過去に住んだ町を散策するのは楽しいはずだ。
町の変化を楽しみ、昔と変わらないモノを懐かしむ。何より心地良いものだと思う。
その町の空気をもう一度吸うことは、自分には過去があって・今も自分があるのだと認識させられるような感じだった。
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この日は旧実家の周りを散策した。10年ぶりくらいかな。今の家から電車に30分も乗れば着いてしまう場所だけど、これまでほとんど興味がなかった。
けどこの日は行こうと思った。理由はないけど思い立つタイミングだったんだと思う。
駅に着くと見慣れた風景が広がっている。建物も町の雰囲気もほとんど変わっていなかった。
驚いたのは自分の嗅覚が町をよく覚えていたこと。「このニオイ...ああそうだった」みたいな。つづらは鼻炎持ちでニオイにかなり鈍感な方だけど、ニオイの記憶は脳に深く刻まれているんね。
町を歩いていて不思議だったのは意外と何も感じないこと。懐かしい感覚もそんなにないし、特に感情も湧かない。20年も暮らしたのだから、それなりに思い出もあるはずなのに...。
しばらく歩いて貸家になっている旧実家の前に着いてようやく分かった。つづらにとってここは故郷ではなかったんね。ただ20年を過ごした場所。ただの場所。中身はない。
空っぽ。
故郷とは「場所」でも「記憶」でもなく、けっきょくは「人」なのかもしれないな。ただしばらくして、やはり旧実家に入ったら懐かしい感覚は湧くかもなとも思った。
母親が計画し、細かく考え抜いて作った家だ。あの人の傑作にもう一度触れればいろいろ思うことが出てくるかもしれない。
まあそれは何年先になるか分からないけどね。