雷神トールのブログ

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トリウム発電について考える


      
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「原子力」の発見

放射能を発見したのはフランスの物理学者ベクレル(1852~1905)で1896年のことだった。

その前年にドイツの
レントゲン(1845 ~1923)が発見したX線に刺激され発光体研究の開拓者を父に持つベクレルは、ある種のウラン化合物が日光に刺激を受けて発光しその中に新放射線が含まれているのだと考え実験をして結果を科学アカデミーの定例会に報告しようと考えた。あいにく天気は曇り続きでやむなく黒の紙包みに包んだ写真乾板に化合物をのせたまま引き出しに入れておいた。定例会前日に引き出しを開けてみると乾板に鮮明なシルエットが現れた。日光を受けない暗闇でもウラン化合物が透過力のある目に見えない新放射線を自発的に出していることを見つけた。翌日の定例会で放射能の発見が報告された。放射能という言葉はキュリー夫妻が1898年につくった。

 

 

ラザフォードとソデイによる放射エネルギーと放射性変換理論の成立。

古代ギリシャ以来、原子は変換しない不変なものと考えられてきた。

しかし、この古典的な原子の考えは20世紀の始まりと共に原子が放射性変化により変換するものだということがキュリー夫妻とラザフォード、ソデイ―らの実験により確認され、「原子不変説」はくつがえされたのだった。

いまではふつうのこととなった「
原子力」という言葉も、1903年に、ラザフォードとソデイ―が発表した論文「放射性変化」の中ではじめて使われた。

この発見についても少し詳しく見てみよう。

1900年、キュリー夫妻はトリウム化合物がたえず変動する放射能を発生することに気が付いてはいたがこの現象をさらに追及することはしなかった。

ラザフォードは、トリウム化合物から気体状の放射性物質(トリウム・エマネーション)がたえず発生しているのではないかと考え、巧みな実験装置からその存在を確かめた。

1901年から3年まで化学者ソデイがラザフォードの研究仲間に加わり、二人はある不思議な現象の確認のため実験を繰り返し、偉大な発見にたどり着いた。

その不思議な現象とは水酸化トリウムによるものだった。クリスマス休暇を終え実験室に来てみると、放射能を失った筈の水酸化トリウム(つまりトリウム原子)は完全に回復し、一方トリウムXはすっかり放射能を失っていた。

ラザフォードとソデイーは繰り返し行った実験から、トリウムXが放射能を失う割合と、トリウム原子が回復する割合とが、ともに
4日で半分の放射能になると知り、トリウム原子がたえずトリウムX原子に変換していると確信するに至った。

二人は原子が別の原子に変換すること自身がエネルギー発生にともなうものであることを強調した。

1903年、ラザフォードとソデイーは、ウラン、トリウム、ラジウムを親元素とする原子変換の系列を提案し論文「放射性変化」にまとめた。

この論文の結びで二人は「もはや原子は物質の最小単位ではない」こと、また放射能のエネルギーは物が燃えるときの化学エネルギーとは異質で莫大なものであることを示し、放射性原子だけでなく、一般の原子もこれを内蔵しているであろうとはじめて「原子力」という言葉を与えた。原子力: Nuclear atomic energy (power)

太陽エネルギーがおそらく原子力によるものだろうと二人は正しく予測している。

長年の放射性物質を扱う研究生活でピエール・キュリーの健康は蝕まれていた。ピエールがパリのポン・ヌフのたもとで馬車に轢かれたのもすでに正常な平衡感覚や肉体が衰えていたためであろうと言われている。ピエールが亡くなる1906年の3年前には実験を行っている。1903年、ピエールは、ラジウム化合物から放射線などの他にも莫大な熱エネルギーが発生していることを確認し、そのエネルギーを熱量計で測った。1グラムのラジウムは1時間に100カロリー熱を発生する。

(以上は、大沼正則著「科学の歴史」1988年青木教養選書)第6章 20世紀科学へ、第二節「放射能と物理学の危機」を要約したものです。)

 

(つづく)