国家の歴史 ① | 中杉 弘の徒然日記

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埴輪アーカイブ パイロット版|歴史博物館|群馬県

 

 

国家の歴史 ①

 

 僕が「神武天皇の徐福説」を書くと、様々な人から意見が入ってくるので面白いことだと思います。

 まず、参考にしてもらいたいことは、これは僕の意見ですから、学会の定説ではありません。「このようにも考えられる」ということです。これが、僕の頭の柔らかいところです。

 僕は非常に柔らかいものの考え方をするので、「日本の歴史は、これが真実だ」と言っているわけではありません。「このようなことも考えられる」ということです。これは、面白い見方です。

 他の方面でも言えることですが、日本建国の謎を解くということは、多次元方程式を解くようなものです。

まず、日本の国を統治した者がいます。それが国家の始まりです。第一番に誰が日本を統治したのでしょうか? 時代背景を探ってみると、日本の建国は、よくわかっていません。どうしてわかっていないのでしょうか? 

 例えば、女王卑弥呼の国があったと言われていますが、それは中国の書物に書いてあることです。日本の歴史書である古事記、日本書紀には、女王卑弥呼の国のことは、一つも書かれていません。そのような歴史の二重性がでてきます。この問題をよく考えてみると、「女王卑弥呼の国はなかった」ということです。

日本人の中には、ユダヤ人の血が流れています。東北大学の田中英道先生が言われていますが、東北から発見される埴輪には、美豆良(みずら)の埴輪が多数発掘されています。

 ユダヤ人の帽子は黒い帽子で先がとんがっています。とんがり帽子をかぶって美豆羅(みずら)の髪型をして、髭をはやしている埴輪が、東北地方で多数発見されているのです。

 とんがり帽子をかぶり、美豆良(みずら)の髪型でヒゲをはやしているのは、ユダヤ人です。ユダヤ人は、今でもそのような恰好をしています。どうして東北にユダヤ人の埴輪が存在するのでしょうか? それから埴輪の目はタレ目です。

 美豆羅(みずら)は、聖徳太子が青年の頃、やっていた髪型です。美豆良(みずら)は、ユダヤ人の髪型です。そのような条件を考えていくと、僕の場合は自然に答えが出てくるのです。すると、つながらない部分が、つながってしまうのです。

その次には様々な条件がありますが、国家というものは、どのようなものでしょうか? 縄文人は、農耕を営み、海で魚を捕っていたのです。そこに国家ができるのでしょうか? 答え、国家はできません。「三内丸山遺跡は、1万5千年の歴史がある」と言っても、国家はできません。何故でしょうか? 答えは、平和だからです。

 縄文人は自給自足で食べるものも豊富にあったのです。そのような暮らしの中では、最高権力者を必要としません。村には、村長がいて、話し合って村の行事を行っていけばよいのです。

 生活は家族単位ですから、大工事もいりません。縄文人は1万5千年の長い間、侵略されることもなく平和に暮らしてきたのです。それが日本の縄文時代です。縄文時代は、人々が仲良く暮らし、変化のない生活を送ってきたのです。

 しかし、規模がある程度大きくなってくると、人間は宗教を生み出し、集団の結束力ができてくるのです。バラバラの個人が、100人、1,000人という単位でまとまってきたのです。100人、1,000人で仕事をすると、リーダーが必要です。

 しかし、1,000人をまとめるリーダーがいても、国家はできません。それを見落としているのです。暴力で治めないと国家はできません。

 秦の始皇帝が偉大だったのは、春秋戦国時代に最高の暴力を持っていたのです。始皇帝は、図抜けた残虐な男だったのです。残虐性をもっていて、残虐な殺人を行い、逆らう者は皆殺し(genocide)にしたのです。始皇帝は、「俺が国家だ」と思っていたのです。

 「俺が国家だ」と思う人がでてこないと、国家はできません。縄文時代のように平和な生活をしていると、国家など必要ありません。巨大な国家ができてくると、対抗するために隣にも巨大な国家ができてくるのです。

 そうでないと、国家などできません。「縄文時代の延長で日本の国家ができてきた」と考えがちですが、そんなことはあり得ません。普通の人は「縄文時代が弥生時代になって、いつの間にか飛鳥時代になって、自然に天皇ができてきた」と思っているのです。そんなことで国家ができるはずがありません。

国家というものは、強烈な指導者がいて、「俺に従え、従わない者は殺すぞ!」と言わなければできません。強烈な指導者ができてきて、団結が嫌いな個人が従ってくるのです。

 それでまとまった数は、何十万人です。それで初めて巨大な権力ができてくるのです。これは、国家並みの権力ですが、まだ国家ではありません。秦の始皇帝が、中国全土を統一したのは、最も残虐なことをやって人々から恐れられたからです。だから国家ができたのです。

 国家というものは、自然にできてくるものではなくて、構造物(Structure)です。「国家を造る」という熱烈な意志を持った人がいて、人工的に国家を造っていくのです。人間を自然に放っておいたら、国家などできません。

 1万5千年の平和な縄文時代から自然に天皇ができてきて、国家ができてきたわけではありません。日本列島を蹂躙した奴がいたのです。だから、国家ができてきたのです。そのように考えたほうがよいのです。

 すると天皇家は自然にどこかから湧いてきて、国家ができてきたわけではありません。「日本を征服する」という目的をもった異民族がやってきて、日本を統一したのです。

 日本を統一したのは、神武天皇です。神武天皇が日本を征服したのです。そのように考えたほうがわかりやすいのです。三内丸山遺跡の平和に暮らしてきた縄文人では、国家はできません。

 異民族がやってきて、「日本は俺の国である。俺に従え。従わない奴は、成敗する!」という支配者がでてきて、国家ができるのです。天皇家はそのようにしてできたのに違いありません。

 「この征服民族は誰か?」というと、江上波夫先生は、「騎馬民族征服説」を主張していたのです。「日本は騎馬民族が征服したのだ」という説ですが、これは、時代が合っていません。

 今でもこの説を信じている人がいますが、それが政治家の小沢一郎です。「日本は騎馬民族が征服した国だ」と言っていたのです。小沢一郎は、「それは、朝鮮民族だ」と言っていたのですが、そうではありません。

 神武天皇は、騎馬民族だったのです。江上波夫先生のような征服説ではありません。騎馬民族が日本を征服して、「私が大王である」と宣言したのではありません。この話とは、ちょっと違います。

 確かに騎馬民族は日本にやってきたのですが、江上波夫先生の言うような騎馬民族ではありません。徐福が神武天皇になったのだと僕は思っています。すると、日本の建国の謎は、全て解けるのです。(②に続く)

 

 

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