かなりご無沙汰しています、こころの法則研究家と名乗りだしたMadokaです。
実は、4月末から宮古島に行っていて、トライアスロン応援したり、青い海で泳いだりしていたら、
正直、人の精神の機微とか、他の人の葛藤とか、ど〜でもよくなっていました(爆)。
 
不思議ですねー、都会にいる時は、「あー、心が不安定だ、この人のブログみたらヒントあるかも、読んでみよう」みたいにむさぼるように読んでいたのに、宮古島にいたら、自然が圧倒的すぎて、「あー、細かい文章とか読みたくないぜあんぐりうさぎ!」ってなるんですね〜。
 
私以前から思っていたんですけど旅行ってたとえ一泊二日とかの短い旅でも、行く前の自分と帰ってきた時の自分ってびみょ〜に、ほんとにわずかかもしれないのですが、違っているように感じるんです。
行く前の自分とは望むと望まざるとを問わず変わっていて、違う章に進んでいるみたいな。
 
以前の職場で、プロジェクト同時進行で2つ抱えて、早朝出勤とかしないとなんともならないみたいな忙しい時期があって、夏休みもとれず「キーむっ2!」ってなっていたことがあって、やっとそのプロジェクトが終わって、這々の体で、千葉のゲストハウスに二泊三日で旅行に行ったんですよ。
まったくの一人旅でノープランで。
朝日見ようと思って砂浜行ったら見えなくて、誰もいないので叫んでみたりとかして。
特に自分のためになることをしたわけでも、すごい気づきがあったわけでも、自己啓発本とかを旅先で読んだわけでもなく。
それでも、帰ってきて職場に行ったら、ちょっと感じ方が変わっている自分がいて、旅って行くだけでこんな効果があるんだと実感しました。
 
なので、毎日の生活で煮詰まっている人は、忙しいとかスケジュールがとか理由はあるんでしょうが、とにかく無理やりでもほっぽって、とりあえず旅に行ってみる、この際目的地はどこでもいいんです、ちょっとだけでもいつもの暮らしから離れてみる。
そうするとわざわざ自分の考え方を変えようとかがんばらなくても、帰ってきてまた仕事や生活に戻った時にうっすら違和感を感じるかと思うんですが、それが行く前と行った後の物事の捉え方の視点の違いになっているかと。
そんな天変地異が起こるような大変化じゃないですが、本当にうっすら、「新自分」になっているっていう。
 
私は今回の滞在で「何がいいか悪いか」の判断がちょっと薄くなったように感じます。
 
実はIHのセッションも4月下旬から5月の3連休まではスケジュールを入れないようにして、完全休養していたわけです。
 
そうするとね、上がってくるんですよ、
 
「こんなことしていていいのかな」
「時間の無駄遣いかな」
「もっと自分のためになる(ってなんだ?)ことしないといけないんじゃないかな」
 
とかいう不安と、プレッシャーが。
このGW普段より休みがとれて、こういうふうに感じていた人いるんじゃないかな?
 
いつのまにか「しなくちゃ」を探しているんですよ。
 
私、今どこかに勤めているわけでもないし、休日にスキルアップのためになんとかとかしなくてもいいし、ぶっちゃけ私
 
しなきゃいけないことなんてないんですよ(かぽーん)。
 
 
なのに、「なにかしなきゃ」って思うってことは、
 
なんとなく有意義に過ごさないと時間を損するとかいう不安があるからなんですよね。
確かに、「休み中ゲームばっかりしてましたー」とかいうとなんか恥ずかしいような気がする。
 
じゃあ、逆に何をもって有意義っていうのか?
 
そもそも誰が有意義って決めるのか?
 
「こんな感じのことをすれば世間とか親とかがいいねっていうかも」っていう、ぼやーっとした「有意義な雰囲気のする何か」をしないとっていうプレッシャーになんか追われているんですよね。
 
でも、結局それって、「世間とか親とか」っていう「自分以外のもの」が有意義そうって考えるんじゃないかって自分で想像しているだけだから、全然具体的じゃないし、ぼんやりしている。
ぼんやりしているものって達成しずらいし、やったとしても「これでいいのかな?」感がつきまとうわけです。

 
以前の日記にも書きましたが、私は「いやなことやめて好きなことだけする」ことを実践したらどうなるかを知りたくて実験しています。
ちゅうことはですよ、ここに、「有意義かそうでないか」ていう基準は入ってこないわけです。
 
成長したいっていう欲求は素敵だと思います。
でも、「有意義に過ごしたとひとに思われるために、きこえのいいことをやる」っていうのは、誰のための「成長」なんでしょう?
 
