神経を抜く予定の歯の

『仮の詰め物』が取れてしまい

再度入れ直した

『第二の仮の詰め物』も

ぽろりと取れてしまったわが夫(英国人)。

 

またあの詰め物入れ替えの

恐怖を経験するのか、と肩を落として

歯医者さんに向かったところ

今回はきれいに詰め物が落ちていたとかで

処置自体はそれほど

恐ろしい物ではなかったらしいのですが

(前回は前の詰め物が中途半端に

取れてしまったためまずそれを

『完全に剥す』ことから始めねばならず

夫にはそれがとても

衝撃的な経験であったらしいです)

(この場合の『衝撃』は物理的なそれを指します)

家に帰ってきた夫が暗い顔で言ったのは

「僕・・・結局、この歯、結局

抜かなくちゃいけないそうです」

 

仮の詰め物が取れた原因は

硬い何かを齧ったせい、らしいのですが

その時にどうも

歯の根元にまで亀裂が入ってしまったそうで。

 

「僕は突然自分の体の中でこの歯が

一番好きな部位に思えてきました。

こんな風にお別れしたくありません」

 

夫はもう直視に堪えない落ち込みようで

・・・いや、でも『歯を抜く』というのは

楽しい話では絶対にありませんよね。

 

そして迎えた抜歯当日。

 

同じ日に私は呑気に

『歯のクリーニング』を

してもらう予定になっていまして

先に診察室に呼ばれたのは夫。

 

少し経って私も別の部屋に呼ばれ

ゴリゴリと歯を白くしてもらい

(所用時間は30分くらいでしょうか)

歯茎に振動の余韻を感じながら

待合室に戻りますと

コの字型に配された椅子の隅のほうに

呆然とした表情で座り込む

わが背の君がおりまして。

 

待合室には他にも2人

男性と女性が座っていたのですが

私が近づくとその二人は非常に奇妙な

すがりつくような表情をして私を見上げてきて

一体その眼差しの意味するところは何なのかと

心の中で小首を傾げつつ夫に近づき

「ごめん、待たせたか。おや、

そのコップの中身は何だ。消毒薬?」

 

夫は膝の間に組んだ手のひらの中に

小さな紙コップを持っていました。

 

私の問いかけに夫はか細い声で

「いえ、水です」

 

そう、お水。

こまめな水分補給は大事ですよね。

 

ところで夫よ、君、顔色が

ちょっとこう・・・青緑色なんだけど・・・

 

 

普段はピンク色の頬が薄緑になっていて

ところどころに青黒い斑が散っているんだけど・・・

 

え、これ、待合室の照明のせい?

 

私は何があったのか夫に尋ねるべき?

 

いや、でも事は抜歯、あんまり

処置室でのことを思い出させるのも・・・と

静かに逡巡している私に夫が静かな声で

「僕、失神したんです」

 

「えっ」

 

「気を失ったんです」

 

「・・・そ、それは抜歯の最中にか」

 

「いえ、処置が終わった後にです。

でも今はその話をしたくありません」

 

「うむ、わかった」

 

「それでまたお願いがあるんですけど

・・・駐車場に停めた車をここまで

持ってきてもらえますか」

 

「よし、待っていろ!」

 

夫の前で踵を返した私が見たものは

「ねえ、今、『失神』って単語が聞こえましたよね?」

という目つきで私を見上げる不安のあまり

顎のあたりが強張った可哀そうな男女二人。

 

・・・お二人、これから

診察ですか、どうもすみません。

 

受付を通り抜ける際に受付嬢にも

ひどく意味深げな目礼をいただき

(知ってる、聞いてる、

でも何も言わないで、みたいな)

そのまま迅速にわが愛する背の君を

家に連れて帰った私ですが

1時間ほど仮眠を取って

少々回復した夫が言うには

「抜歯自体は問題なく済んだんです。

麻酔はちょっと痛かったですけど

歯はするっと抜けたんです。

でも僕、どうにかして抜歯抜きに

治療が出来ないものか

処置前に重ねて尋ねていたでしょ。

だから先生はその理由を

実際の歯を例に

示そうとしてくれたんですよ」

 

「そ、そうか、いい先生だな」

 

「親切ですよね。で、先生は

ざっと血を拭った歯の側面を見せてきて

『ほら、ここに亀裂が入っているでしょ』って

説明を開始したんです。その時に

例のあのどこか遠いところから

僕を引き寄せる気配がやって来て、

でも運がいいことに僕は診察台の上に

座り込んでいたでしょ、だからその時点で

お医者さんに『あっすみません、

ちょっと横になります』って言って

頭を診察台につけて目をつぶったんです」

 

「よかったよかった。気絶の怖いのは

意識喪失時の転倒による怪我だものな」

 

「僕はちょっとの間、ほんの一瞬

目をつぶっていただけのつもりだったんですが、

目を開けたらお医者さんが僕を覗き込んでいて

『アナタ、今、失神していたんですよ』って。

そのまましばらく横にならせてもらって、

それから待合室に移動したんです。

でもね、ほら、待合室には他にも人がいたでしょう。

だから僕はなるべく何もなかったような顔をして

黙って椅子に座っていたんですよ、君が来るまで」

 

なるほど、でもあの人たちは絶対に

『何か』が君にあったことを知っていたと思うよ、うん。

 

傷口のため夫は『塩うがい』を推奨されています。

 

しかしこれが夫には大の不得手らしく

「何が嫌なんだ、傷口にしみるのか」

 

「いえ、味です。だってすごく強い塩味ですよ」

 

「お塩は良いんだよ。日本でも古来塩うがいは

身を清める作法として伝えられていてだな、

仏神にお仕えする人はお勤め前に

塩で息を清めてから着座したものだ」

 

「それは簡易な一日一苦行、

みたいな話じゃないんですか」

 

違います。

 

いや、そういう側面もあるのかな?

 

ともあれお塩の力で

夫の傷口は

無事に塞がりつつある様子です。

 

怒涛の経験から心身消耗した

わが夫から皆様への伝言は

「歯は本当に大事にしましょう」

 

痛みが出たらすぐ歯医者さんへ。

 

我慢をすればするだけ

結果はさらにひどいことになる、というのが

今回の経験から

夫が得た教訓だそうでございます。

 

 

夫はこれが人生5回目の

気絶・失神だそうでございます

 

コルセット全盛期の時代に

貴婦人として生まれていたら

君はきっと魅力的と

言われていただろうなあ・・・

 

私が男だったら喜んでハンカチを

拾わせていただいていたことと思うよ

 

抜歯がお得意なあなたも

想像するだけで気が遠くなりそうなあなたも

とりあえず歯はお大事に、の1クリックを

人気ブログランキングへ