別府タワーのこと。 | 別府市の流川通りで腰痛,ギックリ腰、専門の回復整体。

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回復整体別府の田中です。

嫁さんの叔父さんが別府タワーを買ったと言うのでタワーの事を少し。

 

別府タワーの完成は1957年5月で昭和という時代が

元気に輝き始めた頃のこと。

 

「別府温泉観光産業大博覧会」の目玉施設として

当時のお金で2億8千万円で建造されたそうです。

 

設計は「塔博士」と言われた内藤多仲先生によるそうで

内藤先生による塔は

 

長男は(昭和29年)名古屋テレビ塔。

次男は(昭和31年)通天閣。

3男は(昭和32年)別府テレビ塔。

4男は(昭和32年)札幌テレビ塔。

5男は(昭和33年)東京タワー。

6男は(昭和39年)博多ポートタワー。

以上、タワー6兄弟と呼ばれているそうです。

 

別府テレビ塔は昭和35年に十文字原のテレビ塔が出来た事により

テレビ塔か二つあるのは紛らわしいという事で

昭和36年元旦より別府タワーに変更されました。

 

昭和の旅行シーズンにはタワー内レストランで1日4000食を

出すなど

年間90万人の利用客でにぎわう観光スポットになりました。

 

その頃私も登っていたと思います。

 

またまたタワー完成時の従業員募集では数千人の希望者が

当時の駅前通りまで列を作ったと言われています。

 

これまた、すごいですねえ~。

 

先日タワーに行き展望台から眼の下の10号線を見ると意外と

曲がっているのに気が付き

両側6車線、車がキレイに流れているのをしばらく眺めて

「別府も都会になったな~」とも感じました。

 

展望台をぐるっと回ると山から海まで見渡せるので

私には飽きの来ない場所でした。

 

「馬鹿と煙は高い所に上る」と言いますが・・・・

 

別府タワーを買うなんてすごいですね~。