知床ヒグマ撮影~生きていた!!MKジュニア~奇跡の再会
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(`・ω・´)
知床のヒグマを撮り始めてから、今年で4年になる。
まだ、たった4年だ。
野生動物撮影を開始して、ほどなくヒグマの美しさに魅せられた。
だが、撮るほどに、そして知るほどに苦しくなる被写体は、ヒグマ以外にはいないだろう。
幾度としてブログ記事としてアップしてきたが、当初は軽やかだった記事内容も、回を重ねるたびに陰鬱さを増し、救いのない哀しい物語へと変わっていった。
「知床のヒグマ」をめぐって現在進行形で語られるべき問題は、「人とヒグマの共存」という割と分かりやすい理想を語る以前に、「人のエゴ、人の欲望」と向き合う必要のある重いテーマでもある。
忘れられない個体がいる。
コードネーム「MK」(通称 まゆこ)。4歳のメスグマである。
私が初めて本格的に「個体」を追って撮影するようになったヒグマでもある。
生存を願い、そしてその願いが叶う事は無かった。
昨年秋に、0歳の子熊を残し、射殺された。
理由は、既に過去記事にて語っている。未読の方はそちらを参照願いたい(実際、この記事を単独で読んでも、知床ヒグマ問題の理解は難しいかもしれない)。
→リンク 「知床ヒグマ撮影~「MK」と呼ばれる個体の現在(いま)」
注)他にも「それでも僕は、知床でヒグマを撮影するシリーズ(3回まで掲載)」など、知床ヒグマ問題を取り上げています。
知床ヒグマ問題にあまり詳しくない人は、「人間の勝手で~」云々と憤るかもしれないが、この捕獲(捕殺)に至るまでの判断は全く持って正しい。
ただ、やりきれない感情は、命を奪わなければならなかった人達(何の責任も覚悟も無い人達の100倍苦しんでいる)を含め、全ての人に残る。
人間のゴミを漁り、市外への侵入を繰り返したヒグマの末路は、必ず「捕獲(この捕獲の意味するところは、すなわち射殺)」だ。
0歳の子熊は、捕獲の対象とならなかった。
問題行動が見られなかったからである。
0歳の子熊が、野生の中で親と死別する。
それは、イコール子熊の死をも意味する。
ヒグマは通常3歳まで親と伴に暮らす。0歳の子熊には冬眠の経験すらない。
こうした子熊が生き残る可能性はゼロに等しいし、実際前例も殆どない(日本でのヒグマにおける記録された事例は、私が知る限り1例も無い)。
人間と違い、誰か他のクマが見つけて育てるということもありえないのだ。
同種に殺されるか、餓死するか。冬眠失敗で死ぬか。選択肢は限定的だ。
会いたい。その思いは叶わずに、無情にも知床に冬はやってきた。
そして、12月に入り、子熊の目撃情報は途絶えたのだ。
残念な結末しか想定できなかった。
もう、ヒグマには関わりたくない。関わっても苦しみしか残らない。そうも思ったのも事実だ。
10連休となったGWは、リスやキタキツネを撮影して楽しんだ。
北海道にも春が訪れ、世界は日に日に輝きを増していく。
新しい生命が芽吹く季節の到来である。
だが、一方でカメラに対する熱は究極まで醒めていた。
写真のエゾリスは、ある意味「町ぐるみで餌付けされた」個体である。キタキツネの生存率は10%未満。殆どは交通事故や餓死で死んでいく。
かわいらしい、美しい写真の背後にあるものにフォーカスすればするほど、人とのかかわりや、エゴと向き合わなければならない。そして知れば知るほど苦しみと悲しみは増していく。
モータースポーツへの復帰や、他趣味への傾倒でカメラから離れていく自分を感じている。
そんな折、一つのニュースが飛び込んできた。
「10連休中の知床。路上に出ているヒグマ見物で、知床で大渋滞。車を降り、2mまで接近する観光客も」
そんな内容だった。
「またか」そう思った。
気になったのは、その画像だ。インスタ等でも、ヒグマとの出会いをアップする写真が数枚。だが何か違和感を感じた。
0歳の子熊の大きさではない。推定1歳程度。
だが、通常は必ず近くを離れない親熊の存在が無い。出没している地点も、問題の起こりやすい場所だ。
そこは、かつてMKとその子供が同時期に出没していた場所でもある。
