だが、こうした意見は説得力に欠ける部分がある。

 

現在国立公園となっており、人が住んでいない地域には、実はかつて「学校」(岩尾別の孵化場のあたり)もあり、周囲には農業に従事する人々が多数いた。考えられない程、「現在よりも人が住んでいた」のである。

 

むしろ国立公園となった後、人の生活圏は後退している

当時、ヒグマの人身事故や、被害が現在よりも多かったとは聞かない事から、当時は「ヒグマの人馴れ」は進行していなかった事が推察される。

 

以前も書いたが、かつて北海道では「春熊猟」と言って、猟師が冬眠中の巣穴まで追い、母子もろとも駆除するといった駆除が行われていた。

しかし、絶滅の危険があるため中止されている。また、かつては「保護」という概念が無かったため、人里に姿を現す=即捕殺という図式であったはずだ。このため、継続的に人前に姿を現す個体がなかったものと推察される。

 

しかし、世界中を見れば、クマと人間との生活圏をお互い良い状況で維持しているところもある。

どうして、知床でそうした事ができないのか?

そういう疑問を持つ人も多いだろう。

 

理由は、「知床が狭すぎる」という一点に尽きる。

 

海外のように、ヒグマ生息域と人間の生活圏内の間に、広大な土地がある海外と異なり、知床は緩衝材となるべき土地がほぼ無い

人の住処のすぐ隣は、ヒグマの生息地なのだ。

 

この人とヒグマとの軋轢を食い止めるため、知床では「電気柵」が張り巡らされている。だが、全てを網羅できるわけではないし、実際繁忙期の農家などは、電気柵の電源を入れ忘れたりすることもあるようだ。

 

「知床が狭いから仕方がない」では、なんとも解決の方法が無いとも思うのだが、実際変えることのできない事実でもある。

極論すると、「人が現在の生活圏を出ていく(後退する)」か、「ヒグマの生息数を減少させる」しか解決策はない事になってしまう。

 

また、昨今は「エゾシカ」の生息数増加により、ヒグマのエサが枯渇しているという状況もある(当たり前だが、ヒグマは殆どが植物性のエサを食べている。サケやシカ肉などは、むしろレアな食事である)。このため、エサを求めてヒグマは人里に降りる。

動物愛護精神の高い人に問いたいが、エゾシカの駆除頭数は、現在でもヒグマと比較にならないほど膨大だ。だが、ヒグマを守るだけを考えるのならば、エゾシカの駆除を更に進めなければならないだろう

 

こうした複数の要素を理由として、知床のヒグマは人間との距離を縮めてきた。

 

 

■カメラマンだけが悪いのか?

 

ヒグマと人との距離を適切に保つため、知床財団(ヒグマ対策班)は、連日ヒグマの追い払いを行っている。

この仕事に従事する人は、私が見る限り6名~7名のごく僅かな人員で行っている。

 

トレンドは、「ヒグマ撮影のカメラマンが近接を繰り返すため、ヒグマが人馴れを起こし、最終的に死に至らしめる」。

という理論である。

 

このため、ヒグマ撮影カメラマンへの批判が後を絶たない。

 

だが、私はそれを認めつつ、常に「一因子」であると言い続けてきた。なぜなら、それだけが理由ではないからだ。

 

私もブログなどで紹介し、多くの読者が見てくれたであろう「MIKIOジャーナル」では、最後に「カメラマンが悪い」という総括になっている。

民放故に、総括の仕方(編集)が雑なのは仕方がないと思っているが、一方で完全な間違いとも言い切れない。

 

 

だが、実際にあのヒグマ駆除のトリガーとなったのは「釣り人」が河口において魚を捌き、残滓でヒグマをおびきよせたことである。

また、ヒグマが頻繁に出没するにもかかわらず、釣った魚を自分の遥か後方に置き、ヒグマがそれを食べてしまったことによる。

おにぎりの入ったリュックも自分の目の届かない後方に置いていた。

 

私はサケ・マス釣り人でもあるため、この点についても当事者として語る資格があると思うが、知床羅臼側のカラフトマス渡し、斜里の河口にてこうした行為をする釣り人は、実際に多数(カメラマンの数倍から数十倍の人数)が存在する

