先日書いたこの記事「あるベース」と「ないベース」で異なる幸福度ですが、たまことの岡田哲也さんをフェイスブックでタグづけしたところ、なんとつっこみ&リブログまでしてくだいました(滝汗)。
 
 
ここで私のこころの中で起こったことがなかなか揺さぶられた内容でして…。
 
岡田さんが以下のように書かれたんですね。
 
(引用)

これ、私的には

 

『半分もある』も間違いで

『半分ある。』が正解です。

 

物事をただ見るというのは

そういうこと。

(引用終わり)
 
 
これを読んで、私の中が非常にざわつき始めました。
 
間違い
 
間違い
 
間違い
 
ぎゃー滝汗

 
これね、自分が傷ついたっていうのは、言った人や言われたことが直接傷つけたわけではなく、その言葉がきっかけになって、自分の中にある「傷ついた」状態が再燃しただけっていう、あれです。
 
私以前ひとのIHヒーリング受けた時に「間違えたらイコール死ぬってくらいに恐れてるね」って言われたこともありましてショックなうさぎ
 
これだって、岡田さん的に違うってだけで「おまえは間違ってる」って言われたわけでもないのに、超怖い滝汗
有名人や尊敬している人と異なることを言ってしまうということに恐怖を覚えていました。
 
こういうとき思い浮かべるのが
 
「ヘイヘイヘーイ、ピッチャーびびってんぞー!」
 
っていう野球のヤジです。
 
わたしびびってるわ〜。
 
この野次と同時に思い浮かべる絵が、こちら↓

猫ピッチャー(そにしけんじさん作。描きたかったので真似して描きましたが本物はずっともっと可愛いです)。
これやると、自分が怖がっているのを認識できて、かつ猫で少しほっとできるので自分的にお気に入りです。
 
間違いたくない」って思いが自分の中に強くあって、それで意見をブログで発表することも怖くなっていったんです。
今までは日に50件もアクセスなくて、影響力もないし怖さもそこまでではなかったのですが、ここへきて、著作も読んだことあるような有名人にブログで取り上げられて、恐怖がもう何倍にも膨れ上がってきて大泣きうさぎ
 
たくさん記事をかいたり、たくさんの人に読まれるってことは、間違えたり、ひとと意見が違ってくる可能性も高まるわけで。

 
この前絵画展を見に行ったのですが、絵を見ながらわいた思考に胸がきゅーってなったんです。
 
こうやって絵を発表してたくさんの人に見られるってことは、自分の絵が批判されることもあるだろうし、全然わかってもらえないこともあるだろうし、自分が大事にしている感性に、価値を全く見出さない人だって現れるだろう。
それでも作品を作りたいっていう衝動があって、それを他の人に見て欲しいっていう情熱を持っている、それを元に行動したからこの画家さんはこうやって個展を開くことができている。
 
音楽だってそう、歌が下手って言われるかもしれないし、曲が良くないって言われるかもしれない、でも自分がいいって思ったから演奏して発表するわけで。
 
世にでるってそういうことなんですよね。
 
私、カフェとかで常連になるのがいやなんですよ。
顔を覚えられてお店の人と友達になるのが好きな人もいると思うのですが、私は、一般客にまぎれて匿名を保っていた方が、変に注目されなくて気が楽だったりするんです。
注目されると自由がなくなるような気がして。
 
あ、今気がついた。これいらん自意識だ〜あんぐりうさぎ
いい顔したいっていう自意識ですー。
 
お店で私というものを認識されると、「私」というものにいい印象を持ってもらおうと努力しちゃうから疲れるっていう。
いらん自意識で自分を大きく見せようとしてますね。
 
ブログの記事も、読者の方や、尊敬する人たちにいい顔したい。
だから間違えたくない、正しくありたい。
 
間違えたくないと思う時は、緊張しています。
間違えてもいいやと思う時は、弛緩(リラックス)しています。
 
以前の記事にもかきましたが、リラックスしている状態=いいアイディアがでる状態なので、「いい顔したい、間違えたくない」と思ってもがけばもがくほど、いいアイディアから遠ざかるわけです。
 
逆に、間違えてもいいや、どっちでもー、と思った時のがいいものがでてくる可能性が高い。


(イラスト再掲載)
 
あと、間違えたく「ない」で、ないベース、間違えてもいいや→間違えもありで、あるベースの考えとも言えますね。
 
なーんて言っても、やっぱ怖いわけです笑い泣き
なんて言われるんだろうー、どう思われるんだろうー。
自分の大事な人に嫌われちゃったりしないだろうか。
ブログなんて書かなければ、書いてもフツーの当たり障りないこと書いていれば、目立たなくて済むし、嫌われないんじゃなかろうか。

 
「オラオラオラーピッチャーびびってんぞー

 
さらに猫ピッチャーで自分ツッコミ。
 
びびってます。
でも、「で、どうしたいの」かというと、絵画展で想像した画家の人の心情のように、私も、「自分で気がついたことを文章とイラストにしたい」という衝動があって、「それを人に発信したい」という情熱を持っているようなんです。
 
仕事やめた時自分の感覚で生きるって決めたんです。なのでそういう自分の衝動、熱みたいなものを大事にしてあげようと思うんです。
というか自分の感覚を大事にしてあげられるのは自分しかいないんです。
 
なので、ピッチャーびびってますが、やっぱり、自分の感覚大事にしてブログ書いていこうかなと思っています。
 
 
 
以前書いたコップの水の量をみてどう思うかというブログに友人が一言コメントをくれました。

 
「喉の渇き具合で変わります( ^ω^ )」
 


究極にその場での自分の感覚に従ってるーーびっくり!!

 
いやー、私ほんとまだまだでした。
自分の感覚もっと大事にしていこー!ばっちこーい