祖母の家にある池。
わたしがまだ子どもだった頃、お盆になると
11人いる孫がこの家に集まって、
畑でとれたスイカを食べた。
食べさしの赤いところが残ったスイカ。
それを祖母が、池に投げ入れると、
鯉が皮だけ残してキレイに食べ尽くす。
池の周りで孫たちは、
夢中でかくれんぼや鬼ごっこをしてた。
その祖母が亡くなり、急遽富山に帰省する。
一週間おきに福島に通うわたしが、
たまたま福島に行かない週末だった。
母は、わたしが福島に行く週なら、お葬式ではなく、
福島に行ってくれてかまわないと言った。
こちらの風習で浄土真宗のお葬式では、
骨拾いの時、お箸は使わず、
骨を素手で拾い骨壷に入れる。
塩で清めることもしない。
「死」は特別のことでは無く、
穢れでもないという考えから。
それは珊瑚のようでいて、
それよりは重さも無く
はかないものだった。
お葬式が終わって、浜ににクルマを走らせる。
海岸ではカップルが波打ち際で追いかけっこ。
犬の散歩をする人。
ありふれた日常。
わたしには、帰る田舎がある。
放射能によって、愚かな人間達によって汚された
自然がいっぱいの警戒区域には
もう二度と帰れないかもしれない人たち。
その場所で生まれて、生きてきた人達が
心の拠り所となるかけがえの無いものを
こんなにも簡単に、失なってしまうこと。
計り知れない苦悩・・・。
そうそう、東京にも本格的な夏がやって来ました。
クリーは、いい場所を見つけました。
では、また週末。
暑さに負けず、
警戒区域のこと、お伝えしますね。