本当に本当にご無沙汰しています。
実は前回の記事でゆるくいこうなんて言っていましたが、ブログ、まったくかけなくなっていました(>_<)。

なのに、なのに、読んでくれている人はいてくれて、なんと前回の記事に100いいねがついていました。
もうありがたすぎて泣けて来ます(;ω;)。

記事がかなり長文になってしまったので、この間に起こったことを先にかいつまんで話しますと

「こんな世界つまらない」と世界に対してスネた
気づきも起こらなくなり、無気力になり、ブログがかけなくなった
「世界=つまらない」という前提を持ってしまっていることに気がついた
このブログのタイトル通り、「前提(想い)が体験をつくる」に従って、私の世界がおもしろくなくなり、感情が薄くなっていたことに気がつき、あわててその前提を撤回←いまココ

前提恐ろしい!!

ことの始まりは、Happyさんの「アイドルの夢かなえます企画」。
以前もステージ企画の時にうけたオーディション。今回も受けて来ました。
今回の企画は一回限りのステージではなく、アイドルグループとしてデビューするというもの。
私、音楽の素養なんてちっともないし、楽器も弾けないし、歌もダンスも習ったことない。
でもやってみたいと思ったんです。
それに、仲間ができて一緒に一つのものを作ってみたいという願いも湧いて来ました。
それでオーディションに向けて一生懸命準備して、緊張しながらも私らしさでパフォーマンスしてきました(歌ったり踊ったりせず、紙芝居を使ったものでしたが)。
その時は、Happyさんの言う通り「世界は自分が創る」んだから、私の今の現状がどんだけアイドルとは程遠くても、願えば叶うんだと思ってそれはもう強く願いました。

しかし結果は落選。

その時私が思ったのは、

その人がどれだけ不利な状況であれ、願いを持って、つよく叶えたいと思えば叶う世界であってほしかった。

願いが叶わないこんな世界、嫌だ!つまらない!

でした。

私は根底に「世界に対する不信感」を持っているのらしいのですが(前世がわかる人によるとそれに関してなかなか強烈な体験があったのらしいですが、それはまた別の機会にでも)、それが一気に吹き出した感じ。

その時は、いろんなことがばかばかしく感じ、旦那さんとのいざこざも絶えませんでした。
世界に対してスネていたんですね。
無意識に「あほか」とか「ばかか」とか呟いてました。

ただ、願いが叶っても叶わなくても、やっぱり人は生きていかないといけません。
その時は、身近な喜びに立ちもどろうと思って、日々を丁寧に生きようと自分に言い聞かせて毎日を送っていました。

ですが、その頃から、こころに関しての気づきがあまりなくなり、ブログでかきたいことも思い浮かばなくなって来ました。

自宅の引越しがこの時期に重なり、「これもやらなきゃ、あれもやらなきゃ」と勝手に自分を追い詰め、そのストレスからか、手足がぱんぱんにはれ、とんでもなくむくんでしまいました。
もともとむくみ体質なので、足はよく疲れると浮腫むのですが、手がクリームパンになってしまった時には、生まれて初めての経験に「これは大変なことが起こっている」と青ざめました。

いつもお世話になっている整体の先生にアドバイスをもらい、体にあったお茶を飲んだりしてなんとかむくみは脱したのですが、その後迎えた秋分の日。

どうやら秋分の日は夜の時間と昼の時間がちょうど一緒になる時期で、エネルギーも変わり、それに伴って感情や体調に変化が現れる人も多い時期なのだそうです。
(くわしくはこちらどうぞー。「時代の流れを読み解く力」https://ameblo.jp/iyashiya1848/

私も旦那さんも秋分の日前後は寝られなかったり、めちゃくちゃねむかったり。
そして、感情も大爆発。
きっかけは新居のインテリアのことでしたが、私がこのところ浮かない顔をしているのが嫌だというのが一番の論点。
私としては元気がないときはやさしくされたいときなのに、それにきれられるとかなんなの!と、私は普段はめったに怒らないのに、とんでもない怒りが湧いて来て、机をたたいたり、ゴミを投げ捨てたり。
悲しさと怒りにまかせてかきおきをして家をでました。

今考えると、秋分の日=夜と昼の時間が同じ日=陰と陽など、二つのもののバランスがとられる日、なわけです。

その時まだ私は気づいていなかったのですが私はこのところ「世界はつまらない」という前提を抱えて、感動することが減り、感情が減っていく日々を送っていました。
でも、感情はなくならないんです。表にでないで抑圧されているだけ。
なので秋分の日で「バランスをとる」エネルギーが働いて、「あるし!消えてねーし!」by私の感情、となって抑圧されていた感情が吹き出した、のかもなーと。

そこで一人になって考えていたら、はっと気がついたのが、自分が

「世界はつまらない」

という前提を持って日々をすごしていたこと。
そんな前提を持っていたら、そりゃつまらないことしか起こりませんよね。
つまらなかったら感情は動かないから、そりゃ感じる力も減るし、表情も乏しくなる。
パートナーはそんな人間を気持ち悪がるのも納得です。

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あわてて気がついて、「なしなしなし!世界はつまらないとかなし!」とキャンセルしました。
そこで思い出したのが、自分の子供の頃のこと。

私は好奇心から生まれてきたかと思うほど好奇心旺盛で、興味を持ったものはなんでも見たい!なんでも知りたい!という子供でした(父親に「空はなんで青いの?」って聞いて苦笑されたことも)。
小学校で学年の始めに実施されていたアンケート(環境調査票とうちではよんでました)で、母が私の性格について、「好奇心旺盛」と小学校1年生から6年生までかき続けていたくらい。

子供の頃の性格って、余計な外的要因に左右されない分、その人の魂の求めること、平たく言うと本音の望みに近いんですよね。

ということは、私の本当のほんとの望みは、好奇心を持ってこの世界を楽しみたい!知りたい!遊びたい!、ということだったんです。

それなのに、その肝心の世界を「つまらない」って思い込んでいたら、好奇心は満たせず、本当の自分の望みはかなわないまま。

私の提唱するこころの法則の一つに「本来の自分と離れるほどつらくなる」っていうのがありますが、まさにそれが起こっていました。

私、ふたご座なのですが、しいたけ占いで「ふたご座はつまらないと死んじゃう」っていう記述があって、すごい納得したんです。

ちゅうことはですよ、
「世界はつまらない」と思っていた
私(ふたご座)はつまらないと死ぬ
私のこころは死につつあった(緩慢な死)


こわい!前提こわい!!

今回のことで、また一つ、自分の本当の望みがわかりました。

「世界の面白さと美しさをみつけて味わいたい。それを愛する人たちと分かち合いたい」

みつけるだけではなくて、それをひととわけあいたい。
それは私のパートナーであったり、顔をみたこともないかもしれないけど、私の記事にいいねをくれた読者の人たちであったりするのかなって。

今後このブログがどんな形になっていくかはわかりませんが、もう少しおつきあいいただけたらなって思います。

私が愛している人と愛してくれている人に感謝をこめて。

追記 とりあえず、音楽にふれて、楽しむ一歩としてウクレレはじめてみました!
ただいま覚えているコードは4つ。指が痛いけど集中するー!

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