※イクラを抜かれ、河口に捨てられたサケ。釣り人ならば、殆どの人が見た事のある風景だ。

 

だが、釣り人の関心は「ヒグマ」ではなく、単純に釣果である。釣り人にとって「ヒグマ」は、面倒な存在でしかなく、問題点を一生懸命解説したところで、それほどの理解を伴わない。

彼らにとってヒグマは、邪魔であるとともに、せいぜいスマホ撮影後、無知な人への武勇伝として使用される程度のエッセンスでしかない。

 

更に、地元ではなく遠征組については、とりあえず目先の釣果を確保することが目的となるため、結果としてヒグマが射殺されたと言われても、それほどの罪悪感を感じることはないだろうし、そもそも当事者意識を持たない

 

また、地域住民の意識も問題である。

以前記載した個体「MK」駆除へ至る、大きな直接的要因をつくったのは、地元ユースホステルのゴミ管理問題だ。

羆がかんたんに漁れるような場所へゴミを保管していたが為である。

地元観光ガイドでも、弁当のゴミを捨てたりし、ヒグマを段階2に引き上げてしまう人物が現実に存在する。

羆の行動は変化しているが、人間はどうにも変化しようとしたがらない。昔のままでいたがるのだ。

 

こうした要因をさておき、カメラマンが最も悪いという風潮が世に出回るのは、少し違和感がある

 

岩尾別近隣に出没をしている羆ならば、観光客やカメラマンには常に狙われるため、多くの個体に影響を与えている要因であるという点は否めない。

カメラマン一人一人は、節度を持ち、短時間で撮影をすませたとしても、入れ替わり立ち代わりカメラマンが張り付くことで、人馴れは促進されていく。

カメラマンは、薄く広く長く、真綿で首を絞めるようにヒグマを死に至らしめている。一方で、トリガーを引く役割を担ったことは殆ど無い。

 

結果的に、ヒグマの人馴れを食い止めるのであれば、カメラマン限定ではなく、「トータルで人間の行動を管理する方法」を明確に定めなければならない。

それは観光客、カメラマン、釣り人、のみならず、地域住民や地公体、国をも巻き込んだ非常に困難を極める事業になる。

ヒグマ問題は、問題ではあるが、客観的にこの事象を見つめてみると、ごく一部の地域の事象であり、国や道から見れば決して優先順位の高い事項ではない。実現には多くの困難が伴うだろうし、寒い現実を突きつけるならば、小規模な知床財団だけが声を上げたところで、それほど多くの影響力は持たないことは想像に難くない。

 

■ヒグマ撮影カメラマン

ヒグマ撮影カメラマンと一言で言っても、その向き合い方は様々である。

ヒグマだけをメイン被写体として追い続ける人はごくわずかであり、むしろ殆どのカメラマンは被写体の一つとしてヒグマを追っている。

 

年齢層や性別も様々だが、主体となっているのは60代以上の退職した高齢男性。それに紳士を含めた現役組(30代半ばから50代)が混じる。

女性もいるが、それほど多くは無い。

 

本州から遠征で来る人もいれば、地元北海道のカメラマンも多い。特にアクセスが容易なためか、北見や釧路のカメラマンが多い。羅臼・斜里在住のカメラマンは、ごく一部の常連がいるのみだ。

 

彼らがヒグマの生態や、知床のヒグマ問題について詳しいかと言うと、実際そうでもない。

 

私はヒグマ撮影時は、周辺のカメラマンとコミュニケーションを多く取るのだが、極めて基本的な知識すら無い人が多い事に驚きを感じる。

しかし、経験がそうさせるのか、歴を積んだ高齢なカメラマンは、「俺が正しい。俺がヒグマを一番知っている」的な主張と独自の理論と撮影ルールを振りかざす人も多い。だが、質問に対する回答はあいまいなものが多く、「こういうのもいた」というレベルのものが多い。

生体としてのヒグマが好きというよりは、「絵(写真)の主題」としてヒグマが欲しい人も多い。

 

これは野生生物カメラマンに広く言えることだが、野生生物を撮影しているからと言って、その生態や生き物として興味を持つ人ばかりではない。「かわいらしい形状」や「力強い姿」にのみ興味があり、他にはほとんど興味が無いという人も実際にはとても多い。

