テディベアの由来
アメリカが大衆消費社会が幕開けようとしていた1902年の秋、ルーズベルト大統領
は趣味でミシシッピー州に熊狩りに出掛けたが、獲物をしとめることができず、そこで同行していたお付きのハンターが年老いたアメリカグマ
の雌熊(一説には傷を負った子熊)をつないで大統領に撃つよう勧めました。「体重235ポンド(約107キロ)のやせた熊」だったと言われています。
しかしルーズベルト大統領
は「瀕死の熊を撃つのはスポーツマン精神に悖る」として撃たなかった。このことが同行していた新聞記者によって翌日、ワシントンポストが掲載し、この記事で大統領のやさしさが評判になり、ニューヨークで菓子店を営んでいたミットム夫妻が、大統領の名前・セオドアの愛称「テディ」をとってテディベアと名づけたクマのぬいぐるみを作ると、人々の間でテディベアが大人気となりました。
という、美談が有名ですが、
しかし、本当は、
大統領が撃たなかったのは「負傷した熊は狩猟という行為にそぐわない」というのが本当の理由で、実際には、この時の熊はナイフでとどめを刺されています。このエピソードが大統領の慈悲深さを称える話として一人歩きしてゆく中で、殺された熊は生け捕りにされたこととなり、大人の熊はいたいけな仔熊であったこととなりました。大統領は、1904年の選挙にはテディベアのバッジを付けて挑み、再選しています。
これが、アメリカのお話。
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その頃、ドイツでは
一人の女性が、ドイツのある片田舎で動物のぬいぐるみを世の子供たちへ送り出し始めていました。やがて大人気となるベアのぬいぐるみが産声をあげたその地は、ドイツ南部の大都市・シュツットガルト
から南東へ50キロ、ギンゲン。「ヘンゼルとグレーテル
」のお話の舞台で、皮革や染物の産業が行われていた人口二千人ほどの小さな町です。
この町の建築職人の三女として、1847年の7月24日、マルガリータ・シュタイフは生まれました。一歳半で小児麻痺
にかかって左手しか動かせなくなり、車椅子
生活を余儀なくされた彼女ですが、家族の愛情に包まれて明るく育ち、「おてんばグレーテル」とあだ名されるほどでした。
大人になった彼女は、人一倍の努力で習得した裁縫の技術で、フェルト製品の販売業を始めます。1880年のある時、彼女がフェルトで象の針刺しをつくって義妹にプレゼントしたところ評判となり、5年で600体が売れました。それからは、たくさんの動物のぬいぐるみをつくるようになりました。
やがて、彼女の甥が動物園でスケッチした熊のデッサンを元に、ふわふわのモヘア
で覆われた、手足にジョイント
が入っていて動かせるというベアのぬいぐるみが発案されたのが、1902年。それまでのぬいぐるみとは大きく変わった、そしてとても愛らしいベアのぬいぐるみの誕生です。
彼らは数体の試作品をつくって、翌年にライプチヒ
で開かれた展示会「イースター
・フェア」に出品しました。それが、アメリカ人バイヤーの目に止まり、海を渡り、アメリカでおおいにブームとなったのです。1907年には、実に約97万個(現在でも年間のテディベア生産は35万個程度)という驚異的な数のベアが売れたといいます。