予感がした。
知床へ向かった。
生憎週末の天気は最悪。雨が降りしきる。
そしてヒグマも観光客もいない。
そもそも、ヒグマ出没の確率が高まる時期ではない。通常ならば、片道6時間をかけての知床遠征は絶対に行わなかった。
だが、ファクト確認は、自らの目で行うのが紳士の数少ないポリシーでもある。
行かなければ見れないし、確認もできない。
散々走り回り、待機もした。だが、結果初日はヒグマの姿を見かけることはなかった。
日曜日、天候は更に悪化した。
まさかの冬道である。
5月中旬にもかかわらず、知床周辺には雪が降った。
可能性が最も高いと思われる地区で待機する。常連と思われる高齢カメラマンに話しかけると、「遠くからヒグマ撮影しにきたんか」と笑われた。
何の知識も経験もない若造カメラマンが来たと思われたのであろう。
だが、しかたがない。それも間違いではないからだ。
だけど、おそらくあなたたちより、僕はここのヒグマの物語を知っている。
愛も絶対に負けていない。
ヒグマ撮影カメラマンは、おどろくほど知床ヒグマ問題や個体への知識に乏しい。
一頭の成獣を確認した。
だが、探し求めている子熊ではない。
光が足りず、ノイズが酷い。
車内からの撮影だと、どうしても枝木がかぶり、良い絵が撮れない。
だが、それは絶対に守らなければならない最低限のルールだ。
どの個体なのかはわからない。
MKの姉妹の一人、サカハチかもしれないと思いながらも、確証はとれない。
MKは、3匹の姉妹の一頭だった。
母は威嚇突進行動(ブラフチャージ)を繰り返す狂暴な通称「チャーママ」と呼ばれるヒグマ(今も人里には姿を見せず存命だ)。
姉妹の1頭は、ツキノワが逆さの「八」に見える事から「サカハチ」と呼ばれている。
もう一頭は、行方がよくわかっていない。通称「マジンガーゼット」と呼ばれるヒグマが(名前はともかくとして)それじゃないかと噂レベルで聞いたことがある。
ともあれ、ヒグマには会えた。
だが、探し求めたあの子熊には会えない。
時間は10時を回った。もう1回1周して、だめだったら帰ろう。そう思って車を周回させる。
だがヒグマは居なかった。
野生生物撮影とは、そういうものだ。
ステアリングを左に切り、札幌への帰路へつこうとした瞬間だ。
目の前の斜面に、小さく黒く蠢く姿があった。
いた!!あの子熊だ!!
周囲を見回す。
親熊はやはりいない。
茂みに隠れる可能性も無い場所である。明らかに単独。
(注:撮影は全て車内。かつトリミングしています)
狭いエリアで、隠れるように草を食べている。
場所は良くない。すぐに観光客に見つけられる道路脇である。0歳ではない。やはり1歳程度。
到底親離れをする年齢ではない(親離れするヒグマは、殆ど成獣と見分けがつかない程大きい)。
脳内で情報を整理する。
1.通常親離れをしない1歳のヒグマが単独で行動。親が死亡もしくは育児放棄の可能性。但し育児放棄でも子熊は親熊を離れない。
単独ということは、親熊が死亡している可能性が高い。
2.出現地区が、昨年同時期のMKと子熊が出現していた地区と同一。
3.人馴れしており、逃げ出さない(つまり、0歳時期に人馴れした「段階1」の親熊と行動している可能性が高い)。
4.昨年、この地区で見られた0歳の子熊1頭を連れた個体はMKのみ。
・・・・・・・・
おまえ・・・・おまえ・・・・
生きていたのか!!!
(´;ω;`)
MKジュニア!!!
(´;ω;`)
込み上げてくるものを抑えることができなかった。
ファインダーの向こうの画像が滲む。
いったいどうやって?一度も冬眠した事のない子熊を残し、冬眠への備えも途中で、MKは逝った。
その中で、ひとりぼっちで、暗い穴の中で
母を想いながら・・・そのぬくもりを想いながら
命を、命をつないできたというのか・・・・?
(´;ω;`)
・・・・・まゆこ・・・・
君が・・・・・冬眠の間
君が見守ってきたというのか?
(´;ω;`)
くしくも、5月12日。この日は「母の日」だ。
泣いた。
まゆこの宝物が、生きている。
子育て半ばに倒れ、どれだけ心残りだっただろうか?ジュニアの行く末を案じただろうか?