知床財団などの研究機関に務める人が、何度説明をしても響かないのは、そうした理由があると思われる。「そこに興味が無い」のだ。

 

だが、中にはヒグマの事を真摯に捉え、追っている人も僅かながら存在する。そうした人の発言は的を得ており、どの人も程度の大小はあれ、葛藤を抱えながら撮影に向き合っている

 

撮影スタイルは様々で、サクッと撮影して去っていく人もいれば、数日間~数週間張り付き、撮影を続ける人もいる。

メジャーな撮影地以外で待機する人、ヒグマに積極的に近づいたり、森の奥まで入り追い回すカメラマンは見た事が無い。知床での撮影スポットは数か所であり、その限られた場所で出待ちを行う人が殆どだ。ブラインドなどのテントを設置して撮影は行わず、普通に立ったり、椅子に座って撮影を行う。

知床の撮影地では、携帯電話の電波が届かないため、集団で迅速に情報共有をすることはできない。このため、どこで待機するかは「賭け」となる。

機材が重いせい(または高齢のため)か、あまり歩きたがらない人が多い。このため、私有地への車乗り入れ問題や、路上駐車問題などが発生する。

 

ちなみに、ヒグマ撮影の間、クマスプレーを装備しているカメラマンの割合は2割程度。あとは丸腰の人が多い。

「自己責任でやっている」という人が大半だが、日本人は、事が起こった際(自らに不利益があった際)に自己責任であると自らを納得させる人、そうした家族がいる人は殆どいないということを、私はビジネスを通じて痛感している。

昨今日本人は自己責任論を振りかざすことが多いが、リアルで自己責任に裏打ちされた行動をする人は実際少ないと思っている。

もっと言うと、ヒグマ撮影問題に自己責任論をかざす人は、それ(人身事故)が起こった後の社会的影響度を考慮していない

 

また、プロと言われる人も、アマチュアカメラマンと大きく異なる場所と状況で撮影しているかといえば、そうでもない。

かなり似通った場所で、同じ個体を同じように撮影している人が多い事も書き添えておきたい。

 

■釣り人

知床斜里・羅臼には、8月~11月まで、カラフトマス/サケを狙う釣り人が全道、いや全国各地から集結する。

遊漁船を使用した釣りも斜里側にはあるが、時期も限られており、大半は「河口でサケ/マスを狙う」釣りである。

これは、私の読者であればよくご存じだと思うが、掛け値なしに面白い。しかも釣果が他地域と比べてもオホーツク圏内は圧倒的に多い。

1回10匹以上の釣果も決して珍しい話ではなく、それを連日繰り返すうちに、「オスがいらなくなる」「メスもイクラ以外はいらない」という状況に陥る。一般家庭で消費可能なサケの量は、特殊な家庭を除き、20匹もあれば本当に凄まじく飽きるレベルである。

現実を言うと、シーズン中100匹以上釣ったと言う人も多数いるが、そうした人の釣果のかなりの数は、親せきや友人宅に押し付けられたりもするし、ストッカーの中で、脂焼けをおこして捨てられたりもする(もちろん、加工などをしっかり行い、消費する釣り人もいる)。

爆釣時の岸辺では、携帯電話で「サケいらない?」と電話する釣り人が大勢発生する。

 

少なくなってきてはいるが、不要となったサケ(特にオス)は、その場に捨てる人も存在する。また、サケの内臓を自宅で捌くのは、私自身もよく経験していることだが、多くの「残滓」の処理を迫られる。一般的な家庭での妻女は嫌がる人が殆どであろう。1匹や2匹ではないのだ。嫌な臭気も籠る。このため、川でサケを捌き、内臓を捨てていく人も数多く存在する。川でやらずとも、ホームセンターのトイレの手洗い場で魚を捌く人もいるし、キャンプ場で捌く人も多数存在する。コンビニのゴミ箱に残滓を捨てていく人もいる。

呆れると思うが、それが釣り人という人種の現実なのだ。

 

羆は捨てられたこれらの誘引物に寄せられ、河口に居付く。ヒグマも人間と同じで、「できるだけ楽をしたい」

 

