心理霊カウンセラー
無知の知。
古代ギリシャの哲学者ソクラテスの考え方。
それは真の知に至る出発点は無知を自覚することにあるという概念。
自分が何も知らないことを自覚している人こそ、実際には最も知恵があると考え。知識を求める姿勢の基礎、真理を探究する哲学の出発点。
無知の無知。
自分が何を知らないのかさえ理解していない状態。
自分の無知を自覚していないこと。自分に知識のないことに気づいていない状態。
知らないことを知らないために知識を得ることが困難な状態。
少し前に読んだ本の中の中で印象に残っていた言葉になる。
そして今日の私は、そんな境遇に無知の無知のために直面し心に感情に感性に傷を負わされた依頼者の話を傾聴し、傾聴し、傾聴することになった。
私は黄泉野カレン。某国某都某市駅前でヨミノカウンセリング室を営む心理カウンセラーだ。
依頼者の話を傾聴し、傾聴し、傾聴し、助言する。そんな私の依頼者は13時から20時までの「昼の依頼者」と2時から3時までの「夜の依頼者」。まあまあ、ここまでの私の日記を読まれている方々ならすでに理解っているでしょう。
私の依頼者は「生者」と「死者」。そして今日のこの日記で語る依頼者は前者である。
だがしかし、私は毎度言っているようにまあまあ見える人と認識されるのは仕方ないとしてもだ、私は「霊能者」ではない。
重要なので何度でも言う。
私は「心理カウンセラー」だ。
土曜13時。今日最初の依頼者は23歳の男性。職業は公務員。うん、そうだ私は彼を見たことがある。あれは多分1年ほど前。所用で役所市民課に行った時のことだ。その時窓口対応をしてくれた彼だ。
1年前というと今23歳なのだから当然1年前は22歳。きっとその頃の彼は新人。なんというかまだ、まだなんというか少し対応に慣れていないようなそんな印象の中にも、一所懸命さ、それが見える初々しくも微笑ましい、そんな印象をどことなく覚えている。
だが今、私の前にいる彼の、その見た目印象は何というか、まあ一言でまとめて短く言って終えば「暗い」
どこか影の見える、感じる。そんな印象を彼はどこかどことなく放っていた。
彼の相談はまあ、仕事の話だった。
その日、小さなミスを犯した彼は、上司に別室に連れられそれについて詰められることになった。
ミスはミスだ。彼はそれについて反省していたのだがしかし、彼の上司はその言葉の意味を知らないにもかかわらずそれを知っているかのように使われ説教され、その言葉の意味を知っていた彼は、その言葉の意味を上司に話すとその上司は逆上し、さらに彼に詰め寄って来たというのだ。
彼の上司は、彼の普段の様子と小さなミスを犯してしまった時の様子を「二重人格」と言い、それを部署の皆の意見だと言った。
それに彼は釈然としない、本当にこの上司は「二重人格」というもののことを知っていて、きちんと理解した上でこの言葉を使っているのだろうか。彼はそれを上司に問うた。
だが、彼は、「二重人格」というものの本当の意味を知らないまま、その言葉を使っていると確信できる反応を示した。
単純に簡単に「二重人格」という言葉を使うその上司は、それが「解離性障害」「解離性同一症」という病であるということを理解していなかったのだ。
いくら明るい性格であっても、間違いを犯したりミスをして叱られたりすれば落ち込むのは当然だ。だが、その上司はその様子を「二重人格」と称し、解離性障害、解離性同一症という病の症状を全く理解していなかったのだ。
「学生時代に読んだ本の中で、僕は二重人格について病名や症状を知っていました。なので僕は、その症状の話をした上で僕はそんなふうにみられているのかと質問したんです。」
そこで彼は一息つき、そして続けた。
「そうしたら上司は、急に怒り始めてただ「お前のそういうところが駄目なんだ」そう言って部屋を出て行きました。でも僕は、どうしてそう言われなければいけないか理解できませんでした。」
まあそうだろう。彼の上司は知らないことを指摘されたことに逆上した。そしてそれを知っている彼からすればそれを知ろうとしない上司を理解することなどできないだろう。
人間、年齢を重ねると概ね、大体、多数の歳を重ねた人間は「年下に知らないことを指摘されると、逆上する」という反応をする。
知らないことを知り、それを知ろうとする姿勢を持ついい大人というのは言ってしまえば絶滅が危惧される、いうなれば天然記念物だ。
「先生これって、僕が悪いのでしょうか。僕はそんなふうに周りから見られていることをこのまま受け入れなければいけないのでしょうか。」
彼の問い、その問いに私は一呼吸おいてそれから彼に向けて話を始めた。
「その必要はありませんよ。それはあなたの上司の無知の無知です。」
「無知の無知?」
「はい、無知の無知です。」
私は、怪訝そうにそう返した彼に即答した。
