古くはブッダの時代から「中庸がいい」って言われていて、「そりゃ、極端なのはよくないよね」くらいにしか思っていない自分がいましたが、あ、それってこういうことが起こってるのかなって気がついたので今回語ってみようかと。
 
どうもーこころの法則研究家Madokaでございます。
つい別ブログで宮古島のグルメについて熱く語ってしまって、更新が後手にまわっております(-_-)。
まあ、ここのブログね、ゆるさがウリなんでね、まあいいかとてへぺろうさぎ
 
先日聞いたお話なのですが、
 
介護職の仕事先で理不尽に患者につらく当たられたりと、すごく仕事が嫌だった。
自分がひとには必ず尽くさなくてはいけないって思い込んでいたのに気がついて、頑張っていたのをやめて、真逆をやろうと決心。
親切にしないことにしたら、仕事は手を抜いてる分楽になったけど、どんどん心が疲弊して、常にイライラして気持ちが追い詰められた。実際にも患者さんの介護拒否がひどくなり、絶望もマックスに。
今度は自分が親切にしたいと思う時だけするようにした。
それがとてもちょうどよくて心から喜びを感じるように。介護拒否で暴れた患者さんも嘘のようにおとなしくなり、今では一番の仲良しになり、仕事もいやではなくなった。
 
というお話だったんです。
 
うまくいかないと思ったら自分がタブーだと思うことをやってみるといいというのはよく聞きます。
それまでの方法でうまくいかなかったのだから、それの逆をやってみるといい、というのは理にかなった考え方ですが、なかなかできなかったり。
このお話では、自分が「ひとには必ず親切にしなくてはいけない」と思っていたので「あえて親切にしない」というタブー=極端に真逆なことを試したわけです。
その結果ちょうどいいところに落ち着いた。
 
仕事先で理不尽に患者さんにつらく当たられる=うまくいかない現実
ひとには必ず親切にしなくてはいけないという思い込み=親切100%を目指す極端な地点
親切にしないという試み=親切0%という逆の極端な地点へ移動
それはそれで辛くなる
自分が親切にしたいときに親切にする=親切100%〜0%の間にある最適解に落ち着く


 
最初の、親切100%を目指していた時は、逆側はタブーだと思っていて、陽があたらず、影になっていた状態でした。
ですが、そのエリアの中に自分にとって最適な地点が実はあったわけです。
ただ、自分にとっては「アリエナイ」エリアにあった。
 
このちょうどいい地点って、逆の極端な振り切ったところよりは手前にあったりするのですが、対岸にいる時は見つけるのは難しかったりします。
なので、一度一番極端なところへ移動してみると、光が当たる範囲が広まって、今まで見えていなかった地点に行けるようになり、微調整ができるようになります。
要するに選択肢が増えるってことでしょうか。
0でも1でもない、0.5だったり、0.7だったりするところがちょうどよかったり。
 
確かに、勇気でない人は0から、0.1とか0.2とかちょっとずつずらしていって、お試し&体感して模索していくのもいいと思います。
ただ、一度パッと振り切ってみると、自分の最適ポイントを見つけるまでの時間はかなり早くなるかと(その分起こる出来事も感情の振れ幅も大きくなります)。

ただ、ここで注意なのが、その最適ポイントは、あくまで自分にとって、ということ。
そこに行ったからといって、すべてが丸く収まるポイントとは違うかもしれません。
あのブッダも、究極まで追い詰める修行をして、命からがら抜け出して村の娘に食べ物をもらって「やっぱ中庸!」って気がついたそうですが、その時他のエクストリームな修行に勤しむ修行者からは「あいつぬるいこと言ってる!」って思われたかもしれません。

 
上記のお話の方は、今では、いつでもマックス親切ではなく、親切の量とタイミングは自分で決めてやっているそうです。
 
他人に親切にするかも自分で決めていい、選んでいい。
 
これ、もしかすると言うと心がざわざわする人いるかもしれないですね。
そうしたら、多分自分の中でタブー領域を作って、選択肢を狭めているかもしれません。
真逆をやって、影になっていた他の選択肢に光をあてる時期が来ているかもしれませんよー。
 
 
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