❖「香華院」
先祖の墓碑や位牌を安置して香華を手向ける寺院のこと。
菩提所・菩提寺・檀那寺ともいう
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2024年5月4日 参詣
正龍寺(しょうりゅうじ) 埼玉県 大里郡寄居町藤田101-1
[山号] 高根山 [院号] 藤源院
[宗派] 曹洞宗 [本尊] 釈迦牟尼佛像
[創建年] 天文元年(1532) [開山] 乾翁
[開基] 藤田右衛門佐康邦 [中興] 東幡
● [正龍寺の縁起]
正龍寺は、花園城主・藤田五郎政行が高嶺山に筥根権現を祀り一寺を創建した
という。 貞和4年(1348)臨済宗の僧実翁和尚が青龍寺と改号、
天文元年(1532)十五代城主・藤田康邦のとき、乾翁瑞元和尚が教化、藤田康邦(法名・藤源院天山組繁禅定門)が開基となった。後に康邦の養子である北条氏邦の帰依を得て大きく栄えた。
越生龍隠寺の九世東幡が当寺住職を務め、曹洞宗に改宗、当寺には藤田康邦夫妻や鉢形城主・北条氏邦夫妻の墓があり、また県の天然記念物に指定されている玉垂の楓といわれている名木もある。
青龍寺は、後に昌龍寺と改名され、天正19年(1591)徳川家康の時代に現在の寺号[正龍寺]になった。
● 珍しいかな 《武州寄居十二支守り本尊霊場》・・・その「辰年・巳年」の札所が[正龍寺]
❖ [守り本尊は] 普賢菩薩 ・・・4/24が 辰巳歳守り本尊 普賢菩薩 縁日
普賢菩薩は、悟りの心の象徴でありすべての菩薩の中で最も賢い存在とされている
六牙の白象に乗る美しい菩薩。 女性の往生を助けるとされる。
また、増益・長寿の徳をもつといわれている
門前に掲げる 『武州寄居十二支守り本尊霊場』の告知板
❖ 《釈迦三尊像》 :: 釈迦如来・普賢菩薩・文殊菩薩
釈迦如来像を本尊とする三尊形式のひとつ
向かって左に普賢菩薩、向かって右に文殊菩薩を安置する
普賢菩薩は象に乗り左手に蓮華を持つ、 文殊菩薩は獅子に乗り宝剣を右手に持つ
https://www.zenshukyo.or.jp/1761/
関東の戦国期 後北条家の北の守り・鉢形城を訪ねて
チョイ齧りしていた頃 リンクで参詣したのが [正龍寺]
当時のフォトアルバムを振り返ると ちょうど12年前・2012年であった
今回の [正龍寺]
なんと十二支一巡りとなる 同じ辰年の参拝となった
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では 12年前と変わらぬ雰囲気の 総門から
いざ 参詣してみよう
12年前と変わらぬ 総門の姿
総門をくぐると 一直線の参道
突当たった正面が 山門・仁王門だ
山門手前に 寺号標
左右の仁王像が なんとかハッキリ見えてきた
さてと ちょっくら 仁王様を拝顔しよう
たまには こんなツーショットもどうかと
横幅広く がっしりタイプ、の第一印象
阿形・吽形像とも 口元は ≪への字≫タイプかな
山門手前左手には 新旧の「六地蔵」が お並びだ
山門を額縁に [本堂]を観る
本堂(扁額:萬徳殿)・山門など 外観に ご注目
後北条家の家紋・北条鱗紋 が目につく
境内の左手に 「藤田家・北条家」墓の案内あり
その奥エリアが 段丘上になった墓苑が多数
墓苑エリアへの導入口に 「開山堂」があった
左手奥 かすかに見える屋根が 目指すべき[宝篋印塔]の墓
現在は この建物内に 四基の宝篋印塔が安置
分かり易い説明書きが
建物前のセンターに掲示されていた
左サイドに鉢形城主・「氏邦夫妻」 右サイドに花園城主・「康邦夫妻」
埼玉県指定史跡
「藤田康邦 墓 (付)夫人・西福御前 墓」
埼玉県指定史跡
「北条氏邦 墓 (付)夫人・大福御前 墓」
氏邦が北関東支配の拠点としていた鉢形城は 豊臣秀吉による小田原征伐の標的となり、前田利家・上杉景勝らの北国軍(3万以上)との一ヶ月に及ぶ籠城戦を繰り広げたのち、やむなく氏邦は降伏勧告を受け入れ、
[正龍寺]において開城の合意が交わされた。
のち氏邦は、藤田家の菩提寺・正龍寺に入り、剃髪して宗青と称した。戦後は城攻めの大将であった前田利家に預けられ、そのまま前田利家の家臣となった。
慶長2年(1597)に加賀国金沢にて50歳で病没した
金沢で荼毘に付された後、遺骨は正龍寺に移された。
妻・大福御前も正龍寺で剃髪し、寺内に庵室を営んでいたが、のち自害した。
寺院内高所墓苑から 本堂と市街地を 見渡すことが出来る
・・・ ≪補≫ ・・・
「大福御前 自刃の地」の記念碑が 近くの境外にある
正龍寺門前に 道案内看板が ・・・見落とさないでね
「大福御前 自刃の地」 北条氏邦の妻・大福御前の碑
彼女は藤田康邦の娘で、豊臣秀吉の北条征伐の折に鉢形城を攻撃した藤田信吉
(上杉勢の先鋒)は弟であった。
大福御前は寄せ手の弟を介して城兵の安全を図った。このため多くの城兵の命が
助けられたといわれる。 正龍寺の門前から右に入った畑の中にある。
(2012/3 参詣時フォト)
( ^ω^) ### FIN ### ( ^ω^)
≪第63回寄居北條まつり≫が 開催されました
2024/5/12(日)
いざ、決戦!大迫力の戦国絵巻
1590年(天正18年)豊臣秀吉の小田原征伐の際、鉢形城に陣取った郷土の武将北条氏邦は、前田利家・上杉景勝率いる5万人の豊臣勢を相手に、わずか3,500人の兵力で1カ月余り攻防戦を続けました。このときの戦いを再現したものが「寄居北條まつり」。
当日は、甲冑を身に纏った武者が中央通り線から玉淀河原までパレードをした後、北条・豊臣の両軍に分かれて攻防戦を繰り広げる。一騎打ちや会場に響き渡る大砲の音など、間近で見ることのできる戦国絵巻の世界が楽しめる。また、北条氏ゆかりの地からご当地グルメが多数集結する「北條食の陣」も開催。
*** 蛇足 ***
2012/5 筆者も北条まつりを見学 (武者パレードを追っかけ 河原攻防戦を見物)
(写真はあるトラブルで焼失、動画からチョットUP)