1年と4カ月前まで僕は起業家だった。今は引きこもりだ。

 

起業家だった時にずーっと苦しかったことがある。それは真実を伝えるために嘘をつかなくてはならなかったことだ。

 

人間の知覚力には限界がある。だから人に何かを伝えたければ、相手の知覚力の範囲内で物を言わなければならない。

 

人間の知覚力の限界とはどういうものか、以下に例を挙げる。

  1. 雑念があると、五感から入ってくる情報をうまく処理できない
  2. 新しいことを学ぶ時に3つ知らない単語が出てきたらもう理解しようとしない
  3. 真実であっても耳に入れたくないものは聞かない
  4. 難しい真実よりも楽に聞こえる嘘に心惹かれる
  5. まだプロセスの進行中であってもプロセス自体が複雑だと理解をやめてしまう
この他にもまだまだたくさんある。
 
人間はこのようにいとも簡単に知覚の限界を作ってしまう。しかも無自覚に。
 
だから、そうした意識の壁(養老孟司はこれを「バカの壁」と呼んだ)を乗り越えるために起業家たちやコピーライターたちは知恵を絞って罪にならない嘘をつく。
 
 
例えば資格試験の参考書に「これ一冊で○○受験対策は完璧!」的なキャッチのついた本があるとしよう。
 

本当はその本を読みこなすためには少なくとも4~5冊程度の別の本の知識の土台が必要なんだけれど、売り手は(この本を読みこなせるという条件つきであれば)受験対策はこれ一冊でもまずまずよかろうという水準に達する本に仕上げる。そして上記のようなキャッチコピーをつける。

 

厳密に言ったら嘘なのであるが、局所的に言えば嘘とは言い切れないギリギリのラインをつくのである。

 

しかし、売り手にとって「これ一冊で完璧」と書くことのメリットは大きく、予算を掛けられない人やあまりたくさんの本で勉強したくない人などはこの文言に強く魅かれるのである。

 

実は、勉強法としてはこうした本で学ぶことはすごく効率が悪い。1問解くたびにいくつも派生する関連知識を吸収しながら進めなくてはならないのに、それを説明するだけの十分な解説はそこにはないからだ。

 

言っては悪いけれど、あんまり勉強の仕方が上手ではない人のやり方なのだ。

 

 

それを作り手の方も分かっていて、しかし売れるからそういう本を作る。だから人気資格にはそうした本が必ず出ている。宅建、社労士、税理士、行政書士、etc...

 

もしかすると欺瞞と言っていいのかもしれない。しかし、多くの泡沫受験者たちを資格試験の業界に誘う効果は確実にある。

 

本当のことを言ったら参入すらしようとしない人がいっぱいいるのだ。

 

これは、「4.難しい真実よりも楽に聞こえる嘘に心惹かれる」の例。

 

 

さらに一つ例を挙げてみよう。

 

小学校では円周率を3.14として教える。これも嘘だ。

 

しかし、3. 141592653589 793238462643 383279502884 ですと言ってもやっぱり嘘だ。

 

しかし、小学生の内からπ(パイ)などという記号を使った式を使えば混乱は必至である。

 

ましてや「そもそも円周率って言うのはね、円の直径に対する円周の長さの比率のことを言いましてね、数学定数のひとつなんです。」などとは言えない。

 

円に関する計算を初めて学習するのに「円周率」「直径」「円周」「定数」などと初めて聞く単語が目白押しになってしまえば、児童たちはもう理解しようとするのをやめてしまう。

 

だから円周率=3.14なんですよという嘘をつかざるを得ない。

 

人間は「2.新しいことを学ぶ時に3つ知らない単語が出てきたらもう理解しようとしない」のである。

 

 

最後にもう一例。

 

婚活アドバイザーが結婚を目指す女性に向かって「あー、あなたの意識は上がり過ぎちゃってますね。そんな高めの男性を狙ったってまず無理ですよ。」などと言ったところで耳を傾ける人はまれだ。

 

だって彼女たちは結婚そのものに大きな憧れを抱いているわけだから。

 

結婚=憧れだからこそ、憧れられるような男性でなければ成立しないという方程式が彼女たちの頭の中に出来上がっている。

 

だから「現実的に結婚したいならあなたの場合、年収200万円くらい、年齢は40~45歳くらいの男性になりますねー。」とか言われても耳を傾けられないのは必然なのである。

 

ここにどんな正論をぶつけたって無駄なのだ。

 

だから婚活アドバイザーたちは必然的に「○○力を身につけて結婚力を高めよう!」みたいな発信でお茶を濁すことになる。

 

○○に入るのは「コミュ」だったり「女子」だったり「癒し」だったり色々だ。

 

まぁ、そういうものにチャレンジしていく過程でそれぞれのクライアントが自分という存在をしっかり見つめて受け入れていく契機になれば、それでいいのかも知れない。

 

3.真実であっても耳に入れたくないものは聞かない」のである。

 

 

でも、僕はなんだかそういう嘘をつくことに心底疲れてしまった。

 

資本主義的なあり方としては正当であっても、そこまでして参加させなくてもいいのでは?と思うのだ。

 

なーんてことを言っているから僕は起業家に戻れずに未だに引きこもりなのだろう。

 

でも、僕のこの感覚はきっと近い将来の新しい常識になる。そんな気がしてならない。