母の葬儀で帰省していました。
東京は晴れてましたが、
着いた日は青森はご覧のような雪景色。

 

実家の裏から撮ったものですが、
雪が積もって白く見える山は八甲田山です。
雲がかかってますがあまりにもきれいだったので、
UPしてみました。
こんなきれいな八甲田山見るのは初めてかも。
第一気にしてなかったから・・・^^;
 
 
前置きはそのくらいにして長くなりますが、
訃報というのは突然届くもので、
兄から何度も着信があり、母の死を知らされました。

施設でお世話になって居て、

既に寝たきり状態だったので覚悟はしていました。

この状況下、通常通りの葬儀は出来ません。

兄は「家族葬にするから無理しなくていい」と言いますが、

やはり最後のお別れはしたいと思い行ってきました。

葬儀会場は自宅。

ご近所の方も、知人の皆様もお焼香せずに

受付でお香典を渡すだけでした。

簡素だけれども心置きなくお見送りできたと思います。

 

その母の事。

実母は私が4歳の時に病気で亡くなり、

1年後に後妻に来てくれて、私にすれば継母になります。

可愛がってくれたとは思いますが、

正直言うと、苦手でした。

何かといえばすぐ拗ねる。

わがままというほどではないけど、

気に入らないとご機嫌斜めで、

何日も自室から出てこないことも多々ありました。

(農家なので仕事には出てたようですが)

小さいときから母の顔色をうかがっていました。

私が21歳で結婚し家を出た後に兄が結婚し、

同居してるその兄夫婦とうまくいかないときもあって、

別れたれた実の娘が絡んできたり、

兄嫁さんもずいぶん辛かったと思います。

実家に帰れば母からは兄夫婦の愚痴を、

兄からは両親の愚痴を聞かされ、

正直何方の味方も出来ず、

話を聞くだけの中立の立場で通しました。

家族の反対押し切って自ら施設入所をしたものの、

1週間で家に帰りたいと駄々をこね、

早々には退所出来ないので我慢してもらい、

その後特養に移り今に至るわけです。

コロナでここ数年面会できなかったそうですが、

それでも最後はちゃんとお見送してもらえて

母自身は幸せだったんじゃないかと思います。

お母さん、どうぞ安らかに。。。

 

 

 

帰り、新幹線乗り場の新青森駅でランチを。

 

魚喰いの田「サーモンホタテいくら丼」
切り身が厚いラブラブ!
 
さ、気持ちを切り替えて、明日から通常運転です。