以前何かの記事で読んだのですが、終末医療で働く看護師さんが、末期の患者さんから、自分の人生でこうすればよかったと思うことの上位に、

「他人がどう思うか気にしすぎなければよかった」
「仕事ばっかりせずにもっと楽しめばよかった」
「もっと愛する人や家族と過ごせばよかった」
 
といった意見があるわけです。
この視点でいうと、何が有意義かって、キャリアとか成功とかより自分が
 
「楽しむこと」
「好きな人と過ごすこと」
 
の方にエネルギーと時間を使うほうが意味があることになるわけです。

 
それ、今やったらだめなのかな?

 
よく、「休んでばっかりいるとダメ人間になる気がする」
 
っていうんですけど、そもそも「ダメ人間」ってなったらだめなのかな?

 
宮古島のお店って、基本、ランチやっている店は5時とかまでで終了で、逆に夜やっている居酒屋とかはお昼は営業せずに、夜からとかだけ。
1日通しでランチもディナーも開けているお店は本当に少ないです。
お昼だけやっているカフェとか月ー金で10:00-17:00だったり、冬の観光客が宮古島にこない時期は3ヶ月閉めて海外に行っちゃうゲストハウスのオーナーさんとかもいます。
 
かっこよくいうとワークライフバランスですけど、それぞれが無理せず、仕事をしている自分もそれ以外の自分も大事にしている感じがするんですよね。
 
宮古島で、東京や大阪から移住してきた方とお話ししましたが、島で暮らすのはそれはそれで厳しい部分はあるけど、人間らしい生活が送れると言っていました。
都会でのキャリアや成長とは全然かけ離れた生活を「選んで」みなさん来ているんですよね。
馬の生目を抜くような世界でやっている、頑張っている度合い=自分の価値と思っている人には、そういった競争から「逃げた」と考えるかもしれません。
 
でも、そもそも「逃げた」らだめなの?
 
頑張り続けることだけがよりよい人生なの?
出世したり、独立したり、結婚したり、子供育てたり、キャリア積んだり、それをしないとよくない人生なの?
 
それを達成したから幸せになるなんて決定事項じゃないんだから、自分がより心地よい方を選べばいいんでない?
 
宮古島は小さな島でどこへいっても海風が吹くので、車はすぐ錆びたり壊れたりしちゃいます。
それを知っているからみんなふっるーいボロボロの車でも全然気にしない。
多分いい車に乗って、優越感を味わうとかいう価値観があまりない。
 
ハイヒールを履いている人なんて、都会から来た観光客か夜の仕事の人だけ。
 
私は洋服買ったりたまに綺麗な格好もしたいですが、島の人たちがいつもラフな格好でペタンコの靴を履いているのもそれはそれでいいなと思います。
 
上で何がいいか悪いかの判断がちょっと薄くなったと書きましたが、あそこにいると「こういうのもあり」だし「そうでないのもあり」だと思えるんですよね。
 
離島にいて、成功目指して、都会に渡っていく人もいる。
都会にいて、心地よさを選んで、離島に渡ってくる人もいる。
 
何がだめでなにがいいのか。
 
「あー私、せっかくの休みなのになにもやらなかった」とか「ゲームしかしなかった」とか自分で自分を勝手に責めたりし始めた時、一度「それって本当に自分にとってだめなこと?」って、社会通念とかほっぽって問いかけてみるといいかもしれません。
それがその後の自分に役に立とうが立つまいが、それが本当はその時自分がやりたかったことかもしれません。
だったら、「だめだー」って責める必要ないのに自分を責めてて、「はー、なんだ、損した」って思うかもしれませんよ。
 
 
(おまけ:宮古島の海。宮古島ブルーと言われる青。そして、宮古島で私が何をしていたかが気になる方は別ブログ(私が走るとか世も末ですよ)のこちらをごらんください。なぜか島のパン文化とかについて熱く語っています)
 
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