こんにちは Kikoです


今から10年くらい前
私の母は心を患っていました。



鬱状態になって
笑顔が消えてしまった2年間が
ありました。



原因はたぶん。。
家族のこと。



もうずっと前から続いてきた
封建的な父への不満。
(今ではすっかり優しくなりましたが)
しっかりしない息子(私の弟)の心配。



きっと他にも、いろんなことが重なって
母の心は少しずつバランスを崩していった
のだと思います。 



私は、なんとかして以前のような
明るい母に戻ってほしくて



『心の病気』の本を読みあさり
あちこちクリニックを探しては
嫌がる母を連れて行き
漢方薬がいいと聞けば勧めたり
神社で祈願したり



朝から晩まで、私の頭の中は
母のことでいっぱいでした。



いつ行っても
泣いているか
虚ろな無表情。
話らしい話もできず
口を開けば「生きているのが辛い」と言う。


どんな言葉をかけたらいいのか…
私も辛い毎日でしたショボーン



そうやって母の心配ばかりしてるうちに
私まで夜眠れなくなって
ご飯が喉を通らなくなってきた。



真っ暗なトンネルの中で、一人
どうしたらいいかわからなくなる絶望感。
母の辛さを垣間見たようでした。



私まで落ち込んでる場合じゃない!
やれる事は何でもやろう!



自分の心を立て直そうと
自己啓発の本もたくさん読みました。



どうせ眠れないなら歩いてみよう!
早起きして運動して疲れたら
眠れるかもひらめき電球


何かの本で読んだ感謝行。
『ありがとう、ありがとう、ありがとう』
延々とぶつぶつ言いながら(唱えながら)
真冬の真っ暗な公園で ← 危ない!
毎日、早朝5時からウォーキングしたり。
                     ↑
         今思えば、怪しい光景 キョロキョロ



挙げ句の果てには
「お母ちゃんも寝ながらでもいいから
    ありがとうって何回も言うてみて!
    元気になるから!」
                
     ほんま ありがた迷惑やね汗



笑ってほしい。


ただそれだけ。


必死でした。



生来、頑張り屋さんの母は
私が言うことを信じて色んなことを
やろうと…
やってみようとしてくれました。



本当は気力も何も出ない時だったのに




その頃
私が実家に行く度に母がいつも言う言葉。



『きよちゃん(私をこう呼びます)
   早よ帰り。あんたはまた家のこと
   せなあかんのやから。
   お母ちゃんのことは、ええから』



辛い時でも
笑えなくても
母の優しさは変わっていませんでした。



帰り道、泣きながら運転して帰ったことが
何度もえーん



私にはお母ちゃんを治してあげるなんて
でけへんのやな。



自分の無力さを思い知りました。



もういい。
ありのままの母を受け入れよう。
思い出の中のお母ちゃんは
いつも笑ってるから…
それでいい。



母の具合が悪くなってから
2年が経っていました。



ひと筋の光が見えたのは
私が底まで落ちて
掴んでいた手を離した時くらいからでした。



ホームに入所したのをきっかけに
環境がガラッと変わったこともあり
不思議と母は少しずつ少しずつ
元気になっていったのです✨


あの頃は一番辛い日々だったけど
私はとても大切なことを学びましたニコニコ



人を変えることはできない。
変えられるのは自分だけ。



自分の考え方を変える。

見る方向を変えてみる。

なるべくポジティブな言葉を使う。

相手を心配するのではなく信じること。

愛する。。とは
その人の丸ごと全部を受け入れること。



母の病気は
私に大きな気づきをくれました。



今ではこんなに優しい笑顔。





もう一生、母の笑顔には会えないと
思い込んでいたあの頃が嘘のように✨



今でもホームに行って、少し話すと
いつも言います。



『きよちゃん 早よ帰り。
   お母ちゃんは だいじょうぶやから』



いくつになっても
母にとって私は
やっぱりずっと子供なのですおねがい