シビラまつ子のライフストーリーvol.24です
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シビラまつ子のライフストーリー
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前回は、高校3年の時に出会った本
『夜と霧』について書きました。
で、その高校3年の時って、
私、あまり高校に行けてなくて
卒業単位が取れなかったのです。
ある日、担任から
「このままだと卒業できないよ。
後藤は、卒業できなかったらどうするんだ?」と尋ねられたのですよ。
私は、身心ともに、留年して高校に残れる状態ではなかったし、
「卒業できなかったら、中退します」って答えたのでした。
私の答えを受けて、
いま思えば、担任の先生は
とっても頑張ってくれたんだと思うのですよ。
担任の先生は、
私の卒業について職員会議にかけるまでもっていって、
3年生が受験休みに入る3学期に
私だけ登校して、
単位が不足してる教科の補講を受け、
それを単位として、
卒業させるという案を通してくれたのでした。
担任の先生がどうしてそこまで頑張ってくれたのか、
わからないのだけど、
学校に呼び出された母の憔悴した姿も
影響あったかと思います。
その頃、父の会社の経営状況はますます悪化してて、
私はそんな状態だし、
その中で、母もとても疲れ切っていたのですよね。
担任と話している憔悴しきった母の姿は、
いまでも覚えています。
職員会議で、私の卒業が
すんなり通ったわけではないらしいです。
他の先生からの話では、
校長が大反対したそうで、
それに対して、
担任の先生だけでなく、
1年や2年の頃の担任の先生、
美術や家庭科の先生がたが、
後藤を卒業させてやりたいと口添えしてくださったそうです。
自分たちが責任とるって言ってくださったらしい。
振り返ると、
そのころの私は、
自分のことでいっぱいいっぱいで、
母や先生がたの本当の大変さも
ありがたさもわかっていなかったです。
感謝がなかった私、
本当に申し訳なかったです。
これを書いてあらためて思ったのですが、
ほんとに大変だったかと思うのですよ、
母も先生方も。
みんな、一生懸命、私を守ってくれたんだなって思いました。
本当にありがたいなって思います。
その後、先生方で、
私を卒業させるプロジェクトが始まった感じでした。
みんなが受験休みに入った時期、
私は、ふらふらな状態だったけど
頑張って登校しました。
その日に補講のある教科の準備室だったり、
担任のいる化学準備室だったりが登校先です。
そこで、先生方と、ワンツーマンで授業を受けることになるのですが
その補講で、いろいろな出来事や気づきがありました。
それは、また次回に。
そして、そして
人生は続くのでした
ゴールデンウィークに庭に植えた