お久しぶりになってしまいましたが、お元気ですか?私は元気です。


昨日、任地タマレを去り、現在首都アクラの隊員専用ドミトリーで一息ついているところです。


タマレを離れるにあたり、たくさんのお世話になった方々とお別れをしてきました。



土曜日。

配属先で同僚のみんなが私のためにパーティーを開いてくれました。
私、ガーナにきました。

実はこの前日に帰国間際の忙しさにやられ、久々に39℃の高熱を出しましたが気合で一晩で完治。

やっぱり2年いても、ガーナで無理しちゃいけないようです・・・


パーティーでは、これまで私が教えたジャパニーズパフォーマンスも披露。

1年目に教えた、殺陣の型と盆踊り。そしてピアニカによる合奏をしました。

この日のために今はもう中学生になっている殺陣と盆踊りのメンバーを集めて何度かリハーサルしたのですが、私の心配をよそにみんなほぼ完璧に振り付けを覚えていました。

私が忘れていたフォーメーションまで覚えていて、感心&嬉しい限り。


当日は同任地の隊員のみんなもかけつけてくれました。


校長に、日本人のみんなにも何かパフォーマンスをして欲しい。と言われていたので、

生徒の盆踊りに参加してもらうことに。


ガーナ人と日本人の盆踊りコラボ!
私、ガーナにきました。


なんかおかしな感じだったけど楽しかったです。

ガーナで大音量で盆踊りの音楽が流れているだけでおもしろおかしい。


同僚たちも忙しい中、料理や会場の準備をしてくれて感謝。


まだもう1日学校で会う機会があるんですが、みんなからお別れの言葉をもらってぐっときてしまいました。
私、ガーナにきました。


特に私の赴任時からこの学校にいた同僚たちとの別れはつらい。。

2年間、腹が立った事もあったけど、でもそれはほんの一時のことで、みんな私に親切にしてくれて、いっしょにご飯を食べたり踊ったり、思い出はたくさん。

教育に対する考え方は違うけど、ガーナ人の先生もけっして子どものことを思ってないわけではありません。

みんな、生徒を愛する気持ちは同じ。

私はこの学校に赴任できて本当に幸せでした。


心のこもったプレゼントもたくさんいただき、パッキングに苦労しましたが嬉しい苦労です。

間違いなく、全部日本に持って帰ります!




そして日曜日はタマレ隊のみんなに送別会を開いてもらいました。
私、ガーナにきました。

日本人だからまた日本で会える。

とは思うけど、人によっては帰国が1年以上先の人もいるので、しばしお別れ。


タマレは隊員が多いので、こうしてみんなで何度も集まってパーティーしました。


日本語でおしゃべりできる人が近くにいるだけで、どれだけ救われたことか。


きっとみんながいなかったらもっとガーナ生活辛かったです。ありがとう。


この日は朝から停電。

乾季の停電は一番辛い。

せっかくクーラーのある家に集まったのに、部屋は蒸し風呂状態。

みんなで汗をだらだらかきながら、ぐったりしながら、最後までガーナらしさを楽しませていただきました。


そして、私が消費しきらなかった日用品、食品等をみなさんに無理やりもらって頂きました。
私、ガーナにきました。

イギリスで買って大事にとっておきすぎて結局食べなかった冷やし中華は大人気。

最後にタマレ隊の平和を乱していった!と言われてしまいました。


こうやって隊員は貴重な日本の雑貨や食品を後輩隊員に引き継いでいくため、

よく見たら賞味期限3年前!みたいなものもたまにあるので注意しなくてはいけません。



さて、月曜日。

いよいよ最後の勤務日です。

この日は「Fun Day」といって、学期の中間休み前に開かれるお楽しみ会みたいな日で、プチ運動会みたいなことをします。


校長がマイクで

「ナツコ先生は今日で学校に来るのが最後です!」

と生徒達にお知らせ。


2年間教えた生徒達・・・この子達との別れが、じつは一番辛い。

もう、全然言うこと聞いてくれなくて、イライラしたこともブチ切れたことも何度もあったけど、

今はもう可愛くて仕方ありません。

今は、日本人の子どもよりかわいく見えます。笑
私、ガーナにきました。


私、ガーナにきました。
私、ガーナにきました。


そんな子達に「Don't go.」と言われ、悲しくないわけがありません。


それから、「ピアニカ、持って帰っちゃうの??」と心配する子もちらほら。

「大丈夫だよ。ピアニカは置いて帰るし、プロスパー先生が音楽の授業は続けるから。」

と言う事ができて、ガーナ人の先生に引継ができてよかった・・・と心底思いました。
私、ガーナにきました。


その反面、

「ガーナ人の先生に教えてもらうなんてつまんない!行かないで!」

という子もいて、

もしかしたらこの子達にとって、音楽を学ぶことより外国人に教えてもらうという経験の方が大きかったのかもしれない・・・とも感じました。


言葉も完璧ではないし生徒もうまくまとめられない私より、後任のプロスパーの方がよっぽど授業の進め方がうまい。でも外国人である私の後任という事は、彼にとってもしかしたらプレッシャーになるのかもしれない。と初めて気づきました。


正直、心配はたくさんあります。

彼は音楽の専門家ではないからいつか壁にぶち当たってしまうかもしれないし、

もし彼がやめてしまえば、それっきり。(2年間いてみて、ガーナ人は転職のサイクルがはやいと感じました。)


でも、頑張って欲しいなあ。。


せめて情操教育の必要性を、少しは感じて欲しい。

万が一音楽の授業がストップしてしまっても、何か、算数や理科以外のことも大切なんだ、だからなんとかしないと。って思ってもらえたら・・・そしたら、私が2年いた意味はあるかな。と思います。


でも、発展は外国人の力を借りつつ、最終的には自分の力でしなくてはいけないもの。


がんばれ。うん、がんばれ。



それから、忘れてはいけないのがサラ。
私、ガーナにきました。

2年間一緒に暮らした私の妹。


彼女のおかげでホームステイ生活も「楽しい」と思えるようになった。

サラは私が自炊してご飯を食べていると、私の箸を持って来て必ず一緒に食べます。

食に保守的なガーナ人の中で彼女はかなり積極的。

そばだって、肉じゃがだって何だって挑戦。

この日は2人で焼きそばを食べました。


あ~日本に連れてきたい・・・

そんなサラとも昨日、お別れしてきました。

でもまた、会いたい。簡単に言えることではないけど、絶対また会いたいな。

さあ、帰国までもう2週間きりました。


ありがたいことに、日本で待ってくれている人たちがいます。

だからさびしいけど、私は前向きな気持ちで日本に帰ります。


もうしばらく、お待ちください!