職場でごたごたがありました。
スタッフの男の子が、他のスタッフに何か酷いことを言われ、暴力とまではいかないけれど、それに近い行いをしてしまったのです。その子は今までも何か(自分にとって)失礼な事を言われるとストレスで驚くほどに怒りを見せたりする事があり、
しかし私には信頼を寄せていてくれて度々相談に乗る事がありました。そして普段はとても穏やかな人。
今回の暴力に近い行いは、私の耳に入っていなかったのですが、今日、また彼から話したいと言われ
一部始終を聞きました。
それは他のスタッフが彼に何かを説明する時に
「この漢字読める?読めないかなー。」と言ったらしいのです。彼は外国籍のスタッフ。言った人は日本国籍の人です。
彼曰くはその言い方に悪意があったそうなのですが、本当のところは分かりません。

しかし話していて思い出したんです。
私もカナダで働いていた時に
「差別だ!」と思う事を言われたりされたりした事が何度かありました。

差別と言わないまでも、何か違和感を感じるものも含め。
彼にも「私も同じ様な悔しい経験があるから気持ちは分かる」といったのですが、その後で
本当に?本当に分かってるんだろうか。と思ったんです。
というのは、私は日本でマジョリティになって、一年以上が経ちました。
あの時(カナダにいた時)の事を思い出すと、確かにあれは差別だったのですが、
本当にそうだったのか。と疑問も感じました。
我々にとっては確かに差別だとしても
それを行った人にとっては、その気は無かったのかもしれない。とも思ったのでした。
当事者(差別される側)にとって、この大変にセンシティブな問題は、本当に本当に小さな事でも感じ取れるもの。
しかし、する側にとったらただのコミュニケーションの一部(全く差別という認識が無い)なのかもしれません。
今回漢字が読めるか?と言った人はどういう意味で言ったのか分からないので、なんとも言えないのですが、でも、その様な何でもない言葉の端々に差別を感じる人達がいる事。その事も事実。
世界中で差別ということが取り沙汰されていて、時にはそれは行き過ぎではないのか、と思うこともありますよね。
でもやはりそれで傷ついている人がいるのは紛れもない事実。
だからこそ、差別だ。という声が挙がる。
マイノリティに属する人々は敏感にならざるを得ない現実があります。
私がもし、カナダで
「この英語読めるか?」と問われたら、状況にもよりますが、差別と感じる可能性は高い。
これは言語や国籍だけの話では無いのですが、
世の中ってこういう事で出来ている。
私はもうマジョリティに紛れてしまって、完全には彼の気持ちが理解出来なかった。
でも、経験から言えることはただ
強くならなくてはならない。
という事。マイノリティでいる事は強さを問われる事。
毎日気が張った状態で生きるという事。
この、ほんの1年前までは感じていた気持ちを忘れていた自分にショックであり、もう完全には彼の気持ちを分かってあげられないことに申し訳無く思った、そんな日でした。