斜里側では、一つの河口で対策が行われているが(後日記載したい)、それ以外は対策が講じられていない。また、釣り人はごく一部を除いては、特にヒグマに興味や関心があるわけではなく、予備知識が極めて乏しい。

特に遠征組にとっては、単なる週末の余暇の一部であり、ヒグマの事を考える以上に、釣果の事を考えたい。

 

財団が来て、危険性を訴えても、「大丈夫大丈夫。今までも大丈夫だったし、わかってるから」と繰り返すのみである。そして、ヒグマにサケを盗まれた後は、「いや~申し訳ない。魚を持って逃げようにも、突進してきたんだもの」と簡単な謝罪で終わる。

だが、釣り人の魚を奪う容易さを覚えたヒグマは、何度も河口に降りてくるようになり、射殺される

 

 

■知床財団

NGO法人であり、決して規模は大きくない。正職員規模で言えば、数十人の中小零細企業的規模の組織である(通年で考えると季節雇用や嘱託など、様々な雇用形態によって維持されている)。

 

学術研究機関でもあり、もちろんヒグマのみを取り扱っている訳ではない。だが、ヒグマやクマの研究をしたいという事からこのNGO法人を選択した人も多いようだ。

当たり前のようにも思えるが、知床が嫌いであったり、ヒグマが嫌いという人はゼロだろう。

 

ただし、書籍などで確認すると、それぞれ専門の分野はあるみたいであり、ヒグマ対策班の中にも、もともとヒグマの研究を行っていたわけではない人も居る。

(私の特に尊敬する人は、もともと鯨類専門だったはずだ)。

 

正直、私自身ヒグマ対策班の人以外とは、それほど情報交換をした方がいないため、他については分からない。

だが、正職員の方は、組織トップも含めて、「ヒグマ愛」の強い方が数多くいるというのが私見だ。

ただ、一方で野生生物保護至上主義的な考え方が、強く見受けられる人も居る

 

様々な分野から集まったという印象の組織であり、ヒグマに対する考え方も、もちろん組織として統一の考えはあるにせよ、一人一人の考え方を追究していくと、僅かずつ異なると思われる。ヒグマ原理主義的な考えを持つ人もいれば、バランスを取った考え方の人も居る。

正しい解がコレとできない性質上、その活動の詳細部分は(法で定められた事項を覗き)個々人に一定の自由度が与えられていると思われ、人によってヒグマ対策(どこまで追い払うか?)についても対応が異なるという風にも見受けられる。

 

知的水準は高く、会話をしていて「こりゃだめだ」という人は、少なくともヒグマ対策班にはいない(一方で、五湖ガイド的な役割をする季節雇用?と思われる人のレベルには、明らかな差が見受けられる)。

 

■知床財団とカメラマン

 

知床財団は、啓蒙活動の一環として、ヒグマ撮影カメラマンへの説明を頻繁に行っている。

主には、ヒグマの出待ちで待機していると、財団ヒグマ対策班の人が来て、現状の説明や、「やんわりと」カメラマンの撮影行為が、ヒグマ駆除の原因になっている点を伝えて帰る。

彼らは丁寧である(一部、岩尾別の道路脇撮影などの時は、車から降りて撮影する人がいるなど、事態が緊迫しており、声を荒げることもあるが、それは人命がかかっているためやむを得ない)。

 

仕事の一環であり当然かもしれないが、敵対するカメラマンを相手にするのは、相当ストレスのかかるものだろう。

だが、待機中カメラマンへのこうした啓蒙活動は、ある意味不毛ではない。

なぜなら、道路脇での撮影、そして追い払いの後は、何も伝える事すらできずに殆どの車は去ってしまうからだ。

それよりはずっとマシなはずである。

これは彼らの行う啓蒙活動の一環である。

 

こうした知床財団の啓蒙活動に対する反応はまちまちである。先に書いた通り、向き合い方によって反応も様々だ。

大半のカメラマンは、「情報」を聞き出す事ができるかもしれないため、ある程度耳を傾ける人が多い

だが、中にはあからさまに嫌悪感を丸出しにし、攻撃的に言い争いを始める人(敵対する人)も存在する。

一方で、そうではない人もいる。ヒグマの現状を聞き、心を痛める人もいる

 