(´;ω;`)
いい年をしたおっさんが、恥ずかしげもなく嗚咽が出るほど泣いた。
MKジュニア、生存を確認。
奇跡とか、美談で終わらせることはできない。
なぜなら、ジュニアは既にGW中に人の捨てたゴミを食べた。
ゴミは紙ごみであり、コンビニのから揚げの紙パックのようなものだったらしい。ただ、幸いにも中身は入っていなかった。
仮に中身が入っていた場合、段階2となり駆除の対象となる。
これから迎える観光のハイシーズン中、誰かが人の食べ物を与えないとも限らない。
まだ小さくて可愛らしい。そんな姿だけに。
まだ子熊のような声で鳴くジュニア。
もっと人目のつかない場所に行って欲しい。だが、そこは「もっと強い」ヒグマの生息地と重なる。ジュニアは、ヒグマ社会での地位が低く、ここでしか生きられないのだ。
そしてそれは、イコール母熊と同じ運命をたどる可能性を意味する。
人は過ちを繰り返す。
悲劇の連鎖、それは絶対に止めなければならない。
だが、残念ながらこのジュニアを安全な場所に導くソリューションは見いだせない。
どこか人気のない奥地に連れて行っても、ヒグマ社会の中で、そこで生き残る保証はないのだ。弱いものは正義ではない。容赦なく殺される。一方で、ここにいても、いつか人との距離を見誤り、駆除される可能性が高い。
知床財団だけに、「後はたのむ」と言うのはフェアじゃない。
それはあまりに無責任だ。
人間社会は、単純な思考で動くものでもなく、環境省はかつてこの子熊の保護を提案した知床財団の要請を認めなかった。
現行法の中で、例外は認めないということだろう。
理解できなくはない。
だが、現在の維持管理体制の中で、ヒグマと人間との距離を適切に保つことはできない。もうすでに知床は限界を超えているのではないだろうか?許容できるレベルを。人間(観光客の安全)という観点からも。
僕は、ヒグマ撮影を行うカメラマンだ。
間接的に、ヒグマの人馴れを促進し、死に追いやる「悪のカメラマンの一人」である。
だが、もういいよ。もういいんだ。
(´;ω;`)
知床岩尾別地区は、自由に立ち入りを許可してはいけない。
結果として撮影ができなくなってしまっても全然かまわない。もはや人間の行動管理なくして、ヒグマも人間も安全の確保ができない。
ただ、カメラマンとして、「互いの安全を担保可能な撮影施設、もしくは撮影車輛の運行」は求めたい。当然有料でかまわない。
悲劇の連鎖は何としても断ち切らなければならない。
ねぇ、MK(まゆこ)・・・・。
君の子供は立派に生きている!!
生きているんだ!!見えてるかい?まゆこ!!
(´;ω;`)
■あとがき
知床財団によるDNA鑑定の結果が昨日5/15に発表されました。当該個体は、MKの子供です。
ですが、知床財団の記事にもあるように、このままではMKと同じ道をたどっていると言わざるをえません。
↓知床財団blogリンク
https://www.shiretoko.or.jp/report
この記事は、従来から知床財団の記事や報告を読んでいる人には分かると思いますが、いつも淡々とした記事が大半を占める中、相当に感情的です。
良い意味で「エモい」作風だと思います。人の心に訴える。
学術研究機関でもある知床財団の報告記事としては異例と言わざるをえません。
それだけ、MKという個体は、彼らにとっても忘れられない個体であったという事であり、苦しんだことと思われます。
MKは死にました。過去は変えられません。ですが、その死によって何か人間を動かすことができるならば、私はMKが生きた短い命の期間も、意味のあることになるのではないか?そう考えます。
なので、伝える事をためらいません。ブロガーとして、カメラマンとして、このテーマを書くことは常に重圧になります。実際、当事者としてこの問題と向き合うブログは見た事がありません(無関係な方が、情報の寄せ集めで書いた優等生記事はよく目にします)。
写真だけのすばらしさというものに、私はそれほどの価値を見出せません。
裏にある背景を知ってこそ、写真は本当の輝きを増すのではないか?と思います。なので、これからも写真はおまけ。むしろその背景や生き物の生きざまにフォーカスしていきたいと考えています。
紳士の撮影は全て車内。撮影は3分47秒間です。
どうか、ヒグマを撮影したいというカメラマンは、1.車から降りない 2.餌をあたえない 3.長時間の撮影で渋滞を起こすことを避ける 4.ゴミは捨てずに持ち帰る。
これらを絶対に守ってください。
このMKジュニアはまだ小さいです。しかし、既に人を傷つける力を持っています。
今年斜里町でハンターが体長1mのヒグマに襲われるという人身事故が発生しています。1mというのは、この子熊とさほど変わらないということになります。
GW中に車から降り、2mでの近接撮影をした人がいるといいます。
それがどれほど怖ろしい事か。
おそらく、近いうちに知床での(控えめにみつもって)自由なヒグマ撮影は不可能になります。
でもそれでいい(´・ω・`)
まるでMKが会わせてくれたような、本当に最後の瞬間での遭遇でした。
涙でるよ(´;ω;`)
いつも通り、リブログ等自由です。一人でも多くの人に、知床ヒグマ問題を知って欲しい。そう考えています。
ご協力いただけるブロガー、カメラマンの方、よろしくお願いします。
(´・ω・`)
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(`・ω・´)