kurodai-potupoのブログ

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2011年3月11日なにしてた? ブログネタ:2011年3月11日なにしてた? 参加中
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地震が発生したあの日、あの時間は忘れようにもわすれない日です。

仕事は非番で、自家用車に乗り県道を自宅方面に向け帰宅途中でした。

走行中、突然大きな揺れ(震度5強)を感じ、停止する場所を選び車を止めましたが、

大地震を感じたので、二次災害防止のために道路脇に止めました。

前方を見ると、電柱が大きく揺れ、近くの家にいた老婆は玄関前に出て

座り込んでいました。ある程度の揺れが収まったので、帰宅を急ぎました。

北に向かって進むと、道路上には倒壊した石の塀やブロック塀が道路を半分くらい

塞いで通行に注意しながら帰宅しました。家には92歳の母が一人縁側に座り、

恐怖を感じている様子でした。自宅の仏壇は台の上から落ちそうなくらい移動し、

テレビは前に倒れ、家財道具も倒れていたのが数点ありました。余震があるといけないので

母には倒れそうな物の近くに行かないように指示をして、震度5以上になったら必ず職場に

非常参集しなければいけない仕事(消防官)ですので、仕事着に着替えて職場に行くと、

管内では火災が1件発生していました。火災は消防団の出動で何とか消し止めさせることができたとの事。全職員が召集完了するのに約50分くらいかかったと思われました。それからは、二次災害に対応すべき処置をした。当然家にも帰れず待機し、災害に対応をしました。

3月11日にはまだ原発事故は発生していないので、救急事故と、二次災害に備えたり被害の情報収集が基本仕事になりました。

余震が続き、原発事故が発生しメルトダウンが発生したのは翌日でした。私の住む福島県の中通り地区

は福島県の中央に位置していますが、放射能が風に乗り、福島県の半分以上の福島県の中通り、いわき地方が放射能汚染されてしまいました。福島の被害状況は、テレビでご存知の通りです。

我々は、放射能に汚染された人々の除染を担当しましたが、高濃度の放射能に汚染された赤ちゃんが今いましたので除染しました。避難された人の中には、病院に行く必要がある患者がいましたが、放射能に汚染されているかと思われ、診察してもらう事が出来なかったのです。病院では玄関払いを受けたとのこと。確かに高濃度の放射線量が目に見えなく汚染した事実があった。