先日アップしたこちらの記事(まどか式エネルギー考 古いものを捨てるから新しいものが入ってくる)ですが、エネルギーの使い方について語ってみたものの、そもそもエネルギーってなんなんだろう、どう説明したらいいんだろう、って思った時にふと思いついたのが
意識の体力
みたいなもんかと。ゲームとかでいうとヒットポイント、HPですね。
体力って、限界あるじゃないですか。
動き続けると疲れて何もできなくなっちゃう。
その人が持っているエネルギー(まどか的にいわせると意識の体力)もやっぱりそういうふうに使いすぎると一歩も動けなくなっちゃうんじゃないかと。
平たくいうと精神力、でしょうか。
※諸説あります←言いたかっただけ
いろんな定義があると思いますが、私のブログで扱うエネルギーの意味はこういう感じです。
なので、その人のもっているエネルギーを何に振り分けるか、で何が得られるか、何が上手くなるか、とかが変わってくる。
いやなことや起こってほしくないことに意識を使っていると、好きなこと、やりたいことに向ける体力が減ってしまいます。
成功している人で、批判や酷評をスルーしている人は多いと思うのですが、多分そういう人でも、きっと読んだら心が傷ついたりすると思うんです。
でもそれを必死に否定することに意識の体力つかうくらいなら、そこは温存して(スルーして)自分の本当にやりたいことへエネルギーを回すわけです。
だからまた成功に近づく。
当然使いすぎると枯渇するので、意識も体力同様回復が必要です。
ただただ休んでなーんも考えないことだったり、それこそ体をリラックスさせることで意識もリラックス→回復したりします。
身体の体力と意識の体力は相互関係がありますが、ただ、
身体の体力がゼロになっても、意識の体力がまだある場合は動けたりします(体は疲れているのに熱中してるので続けられたりとか)。
でも、意識の体力がゼロになると、身体が動けてももう動けなくなっちゃいます。
よく心が折れるとかいいますけど、精神力がなくなって虚無になると体も動きませんよね。
なので、もちろん自分の体をいたわることは大事ですが、自分のエネルギー=意識の体力の残量に気を配ることも重要。
いらないことにエネルギーを使っていないか見直して、そして自分のエネルギーが高まるような楽しいことを自分に与えてあげる。
リラックス状態にあると、精神も回復するので、どんな環境でもうまくリラックスできる人とかはすぐにエネルギーが戻ってくるかもしれないですね。
エネルギーは意識の体力なので限界がある、といいましたが、人によって身体的な体力が違うように、このエネルギーの総量にも個人差があるのではないかと。
世の中には100キロのウルトラマラソンを走り切るような体力の化け物みたいな人いますよね。
もしやエネルギーの化け物みたいな人もいるのかもですよ。
どんどん自分の思ったことを実現させる人、次々とアイディアが浮かぶクリエーターとか。
その人の持っているエネルギーの器自体がおおきい(HPの上限値が高い)。
これは仮定なんですけど、運動で鍛えたら身体の体力もつくじゃないですか、ということはその人が持っているエネルギーもトレーニング次第で総量が増すのかも。
んじゃあ、どういう時にエネルギーが増しているかというと
ー楽しいことをやっている時
ー好きなことをやっている時
ーおもしろいと思っている時
ー感動している時
とかでしょうか。
ちゅうことはですよ、よく精神世界の本とかブログで「好きなことをやれ」って言っているのは、結果としてその人のエネルギー量を増やすトレーニングになって、その人のエネルギーの器自体が大きくなるってこと。
すると、体力がある人が長く動き続けられるように、エネルギーの器が大きい人も長く、そして大きなことを成せるようになるのかもです。
「好きなことをやれ」って言われて、そんな楽しいことだけして成功できるの?とか懐疑的になったりしますが、実はそれこそがエネルギーの総量を増やすトレーニングになっているのかも。
いやなことや辛いことをしていたり考えている時って「エネルギーが満ちている」感じしませんよね。
逆に好きなことを考えている時は、なんとなく体感でもエネルギーが満ちている感じしますよね。
自分のエネルギー、意識って普段あんまりそれこそ意識していないかと思うのですが、自分の体に対してするように、意識をどう使っているのか、疲れていないか気にしてあげて、さらに自分の考える「エネルギーが上がること」をしてあげると、エネルギーのHP最大値が大きくなって、もっとたくさん、大きなことができるようになるかも?
わかんないけどね!
アデュー