1月、零下の霜の降りたくさむらで、体を休める離れ牛。
昨年度、法務大臣は死刑執行を命じるという職務を、
一度も遂行しなかった。
死刑制度がある中で、そのような選択肢があるらしい。
そして、執行命令を下さなかったことについての、
説明責任はない。それ程の絶対的権限。
そして、原発事故当時の農水大臣。
ただ圏内の家畜の放置と殺処分をおしすすめ、
一頭幾らといった、お金での一律の保障を決めただけで、
一度でも圏内の惨事を目にしたのだろうか。
もし、視察を一度でもして決めた施策が
今のこの有様だったら、もう笑うしかない。
事態の収束さえも見えない中、
大臣の仕事が出来なくて、
どうして代表選などに出馬できるのか。
これが、日本の閣僚、政治家・・・。
大臣の裁量で、もっとできたことはあるはず。
牛に関していえば、最悪の選択肢の中でも、
苦しめるだけ苦しめた後の逆性石鹸での毒殺ではなく、
初動での安楽死はできなかったのか。
政策の中に、微塵も人間らしさがみてとれない。
大事なのは政策ではなく、地位と名誉に取りすがること。
柵に付けられたプレートから、数十頭全てが生まれて数ヶ月の子牛だと知る。
原発事故当初より、
実際に動いている酪農家や
動物愛護団体の力を うまく借りて、
もっとレスキューが計画的に行われるシステムが
あれば良いと考え、多くの人たちが、色々なところで
具体的なプランをもって、行政に嘆願してきた。
家畜のことは農水省。ペットのことは環境省。
この国の指示系統はどうなっているのか不明だが、
県の食品生活衛生課とオフサイトセンター、
そして国会議員と様々な角度から、嘆願や要請を
しなければならず、一方が通っても別のところで差し戻されたり、
気が遠くなる作業をしてきた人たちがいる。
それでもまだ、諦めてはいない。
徒労に終わったが、わたし自身も
自分の出来るところで動いてきた。
そしてもうすぐ一年・・・。
今も、何か劇的に変わることはなく、
置き去りにされた動物に関心を寄せる人自体、
少ないのが日本だと分かった。
昨年11月、見つけた新聞記事。
「20km圏内、殆ど見られなくなった犬や猫」
福島県動物救護センターの職員の見解である。
行政から言わされた言葉なのか。
見えない人には見えないのか。
20km圏内に入ると、クルマを運転しながらも、保護色の中にいる生き物まで
目に入るようになった。犬と猫を探すうちに培われた2.0以上と思われるわたしの視力。
圏内レスキューに入っている人なら、分かってもらえると思うが
まだどれだけの命が待っているのか、見当もつかない。
年が明けて一月になっても、置き去りにされた命の絶対数を思うと
まだまだ、許可の出ないレスキューに終わりは無く、
現在の状況のまま迎える「終わり」とは
残された命が尽きることを意味するに他ならない。
25年前、チェルノブイリで起きた原発爆発事故では、
牛5万頭をはじめとする家畜や多くのペットが
とりあえず退避できたことや、福島第一原発事故では、
それより時間があったことを考慮すれば、
この国での動物の命の重さは、空気中を浮遊する
塵に等しいかもしれない。