ただ、おそらくこの記事も読んでいるだろう知床財団には残酷な事実となってしまうかもしれないが、カメラマンの8割の人は知床財団の存在を良く思っていない。車で去った後は、聞いている風であった人も含めて、財団への批判が口々に聞こえてくる。

「聞いてもいないのに勝手に話し出す」「あの距離で追い払うのはいかがなものか?」というような、ウザったい存在であるという認識が大半のカメラマンの共通見解である。

 

なぜ、こうした軋轢が生まれるかは自明だが、人とヒグマを遠ざけたい財団と、被写体を追い払われるカメラマン。お互いの利害が一致していない以上、それは当然でもある。

 

 

■観光客

夏期に、再び知床に入った私は、知床五湖を回り切った後の高架歩道にて、小学生と思われる子供が、祖母と思われる人にこう語っているのを聞いた。

「ヒグマぜんぜんいなかったね。会いたかったのにな。一匹もいないんだもん。」

泣き出しそうな表情が忘れられない。

 

困ったように、「そうね」と返す祖母の姿を見て、何とも言えない気持ちになった。観光客が訪れやすい「夏休み時期」(特に日中)は、ヒグマの出没が減少する時期でもある。

 

あなたなら、どう答えるだろうか?

 

野生のヒグマにそう簡単に会えると思うな。だからこそ野生なんだ。いや、君が間近でヒグマを見ることによって、ヒグマを死に追いやることになる。だから見れなくて正解なのだ。更に言うと、君の命の保障も担保されない。だが、どうしても見たいのなら何度も通いなさい。それもベストと言える初夏か、秋口だ。君は時期の選択を間違っている。一定の日程を確保し、3日は最低でも早朝から待機しなさい。場所と時期はヒグマの行動特性を考え、最も確率が高い場所を狙いなさい。それが嫌なら、家族1人1万円を出して船に乗ることだ。時期さえ間違えなければ、2回も乗れば、一度も見れない事は無いだろう。

 

上記回答は、ヒグマを目的に知床を何度も訪れてきた人なら、ある程度理解できる事であろう。だがもし、そう答える人がいたとして、私は少なくともその人に好感は持てない。それで今後その子がヒグマを愛する人に成長してくれるとも思えない。

 

これは極端な例えだとしても、観光客の多くは知床でヒグマに会いたいと願っている。あの子供が、知床峠の風景や、五湖の風景を見て、満足して帰ったとは思えない。

 

私のように何度も知床に足を運ぶ人は、ごく一握りであり、一般的な人では、よっぽど好きでもない限り、数年に1回来れれば良い方であろう。というか、日本や北海道には、他にも多数の観光地が存在し、一般的な人にとって知床は「一選択」でしかない。

 

知床は、大自然ではあるが、そもそもが狭く、人が立ち入れる場所でそれほど秘境感があるとは思えないし(人工物も多数目に入る)、正直に言うと北海道において、絶景レベルもそれほど高くは無い

魅力の多くを、ヒグマや、鯨類。希少性の高い鳥類などの野生生物の存在に頼っていると思うのは私だけだろうか?

 

だから良しとは言えないが、運よくヒグマに出会った観光客は興奮するし、その光景を写真に収めたいと願う。

カメラマンと同様に、入れ替わり立ち代わり、ヒグマには観光客が張り付く。

集団心理の中で、一人が車から降りると、赤ちゃんを抱いたお母さんまでが、ヒグマを間近で見ようと車を降りてしまう。

 

知っている、知っていないを別に、ヒグマに与える影響という点では、カメラマンと同様である。

 

■なぜ撮るか?

