五月下旬の、木曜日夜から土曜日の夜まで、会社の視察で東北を訪れました。


夜行バスで一気に大船渡まで上がってから、海岸線沿いを南下。

気仙沼、陸前高田、南三陸町、仙台の被災した町々・・・を巡りました。

(片道で1200kmの走行だったそうです。トータルでも2100km。

ドライバーさんありがとう、お疲れ様!)


仙台に一泊し、翌日はつくば市を見学、帰静、というスケジュールでした。

(ホントは竜巻被害の視察をしたかったようですが、遠過ぎて諦めたらしいです。)



仕事柄(土木系の設計会社)、

また、同僚に気仙沼出身の人がいて、

その人が現在、

大船渡に、復興のため出張派遣されているという状態で

震災の報道などには、敏感に反応する人の多い会社ではあり、


また、私個人としても

あのひどい震災、そして翌月には病気で母が亡くなり、

強く死を意識し、以前よりも「覚悟」みたいなものが出来ている状態、


それでも、

1年以上経ったはずの被災地の

余りの被害の大きさ、

復興の全くされていない(南下すればするほど感じました)、

それどころか、

たくさんのたくさんの瓦礫の山、

“普通に”道に落ちて放置されている黒いランドセル・・・


そこにいた全員が打ちのめされました。


どうしたら良いんだろう・・・と。



とりあえず、とりあえず、今出来るのは現地での買い物!!

少ない(汗)お小遣いから、皆、出来る範囲で

一所懸命お買い物してました。


そして、仙台に1泊。

せっかく大都市だし、と、お夕飯に街に出ました。


一見、震災の被害もここには及ばなかったのかな、

よかったな、と思える賑やかな風情でしたが


仙台名物・牛タンのお店に入り

そこのお店の方とお話していたら


出身高校が陸前高田で、同級生が10人亡くなった、と・・・

寂しそうに話して下さいました。




・・・あ~

1か月経ったから、もっと上手く書けるかと思いましたが

・・・無理ですあせる


とにかく、皆さん、

東北のこと忘れないで!!


静岡あたりでも、離れているせいか

東北に関わり合いのない人達の中では

震災が早くも風化しかかって来ているように感じます。


先日、呉服町にある震災復興カフェにも行ってみましたが

人気もありませんでした。


「東北に視察に行ったよ。」と話すと

寄付もしたことなく、

着飾って夜遊びに励んでいる社会人の我が子に

「ばかじゃん、ボランティアじゃなきゃ意味ないじゃん。」

と、言われた方も・・・むかっ




瓦礫受け入れ問題も、あの光景を見たあとでは、

ごちゃごちゃ言ってる人は「了見が狭いな」

と思ってしまいます。

(見る前も思ってましたが、より強く。)


放射能やダイオキシンなどは、

私も子供がいるし、

うっかり燃やして、

そんなものの入った灰が

自分たちの住んでる地域に降ったら困るな、と思うけれど

(その辺のデータについて、

国(政府)が信用出来ないから

疑心暗鬼になってしまう、という

仕方ない面もありますし)、


「瓦礫は木など、燃えるものだけ、という話で焼却を受け入れたら

中にコンクリがちょっと混じっていた。

約束が違う!もう、うちの市の焼却炉では燃やしてやらない!!」

とか言って、被災地の市長に謝らせる人達、うんざり。


こっちで税金使って、仕分けし直ししたらいいんだよ。

その使い途なら、私は文句言わないよ。

やっていいなら、ボランティアで、仕分けを手伝うよ、私。


痛みは分かち合わなくちゃ。


日本のこと、なんだよ~メガホン


最後、ちょっと熱くなってしまった、さやでしたあせる