「空気読めるようにならないと」とか「和を大事に周りにあわせるのがよい」とか日本人的教育で、環境に反応するだけで生きてきて、自分がどうしたいのかわからなくなっているor本当の自分とかけ離れた自分が世の中に現れちゃっている人ってけっこういるんじゃないのかなって。
 
どうもー、こころの法則研究家とかいっているMadokaです。
 
仕事が忙しくなったり、毎日の雑事に追われていると、起こった出来事に反応するだけ人間になりがち。
「って言っても、やらないと回っていかないんだからしょうがないじゃない」と言われそうですが、起こった物事に反応だけしていると、「自分」が不在になっていくんです。
 
外で起こった出来事→それを受けての反応
 
これ、自分不在の流れ。
 
外で起こった出来事→自分はそれに対してどうしたいかを自分に問いかける→それに基づいて行動
 
こちらは、間に「自分がどうしたいか」を考える行程が入っています。
これ、外から見ると「起こった出来事に対応して行動している」だけに見えますが、実際には自分の中で起こっていることはかなり違います。
 
例えば
 
上司「これやっといて」
自分「(やらないといけないから)はい」
作業中(また上司のせいで忙しくなった。あいつめ)
 
外の要因で自分の反応が決定されてしまいます。
 
上司「これやっといて」
自分「(自分はどうしたいのかな?今別の仕事に集中したいな)今こういう仕事をやっているんですけど、後でいいですか?」
上司「それはそっちの方が先だね、じゃあ別の人に頼むよ」
 
反応する前に自分はどうしたいのか?をはさんで、自分の行動を決めています。
実際はこんなふうにうまくいかないかもしれないですが、たとえその仕事をやっぱり任されて忙しくなったとしても、「自分はどうしたいか」を自分に問いかけたことによって、そこに「自分」という要素が入ります
それをすることによって「自分が自分に気をかけてあげている」という自己肯定感もはぐくめたりします。
反応だけだと、環境や他の人など外の要因だけで自分の行動が決められてしまう感覚になってしまい、本当の自分の思っていることとは違うものが外に表されやすくなるんです。
 
起こっている出来事は変えられなくても、自分の受け取り方は選べます。
以前自分の感覚には価値がある、といいましたが、起こったことに自動的に反応だけしていると、本当の自分がどうしたいのかのヒントをくれる感覚を振り返る間がなくなってしまうんです。
 
自分の受け取り方を選べるといいましたが、私、人が絶望するときって「選択肢がない」って思い込んだ時だと思うのです。
 
「借金返せないから死ぬしかない」
「浮気されたから離婚するしかない」
 
とかね。本人はそれしかないと決めつけているので絶望するんですけど、本当はどんだけ悲劇的な状況だとしても、他にも選択肢は必ずある。
 
起こっている出来事に関しても、「仕事ふられたら即やらなければならない」っていう選択肢しかないって思い込んでいるから、自分のすべてが自分以外のもので決められて、それに従うしかないって思って自分をどんどん無力なものと思い込んでしまう。
 
でも本当は、選択肢はある、行動は選べるのです。
もしかしたら「振られた仕事をやる」っていう行動は固定されるかもしれませんが、それをどういう気持ちでやるのかは自分で、選べるのです。
 
私前職ではこういういうふうに考えていました。
 
「あの人が勝手なこと言うから私の手間が増える。近づいてきたプロジェクトのせいで忙しいし。さっきもまた別の仕事頼まれちゃったし。今日中に終わらせるために早くやらなきゃ」
 
見事に「〜のせい」っていって他の人や外の環境で自分が決められて、それに反応するだけ=反応ベースで過ごしていました。
 
結果がんばってるつもりなのに、周りには「あの人理解できない」って評価されて、契約期間を短縮された経験があります(´;ω;`)。
 
それがもし、自分がどうしたいのかを真ん中にすえる、自分のあり方ベースだと、こういう脳内会議になるかと思います。
 
「忙しいのに上司に仕事ふられちゃったなー。さて、私はどうしたい?
今ちょっとあわてちゃって、落ち着かない気持ちだな、このまま仕事するのはやだな。
じゃあ一旦トイレいって机から離れて歩いてみようかな。戻ってきたらまた気分変わってるかもしれないし」
 

自分を出さずに、ひとから言われたことをきいて、そつなくやって、存在を消していればなんとかなるっていうのが処世術だと思ってきた人もいるかもしれません。
私もミスとかあったときとか、目だたないように目立たないようにとがんばりましたが、むりでしたー←
他の人と同じようにとかできなくて、いい意味でも悪い意味でも勝手に目立っちゃうんですよ(汗)。
目立たないようにしようとしているときって、自分の良さを消している時なんです。
本当の自分とは違う自分になろうとしている時。
はい、そういう時どうなりますか?
以前にも書きましたが、「本当の自分から離れれば離れるほどつらくなる」。
 
なので、処世術だと思ってやってきたことが、自分を苦しめることもあるわけです。

 
では、反応だけで行動している時、他の人から見たら何が起こっているか。

反応ベースの人は、外の環境っていうランダムな要素に自動的に反応する自分が外に現れるので、他の人から見ていても、一貫性のない、いびつな形の人に見えやすいんです。
本来の自分とははなれた、いびつな形の自分が他の人からみたその人の印象になります。
 
「自分はこうありたい」というのがわかっている人は、その大原則のもとに自分がどう行動するかを具体的におとしこめるので、反応にも一貫性があり、本当の自分のかたちが外にも表されます

 
人って、他の人からすると、見えている部分って一部じゃないですか。
どんな人でも他の人のすべてを知ることはできない。
同僚なら仕事中のその人だけしかわからないとかね。
なので、他の人はその人の見えていない部分は想像するしかないわけです。
 
そういった時に、「自分はこうありたい」がわかっていて一貫性がある人は、他の人から見えている部分も一貫性があるから、見えていない部分も想像しやすい=わかってもらいやすい
 
反応だけで行動している人は、ランダムで複雑な形の部分しか見えていないから、他の人から見えていない部分が想像しづらい=わかってもらいにくい
 
端的に言えば、「自分がわからないものを他人がわかるはずがない」っちゅうことです。
 
「自分が理解されていない気がする」という人は、もしかしたら外に現れている自分が本来の自分からかけ離れた、こういういびつな形になっちゃっている可能性ありますね。
 
そういう場合はまずは自分が自分を理解すること。
今までと同じ反応をする前に、自分はどうしたいのかをしつこく問いかけること。
「でも今の状況じゃ」とかそういう条件とかぜーんぶとっぱらって本音の自分はどうしたいのかをきくこと。
 
私がやっているIHのセッションでも、目的を作る時に、「さっきまで悩んでいた問題すべてなくなったとしたら、本当はどうしたい?」と問いかけて、(それじゃ都合がよすぎる、とても無理だと思っていたけど)「そりゃあほんとはこうしたい。こうありたい」という本音がでてくるまで、筋肉の反応で本音じゃないものを判断してどんどん削ぎ落としていきます。
 
私、反応ベースで行動しちゃってるなーという方は、まず自分の行動を決める要素の順位を、
1、自分の気持ち
2、他の状況
ってしてみると、そのうちちょうどいいところにおちついて、本当の自分と外に現れている自分の形が一致してくるかもしれませんよー。
 
 
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