「その上司さん、年齢は50歳過ぎ、いえもうすぐ60を迎えるくらいの方ではないでしょうか。」
「そうです。」
「そうですね、そのくらいの年齢の方全員とは言いません。ただそのくらいの年齢の方に、まあそのくらいの年齢になるとそういう方は多いです。知らないことを知らない。そして知らないまま通り過ぎる。貴方の上司も、そして周囲も、そういうことです。自分の使っている言葉の意味を詳しく知らなくてもそれを使い、そしてその意味を知ろうとせずに知る機会を失っていく。無知の無知は言って終えば罪です。これは無知の無知である貴方の上司、彼自身、そして周囲の方々、そんな方々が自らの無知をただ単純に披露しているだけのことであって、貴方は何も悪くはありませんよ。」
私はそう言い、彼に小さく微笑みを投げかけた。それを受け取った彼は、それでも何か少し怪訝そうにしている。
「そうしたら、僕はどうすればいいのでしょう。」
「そうですね、私から助言をさせていただくとすれば・・・そうですね、そんな彼らは放っておいて貴方の思う貴方の大事なことに目を向けることでしょう。そして彼らに対し反応しないことです。今後その上司にはその方々には無知の無知を指摘せず、その無知さを心の中で笑ってあげてください。指摘しても貴方の上司も彼らも、無知を直そうとはしませんでしょうし無知の無知というのは、残念ですがそれに本人が気づくまでは治る、治すという方向に向かうことはありません。」
どうすればいいかの助言までを伝えると彼の怪訝そうな表情は微かではあるのだがスゥーッとわずかではあるのだが引いたように感じた。どうやら理解してもらえた、と私は私的解釈をしている。
「周りの声はどうであれ、貴方の真実は貴方にしか理解りません。周りの評価の大事な場面もそれは無いとは言いません。ただ、それは常に正しい評価であるとは限りません。なので貴方は正しい評価をしてくれていると感じる方の声だけに耳を傾け、貴方自身を受け入れて、そして貴方自身を貴方自身きちんと評価してあげてください。」
そう私がいうと、彼は5.225秒ほど黙って考えていた。そして、ふっと何かに気づいたような表情を浮かべた。
どうやら、すくなくとも私の助言は彼に伝わったようだ。
「ありがとございました。」
そう言ってカウンセリング室の扉を閉めた彼を私は見送り、今日の次の依頼者、14時30分の依頼者を迎えるための準備とそして、普段であれば1階上の自室のベランダまで行ってなのだがそれにしては少し時間が乏しく、私はカウンセリング室前にでてタバコと携帯灰皿を取り出した。
無知の無知。
自分が何を知らないのかさえ理解していない状態。
自分の無知を自覚していないこと。自分に知識のないことに気づいていない状態。
知らないことを知らないために知識を得ることが困難な状態。
年齢を重ねるごとに、まあまあある意味仕方のないことかもしれないのだが、年齢を重ねるごとにそうである人は増えていく。時代を受け入れるそれを柔軟に出来なくなっていく。
そして年齢を経験と誤認している無知の無知。
いくら年齢を重ねても知らないことを知らなければ、いつまで経ってもそれは知る機会を失い、そして経験を失う。
言ってしまえば歳をとっただけの子供だ。
いつまでも自分が無知であることを知って、知るということを、興味を持って取り組むということを知れば今を知り今をより楽しむこともできるのに、勿体無い。
アニスに火を点け、スッと一息。そしてフーッと一息。メンソール感の中に甘さを含んだ好き嫌いの別れる、でも私は好きなその香りに癒されふと向かいの図書館に目を向けた。
見た目そう・・・60すぎ、70歳くらい?に見える、そんな雰囲気の女性。
スマートフォンで何かを調べている様子のその女性の姿を見た私は、何かその、なにか自然にふっとその姿に思わず笑みを浮かべていた。
無知の知。
古代ギリシャの哲学者ソクラテスの考え方。
それは真の知に至る出発点は無知を自覚することにあるという概念。
自分が何も知らないことを自覚している人こそ、実際には最も知恵があると考え。知識を求める姿勢の基礎、真理を探究する哲学の出発点。
少し前に読んだ本の中の中で印象に残っていた言葉になる。
そして今日の私は、そんな境遇に無知の無知のために直面し心に感情に感性に傷を負わされた依頼者の話を傾聴し、傾聴し、傾聴したことを書き記し、今日の日記を締めることにする。
聞くは一時の恥、聞かぬは末代の恥。
ヨミノカウンセリング室
某都某市駅前
13時〜20時(メールにて要予約)
定休日 毎週月曜火曜
カウンセラー 黄泉野カレン
心理霊カウンセラー
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=黄泉野カレンは悪気を捌く=
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6月6日(木)投稿予定