二度目の離婚が成立したとき、僕の気持ちは結構ボロボロだった。いや、ボロボロだったことに気づいたというべきだろうか。

 

離婚の少し前までは、「このくらい全然平気だ、さあ次へ進もう!」くらいに思っていた。でも離婚したとたんにもう進む先が見つからなくなった。どこへも進みたくなかった。

 

自分が別れると決断したものの大きさに気づいたというのもあるが、それ以上に人間を続けていく自信がなくなった。

 

今まで一体何のために生きてきたんだろうと思うと、しくしく泣けてきた。

 

色んなことが思い出されては過ぎていった。おっさんになるということはある意味残酷だ。一切、誰からも何にも褒めてもらうことはなくなる。

 

仕事が上手くできて当たり前。気持ちが落ち着いていて当たり前。安定した生活を送れて当たり前。


若い頃会社の先輩たちがかけてくれた「お、いいじゃないか」「なかなかやるな」というちょっとした褒め言葉のなんとありがたかったことか。どれほど温かい励ましに包まれていたことか。

 

「できなくてもまぁしゃあない」ということを許してくれる存在の大きさに、その時は気づかなかった。

 

おっさんという生き物はなんとまぁ身に過ぎた鎧をまとって生きていることだろう。なんと背伸びをしていきているものだろう。

 

「俺は失敗なんかしないぜ。してもめげたりしないぜ。」という顔をしているから誰もフォローしようとはしなくなる。

 

そうやって僕みたいに自縄自縛で苦しんでいるおっさんが一体この日本だけで何百万人いることだろう。

 

 

 

心の中の罪悪感がムクムクと大きくなると、僕はいつも自分で自分を苦しめた。夜眠れなくなり、夜通し起きて明け方に疲れ果てて少しだけ眠った。

 

そしてある時、気づいた。誰かに認めて欲しかった。誰かに許してほしかった。

 

誰に?

 

思い浮かんだのは父の顔だった。物心ついてから父に何かを褒められた記憶はない。

 

戦後すぐに生まれた僕の父は家族に自分の心中を打ち明けるような男ではない。老いてからは時折そんな気配を見せることもあるが、40歳前後の働き盛りでバブル期を迎えた父は仕事の忙しさもあって家族に目を向けるような時間は多分なかった。

 

だから僕の父に関する印象はどうしても「家族に関心のない人」と映った。そこにさほど不満があった訳でもないし、父というものはそんなもんだろうと思っていた。

 

称賛されたこともなければ罵倒されたこともなかった。

 

そんな父に僕は褒めてもらいたいなどと欲している。つまり昔から僕は父からの賞賛など必要ないというふりをしていただけだった。

 

一方で母は?

 

母は僕が二度も離婚をしてトラブルでぐっちゃぐちゃになった今でも溜息つきながら赦してくれるだろうという気がする。

 

だから僕は多分、最初から母に甘えているのだ。父に対してはそれができない。

 

 

父だって陰ながら色々支えてくれているのはなんとなく分かる。でも「僕は今、随分弱っているので褒めてください」とはまだ言えない。そこまで素直になれない。

 

父と息子とはそういう関係ではない気もするし。

 

こうやって書くと自分という人間の弱さと情けなさが浮き彫りになる。でも、弱くて情けないことを自分にすら隠して生きるよりは少しはマシだ。

 

僕は父に赦されたい。褒められたい。