泣いた。自分の4歳の時のあの体験と同じだ。
ひとまず今はバリの賑やかなみんなの声の元に帰って来れてうれしい。
形あるものがうれしい。形あることがうれしい。
生きてるって形あることなんだ。
喜びも悲しみも苦しみも。
暗くて何もないあの世界を、なぜ知っているんだろうな。
ペルーのアヤワスカ・セレモニーの中で自分が消えてゆき宇宙に溶け込む粒子となる体験をした友達は『肉体があることがうれしい』そんなことを『アース・ジプシー』という本に書いていた。
この映画で僕は自分がなくなる世界にまた触れた。だからうれしい。形あることが。
みんながいてくれることが。喜びも悲しみも苦しみも、うれしい。
それは般若心経が言っている『空』のことだとしたら、空の世界はものすごく寂しい場所というか、一言で言うと『虚』。
色もない形もない友達もいない、誰もいない。
そういう概念さえない。
『無』という言葉にまだ温度があるくらいの場所。
宇宙はある意味そこに抵抗するように物質を作り、満たしているような感覚も受ける。
でもその『虚』に触れると思い知ることがある。
それは物質世界の安心感とぬくもり。
同じものから何万もの違いあるものが存在していること。
例えこの世界から『赤色』が消えても、まだまだたくさんの色がある。
そのたくさんの違いが形あるものを『虚』に飲まれることなく世界を留めてくれている。