いろいろと重なってしまって、久しぶりのブログです。

コロナ陽性になった母は、期間を経て無事に元の病室に戻れたようですにっこり

ようやくホッとした日の夜、伯母のいるホームから届いた「てくてく通信」を見ていると、掲載してあるお誕生日を迎えたお婆ちゃんの名前が、何十年も会っていなかった友達の苗字と同じ「まさかHのところのお母さんだったりして☝️久々連絡してみようかな」なんて思いつつソファーに移ってスマホを開くと、FBのメッセンジャーに知らない人からメッセージ。たった今思い出していたH君の文字がチラリと目に入りゾクッとした。いつもは知らない人への返信なんてしないのにメッセージも開かないまま慌てて返信すると、Hが自死したという知らせでした。

その友達Hは私よりも一歳年上(男性)。家が近所なのもあって中学から高校までよく一緒に遊んでた。いつも近くにいてくれるお兄ちゃんみたいな存在。
お互い引っ越して長く連絡が取れなくなっていたのが七年前にFBで繋がり、何度か電話で昔みたいに話したりもしていた。会うのを楽しみにしていたけど、母が倒れたりコロナなどあって実現しないまま。

HのFBに私が書き込んだのを見たとか。連絡をくれたのはHの友人の高校時代の友達。
明朝、火葬場でのお別れになるので、よろしければいらしてくださいと言われ、何の躊躇もなく「明朝、斎場に行かせていただきます」と言ってしまった。
自死と聞くだけでカラダが竦む。いつもだったら絶対行かない選択をしたと思う。

その夜は一睡も出来ず、朝一の斎場に。
静まり返って職員さんくらいしかいない。
ご親族は27歳の娘さんと恋人、遠縁の高齢の女性、連絡をくれたお友達、そして私の5人。
娘さんも最期のお顔は見れず、お寺さんも戒名もなし。
お骨上げまでの時間は控え室で思い出話し。娘さんは気丈にも泣かない。私ともう一人のお友達とで、お父さんの若い頃のことをあれこれ話しては皆で笑った。
お骨上げも終わり、斎場の外で立ち話でご挨拶をしながら骨壷を撫でて、小さくなった友達に話しかけてたら、娘さんから抱いてあげてと言われて骨壷を抱かせてもらった。祖父母や父親の遺骨さえ何だか怖くて抱いたことなかった私、「なんで私に抱っこなんてされてんのよバカ」と言って大泣きしてしまった。

彼はシングルファザーで、娘さんが東京に行ったあとは一人暮らししていたとか。
遺書はなかったらしく、借金があるかも預貯金があるかもわからない状況のなか、賃貸マンションだったので、娘さんは遺品整理をして早急に部屋を引き払わなくてはいけないプレッシャーでいっぱいいっぱいの様子。後で聞けば、警察からの連絡で、遺体の引き取りを急げ急げ、動揺してお葬式やお寺なんて頭になく、どうするか聞いてくる人もいなかったようです。
娘さんがあと5日間滞在して、部屋を片付けると聞いて、私の胸は痛むばかり。でも、自死していた部屋はやはり怖い。子供の頃から今でも、口には出しませんが亡くなってる人も苦手で。
それでも、やはりみて見ぬ振りは出来ず、火葬の翌日から4日間。毎日夜まで作業をし、必死で部屋を空にし、ようやく引き払うことができました。
発見が早かったことと、本人が几帳面だったようで、部屋の中はとてもきれいなのが幸いでした。
結局、借金もなく預貯金もそこそこあったようで、娘さんも日に日に落ち着きを取り戻しての最終日、Hの遺骨を抱いた娘さんを空港まで送り届けて私の任務は終了。

これ「任務」だったと思うんです。私だったら娘さんのお手伝いをしてくれるって思ったのかもなって(笑)
相方にも2日間手伝ってもらったこともあり、さすがに今回は謝りました。「いつも私のこういうのに巻き込んで手伝わせてしまってごめんね」って。「こういうの」には伯母のお世話も入ってます(笑)

自死のあった部屋が怖かったかと言えば、実はそんなことありませんでした。
娘さんと亡くなったお父さんことを、大笑いしながら話したりして、ジメジメした空気なんて全く感じることもなく。
そんなことを言うと私が鈍い人間みたいですが、結構敏感だったりします。大きな病院に行くと体調を壊すので、御守り石を必ず持つようにしているほどです。

友達はやはり「魔が差した」のかと。
四年前にお母さんと伯母さんを介護して見送ったあと娘さんも自立して、一人の自適な暮らしだったはずなのに。

早く会っておけば、連絡しておけば、連絡くれたら。悔しい想いもありますが、最後にお手伝いさせてもらえてよかった。

人間て、どんな状況であっても、やはりひとりで死んじゃったらダメです。