野生の羆が大好きという人には、それぞれ誰しも「初めて」が存在する。

それはカメラマンしかり、観光客しかり。知床財団のスタッフすらそうだろう。

 

羆を見たいだけであれば、動物園に行けばいい。自然風味で見られる動物園(サホロのベアマウンテンなど)も存在する。

 

だが、初めて野生のヒグマを見たときの感動。その逞しさと神々しさ。そこについては、利害を除き話し合えば、おそらく関係するすべての人が共感するだろう。

そこまでであれば、全ての人たちは分かり合えるのだ。

正直、私のショボイ写真などでは、到底伝えきることができない迫力と、神々しさに満ち溢れている。

だからこそ、魅せられ、通い続ける。

ヒグマは、観光資源としても間違いなく価値を生み出す存在である。

 

 

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今年11月。MKを求めて、僕は再び知床に入った。

MK(子供連れのメスグマ。11月に射殺された)とはすれ違いだった。

 

僕が到着する10分前には出没していたらしい。

それも、かなり長時間。

 

だが、それはやむを得ない。野生生物撮影とは、そういうものである。

 

待機を開始する。多数のカメラマンが三脚を立て、待機している。

 

そして4時間後、ヒグマが遠くに姿を現した。

 

成獣だ。雄っぽくない。多分雌である。

 

 

 

案の定、後方からもう一頭が姿を現した。

 

距離はかなりある。

 

後方から来た個体は、大きくて成獣にも見えたが、子離れ前の子熊である。痩せているように見える。

 

 

 

川を渡り始める。

 

 

自然に生きる野生のヒグマ。

 

それは、やはり人の心を揺さぶる存在だ。

 

害獣であることも事実だが、生でその姿を見て、感動しない人はいないと僕は思う

 

 

だからこそ、カメラマンは「消費するように」彼らを撮影してはいけない。考えなしに写真を自慢するような、インスタ等でのアップは嫌いだ。

 

また、撮影し続ける事ができるようにするためには、どうすればよいか?それを真正面から考える必要がある。

考えるだけじゃなく、発信し、前へ進む提言を行っていかなければならない

 

知床財団にも言いたい。現地での啓蒙活動以外、公式な場で「カメラマン」との意見交換を行ったことがあるのだろうか?

僕が調べた限り、見当たらなかった(あるのなら教えて欲しい)。

 

カメラマンに対するルール。釣り人に対するルール。

 

人の行動をルール化する事は、僕は必要だと思う。

 

だが、それは「当事者不在の中で、一方的に決められるべきものではない」と僕は思う。

 

クソみたいなカメラマンがいて、クソみたいな釣り人がいる。だが、そうじゃない人もたくさんいる

 

 

誰もが野生のヒグマの美しさを感じ、撮影し、感動できる。

 

そして、その命を脅かされない。

 

とても難しく、困難かもしれない。だが、それを求め活動を続け、これからも

 

僕は、知床でヒグマを撮影する。

 

■あとがき

次回(といっても少し先ですが)、ヒグマ撮影のあるべき姿に向けて動き出した現状と、私の考えを記載していきます。

正直、趣味で書くブログの領域を逸脱しはじめており、ヒグマ関連記事は「一体、誰得よ?」と思う、救いのない内容の記事になりつつあります。ですが、それが現状なのだと思います。

対策会議等の議事録や資料は、ネットにアップされています。ですが、そこまで目を通す人は、ごくごく限られた人です。

写真で目を引きながら、何かを訴えることができるカメラマンという存在の意義は大きいという事も多くのカメラマンに理解して欲しいところです。

 

私ができる活動は、知床のヒグマ問題を少しでも多くの人々に伝えていく事。使命感に燃えている訳でもなく、読み手に考える素材を提供することだと思っています。

今回は、知床財団・カメラマンともに中立の立場を意識して記載しました。

私は、正直どちらの立場の気持ちも分かります。財団の活動も応援しますし、向き合い方をしっかり考えて愛情を持って被写体を捉えるカメラマンも応援し続けていきます。

いつも通り、ヒグマ関連記事のリブログは自由です。数多くの人にこの問題を知っていただきたいという考えに変わりはありません。

 

 

次回は、いつもどおりの軽い感じの記事に戻りますぞ(゚∀゚)ノ

 

前回記載のクイーン。読者の皆さんの中でもファンが多いことにうれしすな紳士です!!

1週間、ひたすらクイーンの楽曲が脳内ヘビロテ(((((((( ;゚Д゚))))))))

 

■ヒグマ問題を考え、ぽちっとクリックで応援してくだされ!!(゚∀゚)ノ

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