この記事は出来事を綴った前回の続きです。

感情を出し切ればできたすきまに気づきと癒しが入ってくるー蓮の花の上で会いましょうー

 

突然訪れた愛猫の死で落ち込んでいた私がどうやって立ち直ったのか。

もしかしたらこういうことが起こっていたんじゃないかなって。

 

まず私がたてた仮定がこちら。

 

「悲しみなどの感情と気づき、癒しはこころの中の同じうつわに入る」

 

何かショックな出来事が起こった時、そのうつわが悲しみでいっぱいになったとします。

私の場合、カルちゃんとの突然の別れですね。

 

そこで、その悲しみの感情をうつわの出入り口から出すことをします。

具体的には

 

大声で泣く

絵を描く

歌う

体を動かす

ただただ感じる

 

などのことをして出していきます。

私は状況に恵まれていて、一人ですごす時間がたくさんあったので、泣きわめくことで悲しみをどんどん放出していきました。

 

すると、悲しみが外にでていくので、そこにスペースができてきます。

そのスペースに外からの刺激が入ってきます。

 

それが気づきであったりすると、その気づきは癒しを連れてきます。

今度は癒しを感じるとこころのうつわは癒しで満たされていきます。

 

私の場合は、蓮の花が届けてくれたメッセージや、タロットカードの絵柄が気づきになり、癒しがやってきました。

一度悲しみをだしきり、こころのうつわが癒しで満たされると、カルちゃんのことを思い出す機会があっても、あがってくるのは悲しみではなく、別のもの、感謝であったり、そういったものに変わります。

 

これが多分きっと私の中で起こった変化。

 

じゃあここからは、「悲しみをひきずってしまう人」はどうなっているのかという推測です。

 

それは、こころのうつわの出入り口を閉じてしまっている人。

 

 

扉が閉じているので、中の悲しみは行き場をうしなってその中で滞留します。

中にずっとい続ける状態で、一時は沈殿して静かになるかもしれません。

時間が経って何かの機会で思い出すことがあるとその感情がまた動き出して、「思い出しネガティブ」といった現象が起きます。

これが時折起こって、こころの中でぐるぐるして辛くなります。

 

辛いのにじゃあなんでこの状態を続けるのかというと、出入り口をふさぐ漬物石みたいなものが置いてあるんじゃないかと。

 

それは

世間体

他の人への気遣い

損得勘定

変化への恐れ

 

とかいろんなもの、人によって違うでしょう。

中でも、悲しんで落ち込んでいるのを見せるのは他の人に悪い、とか気を使って取り繕おうとするようなやさしい理由で感情の出入り口を塞いじゃってる人もいるかと思います。

でも、他の人に見せる必要も、あたる必要もなくて。

一人でもできます。

蓋をあけると、今まで持っていたものと違うもの、未知のものが入ってきます。

それで自分が変わることを恐れず、ただ自分の中にその感情が残っていることを認めて、出す。

どうやってやるかは上記を参考に。

 

そういったアウトプットの行動をしようにも、自分のことがよくわからない、悲しいかどうかももうつかめないという方には、ちょっと変則的かもですが、自分の心の中で擬似話し相手を作って会話する、というのもおすすめです。

私は内観が苦手だったので、このイメージの中の話し相手と話して思考をまとめる努力をしました。

神社に小さい神様がいる設定にして(お雛様のお内裏様みたいな)、わざわざ会いにいくというお膳立てをして、お祈りしながら会話したり。

タロットカードの中の人物に質問したり。

 

そういう飛び道具的な設定はアレというのでしたら、亡くなったおばあちゃんとか、昔の恩師とか、好きな芸能人とかでもいいと思います。

思いつかない!という人は、占い師のしいたけさん、おすすめです。あの人のなんでも受け止めるおじいちゃんみたいなオーラなら、なんでも話してもいいと感じるはず。心の中に一人しいたけさん。一家に一台しいたけさん。

「しいたけさーん、以前こういうことがあったんだけど、自分が今何を思ってるのかよくわからなくて…」

「ほうほうそうですか…、それは…」

やりとりしていると、「あ、私こう思ってたのか」って気がつくことも結構あるんです。

 

あとこれは補足なのですが、よく「時間が解決する」っていい方しますよね。

これって、きっと、こころのうつわの出入り口がちょっと開いている状態のことなのかなって。

実際には完全に閉めちゃってる人は少ないと思うので、こういう状態の人のが多いかもですね。

ちょっと開いた蓋からちょっとずつ悲しみが蒸発していって、いつのまにかなくなってる、それが時間が解決するってことなのかも。

 

私がいわば「こころの臨死状態」から数日間で立ち直ったのは、運良く一人の時間があって、他の人に気兼ねする必要がなかったこと、悲しみが突然大量に押し寄せてきたので、蓋をしめる余裕もなく、大量に外に放出した(大泣きしてわめいた)ことによって、出入り口自体がかなり大きくなって間口が開いたんじゃないかって。

大きく開いたからそこから気づきや癒しがすごい勢いで入ってきたんだって。

そう思うと、愛するものをうしなうっていう、どん底みたいな状態でも、私は恵まれてるな、とかありがたいと思えることが必ずあるんだなって思います。

 

かなーり久しぶりにブログを更新しました。

実は、こころのあーだこーだのつぶやきをツイッターでゆるゆる投稿しています。

このブログの更新は未定ですが、もしかしたらツイッターの投稿をまとめる形でまた記事にするかもしれません。

それまでは、このアカウントをフォローして「またぶつぶつあーだこーだ」言ってるなと生暖かく見守っていただけると嬉しいです。

 

666madoka(みろくまどか)

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